音ぼけもののけ手記

---hiroya's ramblings---

気がつくと北米にきて15年。作曲、音楽活動をしている三浦寛也の日常。

Diary of Hiroya Miura, composer, improvisor, semi-professional procrastinater
a little too official bio


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お知らせが遅れましたが、ブログを引っ越しいたしました。よろしくお願いします。

idlehiroya.blogspot.jp
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 大統領選明け。昨夜はメトのオペラハウスで蝶々夫人を観劇していた。しかし周りの人は選挙結果が気が気でないらしく、休憩ごとに知人に電話して近況を確かめている。80代の男性が、一幕の後の休憩中、突っ立っていた僕を呼び止めて、”ペンシルバニアを民主党が制したんだ、信じられない!”と言う。”君は生まれていなかったけれど、テオドア・ルーズベルトが大統領になった頃と今の情勢は似てるんだよ。私の家は貧乏だったけれど、姉がよく働いて、子供だった私と家族を支えてくれていた。あの選挙でルーズベルトが大統領になったからアメリカは立ち直れたし、我々はドイツやイタリアのようなファシズムに走ることも免れた。今のオバマには、あの時のルーズベルトのような働きを期待してるんだ。”
 蝶々夫人の一幕が終わったのが9時頃、すでに民主党が共和党層が従来固いペンシルバニアを取った時点で、勝負は決まっていた。オペラ・ハウスから帰る地下鉄からは、ハーレムで歓声を上げながらパレードする人々が見えた。
 
 僕もひと安心。

 蝶々夫人に話を戻す。English Patientの監督、Anthony Mighellaの演出。
シンプルで、色使いがきれいだと思ったが、今ひとつ馴染めないものがあった。
そもそも、バタフライの衣装と舞台に満足できるものが少ないのは、日本人の性かもしれない。

 特記すべきは、バタフライの息子が人形であったことだろう。しかも、浄瑠璃の伝統にのっとった黒子さんつきの人形である。また2幕の第2部の長い前奏部分では、チョウチョウさんも人形となって、ピンカートンを模したダンサーと舞っていた。

 ここでひとつ問題。

 チョウチョウさんと息子は運命に翻弄されるだけの”人形”でしかないのか?

チョウチョウさんは恋のために、自分の家族も宗教も捨てて愛した男と一緒になり、待ち続け、さらには息子のために自らの命を絶ったインディペンデントで激しい女性。サイードが指摘するように、’東洋の従順な女性=西洋にひざまずく東洋’という図式をそこに見るのが一般的だけど、僕がチョウチョウさんみたいに、女性にあれほどまで忍耐強く待たれたら困るのではないかと思う。チョウチョウさんはピンカートンの被害者かもしれないが、”ひたすら恋に生きて、それを守り続ける一人の女”であって初めて彼女がヒロインとなり得る。

 ではその息子は?

 オペラのチョウチョウさんがピンカートンを待っていたのは3年間。とすると、息子は2歳半そこそこだろう。とすれば、言葉を話さないのは仕方がない。人形であってもうなずける。
ロングの原作では、彼は赤子。そうするとピンカートンは1年で戻ってきた計算になる。
プッチーニがロンドンで見たベラスコの戯曲バージョンでは、ピンカートンは2年で戻ってくる。
ということは、3年後に大団円が設定されているオペラの息子のキャラが一応は、もっとも成長していることになる。

 なぜか?

 プッチーニのオペラでは、息子は言葉こそしゃべらないものの、歩き回ったり、遊んだりするシーンが印象的である。また延々と続く最後のチョウチョウさんのアリアは、息子への別れを告げるという確固とした意図がある。それを黙って聞く息子はチョウチョウさんの言葉をなんらかは理解しているだろう。
 
 この、発話しなくとも黙ってきいている、というポイントが重要である。 

先ほどのオリエンタリズムという図式に戻ると、この黙って聞いている息子こそが、近代=西洋化の波に呑まれて行く日本と、西洋/東洋という鏡の中で自信喪失していく日本そのものを暗示しているのではないか。聞いてはいても、自分の行動がとれずにいる日本・・・

 この蒼い目と透き通る肌をした、Dolore(悩み)という名の息子は、島田雅彦氏と三枝成彰氏のJr.Butterflyとなる。

11月11日、ドナルド・キーンセンターで、このオペラについて島田氏にお話を聞くことになっている。
島田氏の本を初めて読んだのは10代の頃。実際にお会いできるなんて、今からわくわく・・・


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Junior Butterfly

Masahiko Shimada
Author

6:00 PM – 7:30 PM, Tuesday, November 11th

Donald Keene Center of Japanese Culture
403 Kent Hall, Columbia University

The acclaimed Japanese author Shimada Masahiko will discuss the libretto he wrote for this opera, with reflections on Japanese and American relations past and present. Following his presentation, and a screening of selected scenes from the opera, there will be respondents: Gary Okihiro (Professor of International and Public Affairs, Columbia University) and Hiroya Miura (Composer, Conductor, and Assistant Professor of Music, Bates College).

