今年はどうもオペラづいている.
9月にはDouglas Geersの9・11の個人的経験に基づいたオペラ”Calling"の指揮をしていた。
オペラの指揮は初めてで、いかにオペラが生ものであるかということを痛感した。ライブパフォーマンスの醍醐味そのものである。
ありがたいことに、いろいろなところで紹介、また批評して頂いた。
New York Timesサンケイ・エクスプレス今日はRobert Lepageがメト・オペラで演出デビューを飾るベルリオーズのファウストの劫罰のゲネプロを見てきた。大統領選挙にも関わらず、無料ということもあってか、かなり人が入っていた。
ルパージュは、モントリオール時代から注目し続けてきた演出家、監督で、二次元と三次元空間を錯綜させてしまう舞台演出は、彼独自のもの。
このメトのプロダクションは、事件である。
レヴァインとメトオーケストラのタイトなアンサンブルが、舞台に恐しいほどまでに呼応していて、プロジェクションと鏡を駆使した舞台に立つ歌手たちに絡む。歌手の姿は、鏡と影のダブル、トリプルのイメージと重なり、メフィストフェレスにしか見えない人間像を透視する。
スーザン・グラハムの肉感的でいながら天使のような声と、メフィストフェレスを演じたジョン・レリアのカリスマもただ事でない。
ただ一つ癖を付けるとすれば、鏡を使った演出で、時折指揮をしているレヴァインが舞台上にあらわれること。バルコニーから見ていたので、投射する角度の問題化とも思われるが、最初に気づいたときはちょっと驚いた。しかし、彼の指揮が今日はピカイチに冴えていて、反射する彼の姿は、もう一人の狡猾なメフィストフェレスを思わせる。これは実は計算ずみなのか?実は、この土曜日、近所の安いレストランのテラスで、レヴァインが連れの3人とラフな格好で食事をしているのを見かけたばかり。神出鬼没・・・まさに悪魔的だ。
最後に作曲家として考えたこと。ベルリオーズは異常である。ファウストのオンガクの、あの俗っぽさと誇大妄想さは、マーラーのイマジネーションを凌駕しているかもしれない。今更ながら。
ベルリオーズはルパージュの演出を気に入るだろうか?
オペラと言えば・・・・
来週は、私がドナルド・キーンセンターで、レスポンダントとして参加することになっている、島田雅彦氏原作、三枝成彰氏作曲のジュニア・バタフライを見ながら、
島田氏とのディスカッションがあります。
そんなわけで、今晩はメトに戻り、予習のため(笑)蝶々夫人を見てきます。
オペラづくしの大統領選挙日。