愛って言葉、声に出して言ったり、文字に書いたりするのってちょっと照れくさいっていうか気恥ずかしい感じしますよね。いやぁ、そんなことないよって人もいるんでしょうけど、やっぱり”愛”って言葉の重み、深み、真剣さみたいなものを考えるとちょっとワンランク上の言葉のような気がします。
このアイっていう字には”哀”っていうのもありますが、一転して寂しい悲しい感じになりますね。”藍”っていうのは、「美しい装い」という花言葉もあるように、すごく鮮やかな染料に使う花で艶やかなイメージがあります。合(相)っていうのは、一番”愛”と相性がよいように「出会い」や「仲間」のような意味があって、”相思相愛”って言葉もあるぐらいです。
愛の字は、旡 心 夂 の3つの文字から成り立っていて、旡は、人間が食べ物をたくさん食べてお腹がいっぱになりお腹をつき出している姿を表していて、夂は足の形が変形して引きずっている様を表しているそうで、愛とは
心が胸いっぱいに満ち溢れていて
切なく足もそぞろにひきずっている
という痛々しいほどの純粋さを表現しています。
親子愛、兄弟愛、師弟愛、愛息、愛犬、友愛、博愛など愛に関する言葉はたくさんありますが、愛という字の意味を知るとそう安々と軽々しく使えない気さえします。
思春期になると愛や恋について誰しも哲学者と化し、語り、笑い、泣き、怒り、青春という名の恋愛小説を紡いだりしますが、大人になるとなるで、悟りを開いた導師のごとく、しかし、また、語り、笑い、泣き、怒り、ロマンス小説などを紡いだりします。
愛って何でしょうね。
新約聖書では、
真の愛は、自分の持つすべてのものを
相手に与えても惜しいものではない。
と言い、
作家 有島武郎は、評論「惜みなく愛は奪ふ」で
人を愛するということは、
相手のすべてを奪って自己のものにしようとすることである。
と言う。
有島武郎は愛を語り、愛に身を投じ、「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と遺して自らの命を絶ってしまった。
有島武郎の作品「小さき者へ」は我が子への愛が溢れています。そしてとっても切なく哀愁に満ちています。この短編に収められたいくつかを抜粋しました。
「お前たちをどんなに深く愛したものが
この世にいるか、或はいたかという事実は、
永久にお前たちに必要なものだと
私は思うのだ」
「私はお前たちを愛した。
そして永遠に愛する」
「お前たちの若々しい力は
既に下り坂に向おうとする私などに
煩わされていてはならない。
斃れた親を喰い尽して力を貯える
獅子の子のように、
力強く勇ましく私を振り捨てて
人生に乗り出して行くがいい」
「母上の愛は遺書にあるように
お前たちを護らずにはいないだろう」
「不幸なそして同時に幸福な
お前たちの父と母との祝福を胸にしめて
人の世の旅に登れ。
前途は遠い。そして暗い。
然し恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。勇んで。小さき者よ」
親が子を愛する。子が親を愛する。一見当たり前のようですが、果たしてそうなんでしょうか。無償の愛を貫いているんでしょうか。昨今の社会を見回すと考えてしまいます。
でも、ひとりの人間であるからこそ、たくさんの内なる思いを胸に宿して、愛する人へ物へ全てを捧げることができるんだと信じたい。
小さき者へ の全文は
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大いに愛を感じてください。
そして、涙してください。
つづく...
