卵巣癌の治療から6年半。
この度妊娠、出産を経て、新しい家族を迎えることができました。
備忘録として、まとめたいと思います。
●妊娠について
自然妊娠でした。
卵巣癌と関連性があるかは確かではないですが、
卵巣癌治療前は生理周期も一定ではなく(異常に長いときもある)、生理痛も重いほうでした。
卵巣癌治療を経てこの数年はそれらがなかったかのように順調になり、自分の周期や体調を把握できるようになったことは自然妊娠するにあたり大きな要因だったかなと思っています。
私の卵巣癌は、他臓器に転移しステージでいうとIIICであったにも関わらず、生殖器は右卵巣に病巣が限局していたこと、
種類も卵黄嚢腫で抗がん剤の効果が期待でき、左卵巣や子宮を温存できたという幸運が重なったので決して楽観視はできませんが、
卵巣癌治療のお陰で身体が一度"リセット"され整ったのだとすれば、本当にありがたいことで、治療してよかったと思えました。
●病院
まず困ったのは最初の通院でした。
私の主治医も異動となり、病院の体制も変わったことを受け、1年間の通院歴のない私は他の妊婦さんと同じくクリニック等を受診し、紹介状を貰うように指示されました。
妊娠と同時に、今の自分の身体がどうなっているのか、卵巣癌は再発していないかが心配だったので、卵巣癌が再発していないかの精査も兼ねて、妊娠11週ごろ元の病院へかかることになりました。
最初の健診の際、たまたま卵巣癌のときの主治医が外来に来ていて、お会いすることができました。
妊娠をとても喜んでくれました。
卵巣癌の手術のときに先生が卵巣や子宮を残してくださったから今回の妊娠に繋がったので、本当に感謝しかありません。
●つわり
まったくなかったわけではありませんが、あまり重くもなかったです。
私の場合、不思議なことに、抗がん剤の1、2クールごろの副作用と少し似てたような気がします。
タイミングや吐き気が収まる食べ物も当時と似ていたので、
どうすればうまく対応できるかは把握できていました。
抗がん剤の副作用に比べれば軽かったこと、そして何より赤ちゃんが大きくなるためのことなら乗り切れると思いました。
卵巣癌の頃と一番違ったのは、強力なサポーターであった母が近くにおらず、家事や仕事をこなしながらの生活しなければならないことです。改めて、卵巣癌のときは母のサポートがあったからこそ自分の身体に専念できたことを思い知り、その大きさを感じました。
●胎盤、臍帯について
今回の妊娠で一番厄介だったのが、
胎盤、臍帯のことでした。
私の場合、妊娠21週で、低置胎盤+臍帯辺縁付着(実際の胎盤を見たら、卵膜付着でした)がわかりました。
通常の妊娠では、胎盤は子宮口(赤ちゃんの出口)から離れた場所にあり、臍帯は胎盤の真ん中から伸びています。
①低置胎盤
子宮の下のほうに胎盤が位置しているが、子宮口には被さっていない状態です。
(子宮口を完全に塞いでいるものが前置胎盤)
胎盤が子宮口に近い状態で分娩を迎えると出血のリスクがあるので、帝王切開も考慮することがあります。
②臍帯辺縁付着・臍帯卵膜付着
通常胎盤の真ん中から伸びている臍の緒が、胎盤の端っこから伸びている状態をいいます。
(卵膜付着は臍帯が胎盤ではなく卵膜から伸びている状態)
赤ちゃんが発育不全になることもあるそうですが、私の場合はありがたいことにすくすくと育ってくれてくれました。
しかし、問題は臍の緒が子宮口に近い方から伸びていたことでした。
①低置胎盤と②臍帯辺縁付着で子宮口側から伸びて状態
→臍帯下垂(前置血管と言われる場合もある)という状態でした。
臍帯下垂とは、文字通り臍帯が下がっている状態です。
通常は、子宮口と赤ちゃんの頭はぴったりくっついた状態から分娩が進みます。
しかし臍帯下垂の場合は、子宮口、臍の緒、赤ちゃんの頭の順で並んでいます。
その状態で経膣分娩が進むと、臍の緒が先に外に出てしまったり(臍帯脱出)、赤ちゃんの頭が臍の緒を押しつぶしたりして、分娩中に赤ちゃんへ酸素供給ができなくなります。
この状態のまま経膣分娩が進むと最悪の場合、死産となる可能性もあるので、帝王切開となります。
加えて、妊娠26週ごろからお腹が張ったり子宮頚管が短くなり、切迫流産でウテメリン(張り止め)を服用するようになりました。
