Moonlight Book ~ことばと写真・心象風景~ -4ページ目

Moonlight Book ~ことばと写真・心象風景~

心に沈んでいる佇む思いを、月の光はそっと照らして掬ってくれる。本当の自分を照らす光。ことばと写真で綴る記録。
個人サイト「Mellow-jam PHOTO」もよろしくお願いします。https://mellojamphoto.wixsite.com/mellow-jam

わたしは、セカンドルームを借りた時に、もう一度、本を読もうと思った。なぜだろう?

子どもの頃からずっと本となじみ深い関係をもっていたわたしだが、20代になったある時を境に、ぱったりと読まなくなった。
本を読む。そこには、さまざまな世界観が作家によって織りなされている。何もないところから紡ぎだされる世界に憧れをもち、感銘を受けながら、わたし自身は自分の言葉で何も語れず、何も書けない存在である、という劣等感にさいなやまされた。同い年くらいの若手の作家がたくさんいる。こんな言葉の組み合わせがあるのかと思わせてくれる詩や文を書ける人がいる。わたしはいつも「受け取る側」であった。

十代の頃に創作を試みなかったわけではない。原稿用紙に向かい、言葉を綴った。感傷的な何編かの詩、それから小さな短編小説。

「わたしは物が書ける人間ではない。」という思いは、才能のある作家への嫉妬心となり、そして本自体を拒否するようになった。もっと楽しくラクに生きればいいじゃないか。そうだ、母に「本当に、色々深刻に考えすぎるあなたって、面倒な子ね。」なんども言われたではないか。

そして、本を読まなくなった。

楽しく。どこかに穴の開いた暗闇には、他の多くの人と同じように、享楽を詰め込んだ。バブルの終わり、夜の街はまだ華やかだった。ユーロビートからハウス・テクノへ、マハラジャからジュリアナ東京へ。わたしも本の代わりに、光と音の方へ流れて身を任せた。

ーこの部屋で、何をしようかしら。
美しい気に入った白い部屋で、わたしはまっさきに「本を読む」ことを選んだ。
ひとつは、歳を重ねて、書かなくても「読める人間」で十分ではないかと感じたからだ。本は愉しかったはずだった。作家たちの描いた世界は心の底に美しい層を重ね、海底に沈殿したいくつもの層の砂は、堆積し、わたしの核になってきたはず。心の中に積み上げた美しい風景や映像は、たとえわたしが一文無しになったとしても誰にも奪うことのできない宝物だ。
そして、選んだ本は、高校の時に読んだ、リルケとヘッセだった。

前置き長いな。


ヘッセは「車輪の下」と「デミアン」を買った。
「デミアン」は、高校の時はよく分からず挫折した一冊だが、わたしの尊敬するシスターⅯより薦められた。
「あの話は、人間が”自分になる”話なんですからね。」
上智短大の教鞭をとっていたシスターは、上智短大が閉校となり、わたしの子どもの通っていた幼稚園に先生として来ていた。若い未熟なわたしたち、お母さん向けに、お茶菓子を用意して、神さまや聖書の話から、日常のさまざまな悩みにまで寄り添ってくれた方だ。
シスターⅯは、学生に教えていたように、わたしに「本の読み方」を教えてくれた。
気に入った本は「買う」。
1度目、読みながら、気になったところは線を引き、カードに書き抜く。なぜ、その箇所が気になったのか、気づきを書く。
2度目、また気になったところに違う線を引く。また、カードには気づきを書く。
3度目、そのカードが自分の考えた言葉になって、自分の血肉になる。その本からのいだたく恵みになりましょう。
そんな風に、デミアンを読むことにした。

「人間が”自分になる話”ですからね。」という、シスターの言葉は、セカンドルームを借りたわたしの心に響いた。