「写真を撮る」ということは、いま、自分が何を見ているのかを知る手がかりとなる。
わたしの暮らす土地は、夏のまんなか頃から、重い空気がたちこめていた。
異常気象。そのような、ことばで表現された。過去にない豪雨や大型の台風に、人々は翻弄され、今まで築き上げた暮らしや願いは、怒涛のような自然の中に、雨や泥の中に沈んだ。
晴れ間はなく、ただ白い空が続いて、光はあっても影はなくなり、抑揚のない単調な光は、何かを狂わせる。
リズム。人々に必要な時を知らせる光は薄くなり、わたしは、いつが朝なのか、夜なのか、わからなくなった。
長く重い雨の合間に、光がみえた。そう、久しぶりの晴れ間。
空、青かった。
夏がいつの間にかおわり、ほとんどの人が気づかぬうちに、秋が近くにいる。
桜の木の葉は半分がちらちらと黄色くなった。
誰も歩かない通路の脇で、センニンソウがかぐわしい甘い香りをただよわせていた。
歩こう。
気がつけば、空気は湿り気がなくなり、風は軽くなった。歩き慣れたはずの道は、また、あらたな道であった。
去年の今頃は、どんな景色だったのか。同じではないという花の色に、私は足を止めた。
「つゆ草」
初夏のみずみずしい和の青い色を、昨年は撮っていた。それは夏の入口であり、涼やかな朝の空気の象徴であった。ひそやかな時間の青い花。
それが、今年は、湿った夏の終わりに、濃密な緑の中で満開であった。
つゆ草の晩夏。降り続けて水がたくわえられた地に、青い色の星が、散らばって広がってる。
澄んだ青は。地に降る青い星。
青い花べんの中の黄色いメシベが、色をそえた。
それからゆっくりと、わたしは歩いた。
久しぶりにからだ中で感じる。熟した夏の終わりの陽ざしを、明るい光や透明なあたたかさを。かぐわしい乾いた香り。猛暑の去った緑の中に、秋の色。
名前を知らない三角のかたちの樹。樹の上の方は、あまい赤いリンゴの色だった。金木犀の小さなオレンジの花。
彼岸花は。その荒れくれた暴風雨の中で、花べんも色も失い、ただ若緑色の長い茎だけが、目立っていた。
わたしは、左側に曲がった交差点で立ち止まる。
道中に、花火。
脳裏に、ど、どーん、ど、どーんと音がする。
久しぶりの陽の光を、秋の樹の葉が小さく刻んだ。アスファルトのうえに、光のカケラが並んで落ちる。
光があるから、美しい影がある。
わたしは、地上の秋の花火に。
シャッターを切った。
