一時帰国中、コロー展を神戸市立博物館で観てきました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot, 1796年7月17日 - 1875年2月22日)は、19世紀のフランスの画家。
Wikipediaより引用。
絵をご覧になる方が、ぼくと同じ感性を持たないだろうと前置きしたうえで、ぼくの絵との付き合い方を少しお話します。ただし、ぼく自身絵の勉強をしたことも、お話を聞いたこともありません。素人が個人の趣味として観にいくだけのことです。
絵を観ることに、特別構えることはないのですが、観終えたあとはいつも、かなりのエネルギーを失っていることに気がつくのです。
ある種の緊張が解けたような気分です。
何度かこんな経験を繰り返し、自分でその状況を分析しました。
ぼくは絵と精神的あるいは霊的な部分で、対決をしているのではないのか。
馬鹿なお話と思われるかもしれません。
絵というものは、画家がその場でさらさらと描きあげるもの、なのでしょうか。
スケッチをし、デッサンを決め、その後は画家本人の想像力によって絵筆が使われます。
人にもよるのでしょうが、何か月・何年とかけて完成する絵もあると聞きます。
これもある雑誌で読んだことですが、画家がその精神を、魂を削って描いた絵の内部には、ある種の念、あるいは怨念のようなものが残されている、といわれます。
特に人物画には、その傾向が強いとぼくは感じます。
まして百年いやそれ以上の年月を超えて、人々に愛され評価される絵というものには、何らかの霊的作用があるとぼくは感じます。
そこにぼくは生身の人間として、今という瞬間で対峙するのです。
この画家はこの絵に何を描きたかったのか、真実の眼で描かれたものか、それとも創造物なのか。
きっと誰にも答えは出せないのです。
描いた画家本人のみが知ることであり、それを感じることができるのは、その絵に直接出会ったその人のみなのです。
だから、ぼくは絵を観るのです。
時空を超えた人と同じ空間に存在する機会は、人生の中にそう何度も起きないはずです。
今回は予定を入れていたのもあって、自分なりにエネルギー・セーヴをしていました。
そう思っていても、ビシビシ刺激を与えてくれる作品に、いくつか出逢えました。
1時間20分ほどで観終えたあとは、それでも博物館内部の図書室で10分ほど座り込んでいました。
ぼくが感性対決してきた作品です。
「<少年と山羊> 1847年 」
「<アルフレッド・シスレー> 1874年」
「<緑の岸辺> 1865年頃」
「<青い服の婦人> 1874年」
”青い服の婦人”は有名な作品ですね。
コローの作品は風景が多いようですが、その光の使い方が素敵です。
特別展のテーマに、なるべくしてなっていますね。
「特別展 コロー 光と追憶の変奏曲 」神戸市立博物館
12月7日までの開催です、お時間のある方、興味のある方は足を運んでみてください。

左側はミュージアム・ショップで購入した”青い服の婦人”のクリア・ファイルです。