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遠近法で描く中国 -2nd Season-

片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を。 

副題:ギリギリの決断を重ねた戦国武将
著者:浜野卓也
出版:PHP文庫 / 2002年 / 文庫本
ジャンル:日本史、人物

<目次>
第一章 槍の功名
第二章 丹後宮津城
第三章 本能寺の変
第四章 味土野の女たち
第五章 受洗
第六章 淀の渡船場
第七章 黄金百枚
第八章 玉子の死
第九章 関ヶ原
第十章 兄弟対決
第十一章 去る者、来る者
第十二章 大坂の陣
第十三章 弧愁
あとがき

戦国武将の細川忠興と聞いてすぐに「ああこの人」と思う方はそれほど多くないでしょう。
肥後細川家の初代藩主となった大名であり、その肥後細川家の子孫が、第79代内閣総理大臣・細川護熙氏と言えば、ご存じの方も多いかと思います。
総理時代にも「殿」と呼ばれていましたね。

物語は忠興の父、藤孝(細川幽斎)が時の将軍・足利義昭に仕えており、殿とともに朝倉家、その後織田信長を頼るところから始まります。

そして父の盟友・明智光秀の娘、玉子(細川ガラシヤ)を妻に迎えた後、本能寺の変が起きます。
光秀は細川親子へ、共に戦うよう誘いますが、親子は拒みます。
この本能寺の変は、明智・細川の視点で、彼らの苦悩が描かれていて、興味深いところです。

細川親子は当時、足利家から離れて信長に仕えており、変の後、忠興は「逆臣の娘の夫」という立場となります。
忠興は妻を丹後に幽閉しますが、この間に彼女は御付きの者の影響で、キリスト教に惹かれ始めます。

忠興はその後、羽柴秀吉に仕えるのですが、九州の役で忠興が不在にしている間に、妻玉子は洗礼を受けます。しかし秀吉がバテレン追放令を発布し、忠興の立場はまた危ういものとなります。

秀吉の死後、天下を我が手にと狙う、徳川家康が徐々に秀吉影響下の者々を追い詰めます。
対決は避けられない状況となり、秀吉庇護の武将であった忠興ですが、東軍、つまり徳川方に付くことを決断します。
西軍の将・石田光成は、大坂の細川屋敷にいた玉子を人質にするために追い詰め、ついに彼女は自害するのです。
玉子自害の際、長男の忠隆の妻千世が屋敷から逃げたことを咎められ、忠隆は廃嫡。二男の興秋は、後の大坂の役で豊臣方に与し敗北、父の命により切腹と、家族はばらばらとなります。
徳川の時代となり、肥後の領地を与えられた忠興は、家督を三男の忠利に譲って隠居します。

忠興は、父譲りの武将としての能力は勿論ですが、文化人としても一流とされました。
茶道に及んでは千利休に師事を仰ぎ、利休七哲の一人と数えられました。

忠興は文武両道に通じ、武将・大名として名を馳せたにも関わらず、家族はその運命に翻弄されました。
それは、忠興が父の教えに従い、時代の流れに逆らわず、足利家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と主君を代えることで、家の存続を第一としたことが、影響しているともいえます。
この小説はのその人の魅力を、小説として十分に再現した内容となっています。

細川忠興―ギリギリの決断を重ねた戦国武将 (PHP文庫)/浜野 卓也

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副題:エイズ売春婦から大富豪まで
著者:福島香織
出版:文藝春秋 / 2011年 / 単行本
ジャンル:中国、ルポタージュ

元産経新聞北京特派員という経歴を持つ福島氏。
彼女のブログは中国にいた時から常にチェックしていましたが、著書は未読でした。

経験上、中国に本を持ち込むのは大変です。
以前、日本で購入した本何冊かを、中国に郵送したことがあります。
その中に中国関連の、当然日本語の本なんですが、
目次に「台湾」という文字があったということで、
通関で止められてしまいました。
結局、通関に出向いて処理をしてもらって、それらの本の受け取りに成功したのですが、
その問題の本は没収され、ついに手にすることはできませんでした。
勿体ない、とかよりもいい経験だなぁと思えたのは、自分でも中国に慣れたのだなと感じました。
おそらくこの書もそんな検閲にかかる内容かもしれません。

