私は今こうして
社会のなかで存在していられるのは
時間と規則という格子のなかで
お互いの利益がなりたっている関係のおかげだ
労働を提供するかわりに、
私が一般社会人として生活を送ることができているお金を得
私が税金を払う市民として存在できている
労働にしても納税にしても、
"私”という人が存在していることを
認識させてくれる
戸籍がそれを証明してくれて、
ほんとは自分にそなわっていない”責任感”を
どっかから取ってつけて
ほんとは自分ではない「自立して働くカッコイイ女性」
を演じさせてもらっている
そのおかげで
私は今、
ほんとの私ではない状態で存在し
ほんとの幸せではない状態をシアワセと感じている
・
ほんとの幸せとは、
これができるとは到底思えないほど難易度が高い
それは、
ただ一にち中ウダウダゴロゴロしているだけ
というもの。
この様子をユーチューブ配信し
月30万で生きている人がいると聞いた・・
できない、今のわたしには・・
・
もう一つ例をあげると、
友達と旅行へ
朝の集合時間に誰もこない・・
でも怒らない
それぞれの気分で動いているから、だそうだ・・
・
できないよ・・
だってその時間めざして準備するし
そのときの気分なんて知らんよ・・
これが今の私の存在状態。
時間、決められた事、規則はぜったい厳守!
切符なくして駅員さんに怒られるなんて
ありえない!
だってぜったい無くさないように
座席にすわってても
何度も何度も確認してしまう心配性ももちあわせているのだから・・
・
こんな今の私の状態であるので、
今ここの環境も
時間・規則・責任感たくさんの格子が
幾重にも掛け合わされた箱のなか。
これらがすべて取っ払われたら
私は 一体 どうなるのだろう・・
・
はたして
私は存在しつづけられるのだろうか・・?
生きていられるのだろうか・・?
想像ができない
ケド、
ぜひ そちら側の感覚をあじわってみたい
とも思う
・
想像するに、
まるで羽があるかのようにフワフワ軽やかで
きもちいい世界なのだろう
せ・き・に・ん・か・ん・・?
ってどんなだったっけ??
そんなふうになれるといい。
切符なくしてもイイヤ、謝ろう
ってなれるといい。
座席にすわっているときは
ただその時をあじわえばいい
数え切れぬほどマウント取られても
一人でぷりぷり怒らしときゃいい
知ったこっちゃない、
わたしの せ・き・に・ん ではないのだから
・
せ・き・に・ん って
人から嫌われたくない、を大いにふくんでる
その傾向がつよいから
「人からどうおもわれようと、私の思うままに」
をいつも心に、
今年の夏は
真っ赤なピンヒールを人生初
はいてみようとおもう・・
800人の結婚式を途中退場したとしても、
「わたしは悪くな〜い!!」
と海にむかって叫ぶ櫻子さんに、
私はなりたい ♪