Shimada began his career by winning the Noma Bungei Award for First Novels in 1984, and he has since written more than 70 books, including many volumes of "postmodern" fiction about contemporary Japan. His novel "The Dream Messenger" was translated into English and published in 1994.
Recent projects have included two opera librettos and participation in a poetry boxing match. Most recently, Shimada published his serial fiction piece "The Idle Prince" in a leading newspaper and as a cell phone novel.

He is also an actor, including roles in the controversial "Tokyo Decadence" and the 2008 film "Out of the Wind."

He has taught at Columbia University and lectured at the University of Toronto, and he is now on the faculty of Hosei University. He is at Columbia this year as a special envoy from the Japanese Ministry of Culture given his importance in the field.


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今年はどうもオペラづいている.

9月にはDouglas Geersの9・11の個人的経験に基づいたオペラ”Calling"の指揮をしていた。
オペラの指揮は初めてで、いかにオペラが生ものであるかということを痛感した。ライブパフォーマンスの醍醐味そのものである。

ありがたいことに、いろいろなところで紹介、また批評して頂いた。

New York Times

サンケイ・エクスプレス

今日はRobert Lepageがメト・オペラで演出デビューを飾るベルリオーズのファウストの劫罰のゲネプロを見てきた。大統領選挙にも関わらず、無料ということもあってか、かなり人が入っていた。
ルパージュは、モントリオール時代から注目し続けてきた演出家、監督で、二次元と三次元空間を錯綜させてしまう舞台演出は、彼独自のもの。

このメトのプロダクションは、事件である。

レヴァインとメトオーケストラのタイトなアンサンブルが、舞台に恐しいほどまでに呼応していて、プロジェクションと鏡を駆使した舞台に立つ歌手たちに絡む。歌手の姿は、鏡と影のダブル、トリプルのイメージと重なり、メフィストフェレスにしか見えない人間像を透視する。
スーザン・グラハムの肉感的でいながら天使のような声と、メフィストフェレスを演じたジョン・レリアのカリスマもただ事でない。

ただ一つ癖を付けるとすれば、鏡を使った演出で、時折指揮をしているレヴァインが舞台上にあらわれること。バルコニーから見ていたので、投射する角度の問題化とも思われるが、最初に気づいたときはちょっと驚いた。しかし、彼の指揮が今日はピカイチに冴えていて、反射する彼の姿は、もう一人の狡猾なメフィストフェレスを思わせる。これは実は計算ずみなのか?実は、この土曜日、近所の安いレストランのテラスで、レヴァインが連れの3人とラフな格好で食事をしているのを見かけたばかり。神出鬼没・・・まさに悪魔的だ。

最後に作曲家として考えたこと。ベルリオーズは異常である。ファウストのオンガクの、あの俗っぽさと誇大妄想さは、マーラーのイマジネーションを凌駕しているかもしれない。今更ながら。

ベルリオーズはルパージュの演出を気に入るだろうか?

オペラと言えば・・・・
来週は、私がドナルド・キーンセンターで、レスポンダントとして参加することになっている、島田雅彦氏原作、三枝成彰氏作曲のジュニア・バタフライを見ながら、島田氏とのディスカッションがあります。

そんなわけで、今晩はメトに戻り、予習のため(笑)蝶々夫人を見てきます。

オペラづくしの大統領選挙日。




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 僕が3年前コロンビアで学士過程の生徒に作曲を教えていたとき、Rostam Batmanglijという変わった奴がいた。名前からして”バットマン”グリだし、(彼の両親はペルシャ系のイランからの移民、お母さんはペルシャ料理の権威である)最初から人を食ったようなところがあって、素直なのに頑固、面白くないと思ったものには、相手が誰であろうと歯に衣着せぬ言葉で論破していく、小気味よい性格。
時々、This chord is really Wabi-Sabi! とか、What do you think of a Tokugawa smile?とか訳の分からないことを僕に口走ったり、お互い作曲のレッスン中に全く関係のない映画の話題で盛り上がったりして、毎週のクラスが楽しかった。