<目次>

はじめに 「婦女能頂半辺天」

第一章 エイズ村の女たち
第二章 北京で彷徨う女たち
第三章 女強人(女傑)の擡頭
第四章 文革世代と八十后と小皇帝たち

おわりに 『大地』から始まった中国への旅

気になった個所の紹介です。

「私は人前では日本語を話さない。日本人とばれたら面倒だ。下手な中国語で不審に思われたら、モンゴル族の作家小胡と名乗ることにした。」(18頁)
→私の場合は、時に自分は韓国人だということにしました。山東省は韓国人が多いので、その方が都合がいいのです。事実、ある時、付き合いで中国人を交えて飲みに行った際、酔った彼は、日中戦争時代のことを持ち出して絡んできたのです。その場に日本人は私一人で、その頃はまだほとんど中国語がわからなかったけれど、彼が何を話そうとしたのかはわかる気がしました。戦後世代は確実に「反日教育」を受けているので、自分が、自分の言葉で、しっかりと意見を言えない場合は、やっかいなことは避けるに限るのです。

「中国では依然、適齢期になれば結婚せねばならない、という社会的要請が強い。」(117頁)

「他者を受け入れ、自分の血肉とあわせて新たな命を生み出すのは、古今東西、女の性だ。それは生物学的な出産だけではなく、文化や思想をや価値観にも言えるのだろう。とオーセルの話を聞いていて思う。新しい命を生み出すときは、壮絶な痛み、時に流血を伴うが、女は生まれながらに痛みと流血に耐性がある。」(179頁)

八十后というのは、1980年以後に生まれた方たちを指す言葉で、当然九十后という言葉もあります。
このように世代が違うと、言動や習慣が全く異なってしまうこともあり、中国という国の、人々の変化のスピードに戸惑うこともあります。
日本でそれを表す適当な語というなら、「バブル」、「新人類」という言葉が流行した時代や、人たちのことかもしれません。
とにかく、この本に登場する様々な女性たちそのものが、今の中国であり、これからの中国の変化や発展を背負い、また時代に翻弄されながらも、強く生きていくのでしょう。


潜入ルポ 中国の女/福島 香織

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著者:池澤夏樹
出版:集英社 / 2008年 / 単行本
ジャンル:エッセイ

作家の池澤氏がフランスに移り住んでから書かれたエッセイ集の、『異国の客』(2005)に次ぐ2冊目。
前作を読まずにこちらを手にしましたが、これだけでも十分楽しめます。
政治、という意味での背景は、シラク前大統領からサルコジ大統領に代わるころになります。

<目次>

聖マルタン、愛知万博、植民地の料理、車を燃やす
クリスマス、EUと多言語社会、コープランド、ブルギニョン
厳寒体験、エネルギー問題、全世界が流謫の地
街頭民主主義、社会サービスの質
スコットランドの縁ふたつ
ピカソの見かた、書くための出発
マテラッツィが言ったこと
川辺の公園、共和国、独立戦争
冬の到来、エッフェル塔、敗者の歴史
カルメン、モンブラン、南部高速鉄道
ケ・ブランリーとディズニーランド
ラング・ドッグの語学学校、サルコジ、ソミエール
フランスの景観、アズールとアスマール
修理するアフリカ人、翻訳文化、フランスの変化
サン・ナゼール、交通の方針
ニ十歳の頃、町の事件、異国としての日本
フィレンツェ、ドゥオーモ、工学的関心
セーヌ川を船で行く あるいは内水面の文化史
あとがき

気になった個所のご紹介です。

「しばらく前、たとえばアメリカ合衆国の人種問題を論じるのに、坩堝(るつぼ)かサラダ・ボウルかという議論があった。」(22頁)
→これ以上引用しませんが、このくだりは大変面白い。

