母の命日。 | アラフィフで子宮頸がん(扁平上皮がん)1b1期に。

アラフィフで子宮頸がん(扁平上皮がん)1b1期に。

はじめまして☺️ ブログも大きい病気も初めてです。ただただ、情報が欲しくて みなさんの体験に考えさせられ、教えてもらい、励まされました
もし、お一人でも 私の体験が参考になるなら…と思います。

西日本は猛暑です
関東より北は、夏らしくない天気が続くってテレビの天気予報で言ってました。
こう暑い日が続くと大人はバテバテだけど、夏らしくない天気は子ども達にはつまらないよね

今日は、母の命日なんです。
私は神奈川県で育って、31歳で四国に嫁ぎました。
結婚前は、里帰りなんて簡単にできる
と思ってたけど、子どもの年齢が上がるにつれ、なかなか帰れなくなり、たまに電話で話すくらいになってました。

たまたま久しぶりに1人で実家に帰った時、前日に母が 近所の内科にかかったと弟から聞きました。

翌日、私が🏥からの電話を受け、血液検査の結果がかなり悪いから、隣の市の、大きい🏥に行くように言われ、急いで母を連れて行きました。
末期がんでした…。
胃がんと子宮がんで、どちらが原発なのか調べたところで仕方ないので…と、医師に言われてしまいました。
そのまま入院です。

母も私も晩婚なので、その時、母は79歳。
それまで家では、トイレにも1人でいっていたし、少食になってたけど、食事も水分もとれてたのに、
入院したとたん、気力が尽きたのか立ち上がることが出来なくなりました。

1週間ほど実家に残り、毎日 母の🏥に通い、足をマッサージしたり、お水すら好きなだけ飲めない状態だったので、看護師さんの許す限り氷を口に入れてあげました。
そんななのに、母は看護師さんや私や兄嫁を笑わせてくれて、最後まで母らしい姿を私に見せてくれました。

いつまでも母の側にいたかったけど、いったん自分の家族のもとに帰らなくてはなりません。

四国に帰って数日たった昼間、携帯が鳴り、兄から母が亡くなったことを知りました…。

こんな遠くに嫁いだことを、心から悔やみました。
もっと近くにいたら…たくさんの後悔と悲しみで押しつぶされそうになったけど、
尋常じゃない程怖がりだった母、もし 手術や辛い治療となった時に、きっと恐怖心で苦しんだはず。
亡くなる20日前まで 知らずに家で過ごせたこと。
今となっては、母が無意識で選んだ、母らしい最後だったと思えるようになりました。

去年の今日。
母の命日に、私は手術するために入院しました。
きっと母が応援してるよ‼︎と伝えるために、この日にしてくれたんだろうなぁ〜って思います

母に会いたい気持ちももちろんあるけど、あちらに行くのは、まだまだ先にして欲しいものです
まだ呼ばないでね、お父さん お母さん

今日は、父と母の好きだった餃子と
写真にお供えできました