No End in Sight | 音ぼけもののけ手記

音ぼけもののけ手記

---hiroya's ramblings---

6月末からアメリカで公開されている映画、No End in Sightを見に行く。
イラク戦争についてのドキュメンタリーで、今風に、現地の人々や兵隊をなまなましくCinema Vérité風に撮るのではなく、徹底して政治の舞台裏でどう人が動いたか、という一点に焦点が当てられている。編集力にまず感心。

この映画に、始めからこの戦争が想像を絶するほどずさんなやり方で進められてきた事を思い知らさせる。愕然とする。

第二次世界大戦ではアメリカ政府が降伏後のドイツをどう統治するか、2年間入念に準備をしたのに比べ、今回イラク統治の為の特別機関、復興人道支援室(ORHA=Organization for Reconstruction and Humanitarian Assistance) が設立されたのは、戦争の始まる僅か50日前。コンピュータも机もないような、廃墟のようなペンタゴンの一隅に、アラビア語のできる人材がほとんど皆無という状況から始まって、彼らが実際にイラク入りを果たしたのは、戦争が終わった1週間後。そこからひと月もしないうちに、連合暫定施政当局(CPA)の局長ポール・ブレマーと、ラムズフェルドがほとんど独断で、イラク軍、イラク国防省、情報省をすべて解体、その時点でこの戦争はまったくの泥沼。Reconstructionどころか、50万人ともいわれる、職を失ったイラクの兵隊や官僚たちは、武器を取り内戦に加担することになる。
指導者不在の状況で続けられている戦争そのものが、まるで意志を持ったかのように、デモーニックに混乱を深めて行く過程が、かっちり整理されていた。

2001年9月11日の朝、僕はニューヨークにいて、クラスでストラヴィンスキーの春の祭典の分析をしていた。あのときの抜けるような青空の気持ちの良さと、自分の手の届かないところで(しかし実に身近に)何か大変なことが起こってしまった、という相反する思いが妙に生々しかった。

あれから、この泥沼である。

ますます手の届かない大変な事になってしまった。自分に何ができるのだろう。
と同時に、でも僕はアメリカ人じゃないから、という醒めたスタンスで物事を見ている自分が居て、いやになる。

最低でも、考え抜く事。少なくともそこからしか始まらない。