 先週久々に彼からメールが来た。ツアー中のハワイから。彼がプロデュース、作曲、キーボードを手がけているバンド、Vampire Weekendが、8月、東京のサマーソニックフェスティバルに出るらしい。(ちなみに、Vampire Weekend のOxford Commaのミュージックビデオは、もろにウェス・アンダソンとゴダールである・・・3年前、ロスタムはゴダールがまだ生きているのを知らなくって、フィルムフォーラムに映画見てこいよ、なんて話していた頃が懐かしい)

 卒業してからも、彼からはmp3音源付きのメールが来たりしていてバンドを始めたのは知っていた。しかし結成1年半で、イギリスのNEMからBest Live Band in the US とお墨付きをもらい、雑誌の表紙は飾るわ、テレビには出まくるわ、インディーバンドとしては、大快挙であろう。

 頑固に三和音で作曲をしていた彼の3年前。今バックでかかっているVampire Weekend のデビューCDからも、如実にその彼のくせが出ていて思わずにやりとしてしまう。長3和音を多用して、機能和声で作曲すると、古典派の野暮ったい真似になるところを、彼は機能和声の機能を最小限にまでおとして、ミニマルに曲を構成していた。ばりばりモーツァルトみたいなパッセージを書いても、しっくりとうまく収めてしまうのは、今思うと彼の才能だったのだろう。妙に斬新だった。

 このとにかく明るいコロンビアの後輩4人組が作る、洗練されたパンクサウンド(What an oxymoron!)というのが仮にあるとすれば、Vampire Weekendに他ならない。

 日本の皆さん、こいつらをよろしく。

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ニューヨークに1週間いて,4本の映画を見た。

まず週明けの月曜日は、カンヌで昨年審査員賞を受賞した河瀬直美監督の殯り(もがり)の森と、同氏の垂乳母(たらちめ)というドキュメンタリー作品。殯りの森は大好きとは言えなかったけれど、引き込まれるパワーがあった。不気味であり、かつ美しい奈良の森が生き物のようで、そのじわじわとした時間性が独特。演技もすごい。素人とは全く思わせないうだしげき氏は圧巻であった。垂乳母(たらちめ)も、Exploitationという気がしないでもないが,あそこまで徹底したら文句は付けられない。

その2日後、Hunter S. Thompsonの生涯を、生前の記録フィルムと、インタビューをつなぎ合わせて,Johnny Deppのナレーションと共に綴ったGonzoを見る。ThompsonのFear and Loathing in Las Vegasは原作も読んだし、映画も見ているが,彼の生涯については知らなかったので、勉強になった。もう70年代初頭に、アメリカン・ドリームの死を宣言した彼が、35年近くたってから自殺するのも腑に落ちない。ほんとうにブッシュの再選という出来事が、彼の絶望を決定的なものにしたのだろうか。時代の寵児だったといえばそれまでだけど、あそこまで熱くなれるジャーナリストはあと100年しても出てこないだろう.(あんな人がそうたくさんいても世間は大変困るけれど)

それからCatherine Breillatの新作Last Mistress (La vieille maîtresse)を見る.ちょっとがっかり。彼女は今までショッキングな作品を作り続けてきただけに、耽美的で良い感じにデカダンな歴史ものは、ぴんとこない。

最後の日はフランス映画をもう1作。Tell no one(Ne le dis à personne)はよくできたサスペンス。
よく計算されていて,ちょっとミステリの作りに無理があるような気がするけれど、アガサ・クリスティーとか,ああいう上質のサスペンスの香りがする。パリのbanlieuの状況もちょっと出てきて面白い。

帰ってきてからアラーキーのドキュメンタリーをDVDで見たけれど,その話はまたあとで。

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先週はモントリオールへ行っていた。(映画は1本しか見られなかった・・・いかん!)
ホウ・シャオシェンのレッドバルーンをやっとメーンに戻ってきて見ることができたのは2日前。

ミラクルとしか言いようが無い。
自分が風船になってしまったような錯覚を起こさせる。悲しいのに幸せ。細密で大作なのに軽い。
映画にしかできないミラクル。小説でも、詩でも、オペラでも、絵画でもない、映画。

