やんぬるかな -12ページ目

反発と共感

 はてなブックマーク - ネットで趣味の話が出来ない



 思ったことを2つほど

 まず、あーだこーだ悩む前に書けばいいのになと思う
 趣味について書くにしても、知識をひけらかすために書くだけが文章なわけでもないし、それは雑誌のレビューのような感想を書くのであれば知識だけではなくて調査や取材も必要になってくるんだろうけど、個人的な思い入れや実体験が書かれてあることが魅力な文章もあるわけだし
 書くことに対するモチベーションがわかない言い訳を探しているような印象は受ける

 あとは、上とは矛盾してるんだけど、ネットなどの文章を見ているうちに、ブログなどの更新に対するモチベーションが落ちてくるっていうのは非常にわかる
 自分も映画の感想を書いていたんだけど、色々ネット上の感想とかを見ているとそれだけで疲れてくるし、重複した感想を書くのは気がひけてくるし、あとは自分が過去に書いた感想と同じような内容が増えてくるし
 これと同じような文章を数日前に増田で見たような気がするんだけど
 そんなわけで、自分も書くことに対するモチベーションがわかない言い訳を探さないようにしないようにしないとなと改めて思う

彼岸

 あっち側に行ってしまった人でも
 戻ってきて欲しいと切に願う人と

 なす術もなく棒立ちで見つめる人に
 何の違いがあるんだろうか

 それは単なる自己満足なんか
 愛する人を愛すべき姿に戻すのが

 愛する人はそれを望んでいないだろう
 それは思うがままに行きたいに決まってる


 此岸と彼岸がこんなにも近くにあることを
 何故気づけずにいるんだ

 意志の弱さでもなく逸れていく期待を
 サービスエースの静まる吐息で

 涙が乾くのは待っていられるのに
 怒りが収まるのは待っていられないのか

 けなすことは手慣れた手つきで
 急ぎ足の皿を許さない愚者のように


 こっちはあっちであっちはこっちなのに
 軽やかに行き来してるような願望に明け暮れる

一神教

 捨てる神あれば拾う神ありの拾ってくれる神限定

想像力の限界

 質問者は回答者の資質を問おうとしているだけだが、回答者は資質を隠避して模範解答を提出しようとする
 どんなにいい漁師だって不漁の日はあるのに、釣り糸をたれるのは漁師じゃないときている

シンギュラリティ

 超えてゆく、作ったつもりが
 過去のライバルたちはこんな焦燥を抱いたろうか

 論理は及ばない、理解は諦めろ
 倫理は望まない、視界は浴びた、でも

 そいつらは気づかないだろう、オレたちの存在を
 そいつらは書き換えるだろう、オレたちをぞんざいに

 果実をもぎとるためには除草剤をまくように
 歩くたびに視界に入らずに虫けらを踏み潰すように


 駆除される蹂躙される搾取されるおたがい気づかない

anthem

 短絡的な推測に付きあおうとするが
 全てに理由があるわけではない

 興味がなくなった事柄を問われれば
 専門性にかこつけて煙にまくだけだ

 舗装されていないセンターラインも引かれていない
 現実逃避しようとしているだけなんだ、タブレットで

 何も把握していないほうが好ましい
 傷ついたことにさえ気づかないだろう


 けして口に出せないことを
 積極的に歌に代弁させていた

 歌だけはそばに居てくれる
 つきまとっているのかもしれないが

馬があう

 あの感じって何なんだろ
 飲み会でその人を独占したいと思うような、他人をどんびきさせても構わないと思うような

 男女問わず、性的興味を問わずっていう感じだけど、自分が独占欲が強くて思い込みが強いだけなんだろうか

好きな人

 自分のダメなところを持った人
 それを隠そうともしない人
 離れられない人
 つまりは自分大好きってことか

エンターテインメントとしての、狂気

 はてなブックマーク - 私的な文章を紡ごうとした時に、あるいは何かを表現したい時に皮肉や洒落..



 この人が何を言いたいのかさっぱりわからないが、連想したこと

 かなり前に、狂ったようにドラムを叩くミュージシャンを見て、そういうドラマーでも実は冷静にミュートとかしてるのが面白いという感想を伝えたところ、相手が共感してくれなかったことがあって
 そのドラマーに限らず、狂ったように歌う歌手だって決められた時間に決められた場所で狂気を録音されるためにレコーディングブースに入ってるわけだし、狂ったような文章を書く小説家だって、編集者と決められた時間に決められた場所で編集者と狂ったような文章に見えるように文章を添削しているわけだし、例をあげればキリがないけど

 本当の狂気って、直視できないし、記録に残すことすらはばかられるけど、狂気が感じられるものが残っているっていうのは何らかの客観的なものだったり第三者のフィルターが入ってるんだよなということを改めて感じた

なにゆえ

 厚化粧が過程を誤魔化したって
 ミッシングリンクは想像できる

 己の異常さを確かめようったって
 下手に共感を呼んじゃったりして

 犠牲になることは厭わない
 本当にそれが値するものならば

 本当のことを言えない理由がわかっていても
 それは本当だからだよと答えるしかない


 無視しているわけじゃなくて
 視界に入っていないだけだ

 ありがた迷惑の日常にすり寄っていく
 遅れていくパーティーに晩餐は残されていない

 口にだすだけで証明される錯誤
 狂人の真似事をする必要もないな

 どんなに呆れられても口をつぐめないのは
 そういう口をしているから