その頃はまだ臍帯下垂で、万が一破水してしまうと臍帯脱出になってしまう可能性があったので、
身体の調子を見ながら仕事したり、少し予定より早めに産休をいただき自宅で安静となりました。
自宅安静の甲斐があってか、しばらくしてからお腹の張りや子宮頚管の問題は解消されました。
また、子宮が大きくなるにつれて胎盤の位置が上がって臍帯の場所も変わり、31週までは完全に子宮口と頭の間を臍の緒が通っていたのが35週には子宮口と赤ちゃんの頭がぴったりとくっつき、
この時点でやっと経膣分娩の方針が決まりました。
胎盤の位置や臍帯がどこから伸びているかはエコーで赤ちゃんの身体全体が確認できるころの方が判断しやすいそうで、早く発見されてよかったです。
どんな方法でも安全に分娩を迎えるのが一番の希望でした。
とはいえ、なかなか分娩方法が決まらずもやもやしてましたし、何度か経膣分娩は諦めていたので驚きばかりです。
先生もできれば経膣分娩でいきたいと言っていたので、よかったなと思いました。
ただ、実際、開腹手術も経膣分娩も経験してみると、当然分娩後は経膣分娩の方が身体が楽ですが、
経膣分娩時の痛みはもう2度としたくないと思うくらい痛かったです。
でも、もし帝王切開だったら、産後の赤ちゃんのケアは経膣分娩とは比にならない痛みですごく大変だということは容易に想像できるので、やはりどちらになったにしろ大変さを比べることはできないなと思いました。
散々叫んで、周りの人を困らせた出産でしたが、スピード出産で安産と言われました。他の人をものすごく尊敬します。
●ほか
・帝王切開について
私が経膣分娩と帝王切開のどちらも選択肢として考慮できたのは、卵巣癌の手術で子宮にメスが入らなかったからです。
あのとき、子宮を切っていたら、温存していても経膣分娩には子宮破裂のリスクがあるため、帝王切開しか選択できなかったと思います。(選択できたとしてもリスクがあった)
この点でも運がよかったとしか言えないと思います。
・ 色素沈着や手術痕
妊娠すると、乳首や脇の下などが黒ずむことがありますが、私は、卵巣癌の副作用でできた色素沈着や手術痕も同様でした。
妊娠前は治療から6年経ち、色素沈着はかなり薄くなっていましたが、妊娠中は色素沈着ができたころと同じくらい濃くなりました。
ただ、これは妊娠に伴うものなので、授乳期を過ぎるとまた薄くなっていくそうです。
・お腹の大きさ
卵巣癌で腹水が溜まっていたとき(手術の前)が腹囲102cmで、臨月と変わりませんでした。
違うのは大きくなるスピードです。
妊娠の方がゆっくりと大きくなるので、急激に大きくなった腹水より腹痛や腰痛も少なかったです。
妊娠中いろいろな身体の変化がありましたが、中身は全く違うものなのに、卵巣癌で経験したことがあることが多いのが不思議でした。
一番うれしく、卵巣癌とは違ったのは胎動です。
前回は胎児の元となる胚細胞ががん化する卵黄嚢腫。
今回はその胚細胞が赤ちゃんになってくれました。
赤ちゃんが生きてるという実感が湧く胎動ははじめての経験で、とても愛おしいものでした。
卵巣癌治療後は将来が不安で仕方なく、子どもを授かること自体にも不安で踏み出せない時期もありました。
実際、妊娠してからも時々再発への不安を感じることもありました。
でも今はこの宝物が何より愛おしく、
この子を抱くに至るまでに導いてくれた、
卵巣癌の治療をしてくれた先生、今回の主治医の先生、母をはじめとする家族、そして一緒に子どもを授かる決心をして共に踏み出してくれた主人に感謝しかありません。
また、分娩前や入院中は当時お世話になった看護師さんや助産師さんが会いに来てくれて、今回の出産を喜んでくれたのでとても嬉しかったです。
病院の方にも助けてもらった結果の6年半後の出産なんだなと改めて思いました。
遠方から駆けつけ、出産に立ち会ってくれたり、産後今回もたくさんのサポートをしてくれた母。
立ち会い中はワガママも多く言い、深夜の数分おきの陣痛のたびに、私を見捨てずにずっとそばで元気づけてくれた主人にはどれだけ感謝を述べても足りません。
二人が居て、本当によかった。乗り切れませんでした。
これからは、赤ちゃんはもちろん家族を大切にし、
家族のために今まで以上に自分の身体も大切にします。