今日はもう1度見る為に同じ映画館へ足を運んだ。予習の為にフラワー・オブ・シャンハイと、好男好女も見ておく。

彼は光の魔術師である。フラワー・オブ・シャンハイはフェルメールの絵のようだし、好男好女は光の寒暖のコントラストがすばらしい。

ホウ・シャオシェンにぞっこんである。


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1年近くもブログを更新していなかった。何か良いきっかけを見つけて再開しようと思っているうちに、また時間が経って行くので、取りあえずひっそりと何かを書き出すことにする。

今日から1年間で、1週間に3-4本のペースで映画を観ることを心に決める。
先週土曜日は、Wong Kar Waiの新作My Blueberry Nights、水曜日は午後にゴダールのVivre Sa Vie (邦題は女と男のいる舗道って言うんですね!)、夜にSex and the City(なんという組み合わせ)を映画館で観た。今日はdvdで堤幸彦の2LDK。

My Blueberry Nightsは一般評はあまり芳しくなかったようだけれど、Wong Kar Waiのお決まりのカメラワーク、色彩、センチメンタリスムの要素がすべて出ていて、とにかく気持ちがよい。Self-indulgentだけれど、許せてしまうのはなぜだろう?Bertolucciにも共通するセンチメンタリスムと映像美。

Vivre Sa Vieはあたらしい35mmフィルムに焼き直された版らしい。Film Forumのゴダール特集の一環。
何度も観ているけれど、観たあとの後味の悪さと、つんつんとしたAnna Karinaの美しさはいつも変わらない。ゴダールは心底好きと言えないけれど、エピソディックな構成がぶっきらぼうで癖になる。

腕を引っ張られながら行ったSex and the Cityは30分で立って帰ろうと思った。これほど気分の悪くなる映画も近年無かった。
テレビのエピソードをいくつかは観ていたが、30分なら流せる中身の貧困さも、2時間ともなると堪え難い。プロットは明け透けで予定調和だし、演技もひどい。最後には、ニューヨークの俗悪で薄っぺらい層の話をわざわざ映画館で金を払ってみている自分に腹が立った。

2LDKは面白かった。限られた材料であれだけ引っ張って行く監督の力量に感心した。野波麻帆と小池栄子の演技もすばらしい。

さて明日は何を観ようか。





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昨日1日学校に居て、夜10時半に家に着き、さっさと零時に寝床に入ったところで電話が鳴る。半分寝ぼけて”hello.”と出る。向こうの女の声はどうも僕のクルマのガラスが割られたらしい、と伝えている。

次の日ニューヨークへ南下するつもりで、家から離れた駐車場ではなく、家のすぐ側に路上駐車したのが仇になった。といっても週に3-4度は、路上駐車をしている。運が悪かったというほかない。話が長くなるのでここには書けないけれど、警察の調書を取られるのはもうなれっこ。割られたガラスをガムテープとポリ袋で塞いでまず寝る。

今朝一番に街のガラス店に電話を入れると、今日中には直せるという。郊外にあるガラス屋で1日中待つことは論外。そこでおぼろげに大きなショッピングモールと、Bordersという本屋がその近くにある事を思い出し、水筒にコーヒーを煎れ、ラップトップを持ってガラスの破片が見事に散らかったクルマに乗る。ガラス店では、工場用の大きな眼鏡をかけた、職人肌ではありながら人当たりも決して悪くない、といった感じのおじさんが応対してくれる。
“ちらかった破片もきれいに片付けるから、心配しなくていい。”とのこと。
ひと安心して、意を決して、決して近くないショッピングモールへ数歩歩き出すと、友達のダンサーから電話が入る。

ニューヨークの多くのダンサーが才能とキャリアの有無に関わらず、ダンスだけでは食べて行けないという例に漏れず、彼女もいろいろな事をして食いつないでいる。

このニューヨークで、ひと月800ドルで生きてるのよ!と彼女。

僕も7-8年前はそういう生活だった。あの頃はもう少し家賃も物価も安かったが、現在のニューヨークは、2000ドル以下の物件がほとんど皆無。そんな状態で、彼女のような生活をするのは神業なのだ。風邪を引いてちょっとグランピーな彼女の苦労話を聞きながら、ふと我に変えると、クルマ通りの激しい幹線道路を歩いているのは自分一人。時々ゴルフコースから飛んでくる流れ玉に身をすくめながら、電波と道路の騒音でかき消されてきた彼女の声がついに途切れたあたりで、歩道もぷつんと消えてしまった。今度は身体すれすれに走ってくるクルマに気をつけて更に歩くこと40分。やっとショッピングモールに着く。

