初めてのことや難しいことなら
できないことの方が多いよね

「できなくたっていい」とか
「できなくて当たり前」ってことはないけど

みんながいる前では
ちゃんとできなくてもいいから
今のできる限りを示そう

きっと思ったようには
言えなかったり
歌えなかったり
動けなかったり
奏でられなかったり
踊れなかったり

それでも「今はまだちゃんとできないけど こうやりたい」を精一杯に示そう

キミと一緒に伸びていきたいみんなは
キミなりのやりかたができるのを待てないんだ

できないけれど「こうしたい」を見せてくれたら
「それなら自分はどうしよう」とか
「自分はこうしたいから こうしてみたら?」を返せるから

土から茶碗を作るとき
できあがってから形や大きさを変えるより
作りながら変えていく方がいいし
窯に入れたらもう変えられない

比べてみたら上手い下手はあるだろうけど
誰もが未完成で不完全な自分と向き合い
みんなと一緒にどんな風になろうかって考えてる

今日の 今の ありったけの自分を表すことで
きっと明日はステキになる

みんなは不完全な今のキミを知りたいんだ
そして一緒に成長したいんだ
できないってわけじゃないけど
なんだかしっくりこない

難しいって感じはしないけど
上手くできた感じもしない

何が違うのか
どうすればいいのか
ぼんやり見えているようで
それが何だかはっきりしない

それならちょっと寄り道してみないか?

すでに越えた峠とか
前に歩いた道とか
気楽にもう一度歩いてみたら
前より空は明るくて
枝の蕾の膨らみや
冷たい風に微かに感じる緑の香りとか
何か見つかると思うんだ

そこでなんとなく佇んでるより
いい一日になるんじゃないかい

仔犬の頭を撫でること



花を一輪飾ること



道端のゴミを拾うこと



幼子と手をつなぐこと



愛する人を抱きしめること



本のページをめくること



想いを手紙に書くこと



 



ウルトラマンにはできないけれど



わたしにはできること


稽古をすると指導者や監督者だけでなく、先輩や仲間や第三者からまでもいろんなことを言われます。それはそれでありがたいことですが、時として「言われたとおりにやっていればいい」「何で言った通りにできない(やらない)の」「そんなんじゃダメ」などの言葉が自分を混乱させ、身体が委縮し固まってしまい、もがくほどに沈んでしまう底なし沼にはまってしまうことがあります。

誰もが良かれと思い、その人(自分)のためを思って言ってくれていますし、その人だって言われたようにやりたくないわけでもなく、みんな前向きに頑張っているのに、それぞれの思いや力が空回りしたり絡みついたりして、現場がもやもやしてしまうのは不幸なことです。

他人の頭の中を覗ける人なんていないし、他人の考えを、ましてや想いを他人の言葉から完全に理解できる人もいません。

稽古は、作品のファンタジーを訪ね自分の経験に刷り込んでいくのと同時に、自分の感覚を探りながら、自分への理解を深めていく場でもあります。
ただ開始時間に行って、言われたことをやって、ダメだしされて、帰ってから「ああ今日もダメだったなぁ」で終わってしまうのでは心の成長が身体の成長についていけません。

動く時、音を出す時、歌うとき、台詞を言うとき、踊るとき、どのようにしようと明確なイメージが必要です。そのイメージに対して実際の自分の何が一致していて何が違っていたのか、チェックすることが重要です。筋肉の使い方、間の取り方、時間の流れの感じ方など、どのようにしようとして、やってみて、どのようにできたのか。具体的にチェックできるほど、それについての他人の言葉に反応できるようになります。
その過程で、「こうやったつもり」との自分の感覚と、実際に第三者に感じ取られた自分の行為との「ずれ」を修正していきます。そうすることで、やろうとすることを、そのままに他人に感じてもらえるようになっていきます。

自分で感じていることを、同じように他人に感じてもらう。
それはとても難しいことですが、稽古の基本として一生背負っていく課題です。
「なぜ」と自分に問いかけて「どうだった?」と振り返る。その繰り返しが続いていけば、他人の言葉ではなく、その奥の思いを察して応えていけるようになるはずです。
空はこんなに青いのに心が重い日々です

部活顧問の暴力で自殺に追い込まれてしまった高校生のこと
悪いのは大人だけなのに部活動を停止された生徒たちのこと
高校入試は一生に一度なのに「今回は一回我慢して」なんて無責任に言われた受験生たちのこと

あんな大人がいて申し訳ない

若者は世界の明日
子どもたちは世界の未来
そこに優れた人や税金を投じずに
目先の利害と保身しか目に入らぬ大人ばかりが目立って悲しい

信じられる大人でいたい
お天道様だけでなく 子どもたちも見ているのだと自戒して
今日を 明日を 生きていこう