「(前略)イスラム教とキリスト教の違いはやはり大きな障害なのだ。なぜならばこの二つはよく似ているくせに決定的に違うから。どちらも契約の宗教であり、一個の神を信じ、その神が微妙に、しかし絶対的に違う。東アジアの人たちとはまったく違う。そういう人たちが今や人口の一割近くいる。」(26頁)
→もちろん、フランスのお話。契約の宗教というのは、気づきにくいが大事なところ。

「スイス人にとって母国語とは何か?憲法で認められた先の四つの言葉すべてを指すのか?大事なのは人生の最初に習得し、日常最も多く使っている言葉、すなわち母語である。」(35頁)

「スイスに、あるいはヨーロッパにのどこかにいると、言語は一つではないということを忘れる時がない。母語を異にする人と話をする機会は多いし、それは可能であり、意味が深いということを日々の生活の中でいやでも教えられるのがヨーロッパの言語生活ではないか。」(37頁)
→中国という大きな国でも多くの言語が存在しますが、共通語はお上から押し付けられたもの、以外の何物でもないんですね。

「森は多神教的で、砂漠だけが一神教を生み出せたのではないかと考えてみる。ここでは森そのものに添わなければ生きていけない。」(55頁)
→「ここ」はフィンランド。

「では、大衆による街頭民主主義は信頼できるか?(中略) 大衆は感情に流れて誤るかもしれないが、エリートもまた別の理由で錯誤を犯す。そして、政策の対象になるのはやはり民衆の方なのだ。」(68頁)
→フランスのデモとストライキに関する考察。

「労働者を正規の社員として採用せず、多くの従業員を臨時雇いのまま不安定な雇用状態に留めるというのは日本の多くの企業が取っている方法である。そこには二年に限るという歯止めも、二十六歳未満という制限もない。要するに日本ではすでにCPEなるものが広く成立してしまっている。」(73頁)
→CPE:初期雇用契約とは、フランスにおいて2006年に立法化された若者を対象とした雇用形態をいう。(Wikipediaより)

「日本では社会とは与えられたもの、使いこなすものであって、自分で組み立てるものではない。その点では家電製品に似ている。マニュアルがあればいいので、誰もそのために電気工学を学ぼうとしない。また、そこにはプラグを抜くという選択肢はないかの如くだ。」(77頁)

「イギリスという国がヨーロッパの隅にある島国でありながら、それを微妙にねじれた形で自認しながら、それでもむしろアメリカ合衆国やカナダの方に親近感を持っている理由の第一は言葉であり、それから血統なのだろう。」(87頁)

「ゴーギャンならば一点の絵を何時間もかけて見ることに意味がある。絵の中に居住するという感じ。しかしピカソの前では時間を止めてはいけない。つまりピカソという画家はミュゼ的ではないのだ。」(93頁)
→ミュゼ:美術館,博物館

「顔というのはそれ自体が濃縮された意味の図像である。われわれは何よりも人の顔を読むことに修練を積む。猟師が獲物の足跡を読むように。」(167頁)

「(こういう用語がすんなり使えることからもわかるとおり)、ディズニーランドの基礎にある神学は実は工学なのだ。」(176頁)

「公益とは社会の益だ。前提という社会の概念がヨーロッパと日本では違うような気がする。日頃から頻繁に使っている言葉であり、もうすっかり定着したかのようだけれども、江戸期まで遡ってみれば日本には「社会」という言葉はなかった。当時あったのは「世間」だ。」(199頁)

「日本語で「さようなら」と言う。語源に戻って考えれば「もしもそうならば」という意味だ。「もしも状況がわれわれにとって別れを強いるならば、しかたがないからお別れしましょう」だろうか。」(217頁)

ぼく自身が日本語というものを考えるとき、やはり作家の片岡義男氏の影響が大きい。アプローチは異なっていても、池澤氏の言語に対する考え方には、大いに共感できる。

セーヌの川辺/池澤夏樹

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