モールの向こうにある本屋に行くのに、今度は茫漠とした駐車場を横切る。いつもクルマで10分かかる距離を40分かけて歩くと、遠くに見える本屋の”Borders”という看板が神々しくさえ見えてくる。WendersのParis, Texasじゃないけれど、アメリカの郊外を延々と歩くと、だんだん自分が内向的になっていくのが分かる。カナダ、モントリオールのこれまた郊外のハイスクールに行っていたとき、ある日朝寝坊して学校をさぼって、近くのショッピングモールまでバスに乗ったことを思い出す。妙にまたノスタルジックになってきたところで、ちょっと自分に歯止めをかける。

アメリカでも、カナダでも、日本でさえも(ラーメン屋とパチンコ屋の林立を除いて)郊外はほとんど同じに見える。均質化された風景。薄っぺらな分譲住宅の家並や、大きなショッピングモールや、歩道のないクルマ通りは、実は最も国際的なものかもしれない。その死ぬほど退屈な国際的な風景に誘導されて、感覚がそこから内へ内へと向かったところでできた心象風景、という図式はアメリかのロードムービーに欠かせない構成要素ではないだろうか?

インディアンの弓矢さながらに飛んでくるゴルフボールをかわし、茫洋とした砂漠のような駐車場を“Borders”に向かって歩いていたら、”駅馬車”のプロットを思い出した。ふと、ジョン・フォードとヴィム・ヴェンダースとデビッド・リンチを比べて見たらおもしろいかもしれないと思う。ウェスタンというジャンルを飛び越えて、“駅馬車”をロードムービーとして見たら、意外とヴェンダース(Paris,Texas)とリンチ(Straight Story)の主人公たちが、あるべきところにあるFrontierをなくしてしまった(あるいは飛び越えてしまった)内向性と孤独がもっと良く見えるかもしれない。

昨日ブッシュ大統領が5700人の兵力を今年のクリスマスまでに撤退するという、安倍首相の辞任に勝るとも劣らない唐突で無責任な発表をした。

あれほど孤独なプレジデントはいるまい。

彼は自分の孤独さに、本当に気づいていないのか?もし気づいていながら、確信犯的に“So-and-so is my friend, a good friend…”という口上をきり続ける彼は、レーガンやニクソンを越える名優として歴史に残るのかもしれない。
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6月末からアメリカで公開されている映画、No End in Sightを見に行く。
イラク戦争についてのドキュメンタリーで、今風に、現地の人々や兵隊をなまなましくCinema Vérité風に撮るのではなく、徹底して政治の舞台裏でどう人が動いたか、という一点に焦点が当てられている。編集力にまず感心。

この映画に、始めからこの戦争が想像を絶するほどずさんなやり方で進められてきた事を思い知らさせる。愕然とする。

第二次世界大戦ではアメリカ政府が降伏後のドイツをどう統治するか、2年間入念に準備をしたのに比べ、今回イラク統治の為の特別機関、復興人道支援室(ORHA=Organization for Reconstruction and Humanitarian Assistance) が設立されたのは、戦争の始まる僅か50日前。コンピュータも机もないような、廃墟のようなペンタゴンの一隅に、アラビア語のできる人材がほとんど皆無という状況から始まって、彼らが実際にイラク入りを果たしたのは、戦争が終わった1週間後。そこからひと月もしないうちに、連合暫定施政当局(CPA)の局長ポール・ブレマーと、ラムズフェルドがほとんど独断で、イラク軍、イラク国防省、情報省をすべて解体、その時点でこの戦争はまったくの泥沼。Reconstructionどころか、50万人ともいわれる、職を失ったイラクの兵隊や官僚たちは、武器を取り内戦に加担することになる。
指導者不在の状況で続けられている戦争そのものが、まるで意志を持ったかのように、デモーニックに混乱を深めて行く過程が、かっちり整理されていた。

2001年9月11日の朝、僕はニューヨークにいて、クラスでストラヴィンスキーの春の祭典の分析をしていた。あのときの抜けるような青空の気持ちの良さと、自分の手の届かないところで(しかし実に身近に)何か大変なことが起こってしまった、という相反する思いが妙に生々しかった。

あれから、この泥沼である。

ますます手の届かない大変な事になってしまった。自分に何ができるのだろう。
と同時に、でも僕はアメリカ人じゃないから、という醒めたスタンスで物事を見ている自分が居て、いやになる。

最低でも、考え抜く事。少なくともそこからしか始まらない。



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