熱田神宮 舞楽神事 | 翡翠のブログ

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今日から5月ですが、雨が断続的に降り、肌寒い一日でした。つい数日前には30度超えの真夏日だったのに、この寒暖の差、朝、ウォーキングに出るときに寒かったので、念のため上にスプリングコートを羽織って外出したのですが、それでも肌寒いほどでした。

 

今日、出かけたのは熱田神宮。

 

5月1日には舞楽神事があると知り、ぜひ観てみたくて。舞楽、雅楽は好きなのですが、そこまで観る機会はなく、これまでにリアルでは3回くらいかな?元旦の明け方に能の前に舞楽も放映してくれているので、それを観るのが楽しみでした。なので、リアルで奉納神事の舞楽が観られるとは!ぜひ観たい!

 

本来、天気が良ければ神楽殿前庭に朱塗の高舞台を設けて行われるのだそうですが、あいにく雨が降っていたため、祈祷殿で舞われ、その前の庭にテントをはって客席が作られていました。座れるかな?と思っていたのですが、案外、演目ごとに入れ替わりがあって座って鑑賞できました。

 

【奉奏曲目】

〇観ていないもの

・振鉾(えんぶ) 10:40

国家の安泰、雅音成就を祈り、舞台を祓い清めるために最初に舞われる曲だそう。

 

・萬歳楽(まんざいらく) 左方四人舞 11:00

志那で明君が世を治める時、鳳凰が飛来し、賢君萬歳賢君萬歳と囀ったと言われたことから、隋の煬帝が鳴き声を曲に、姿を舞いにしたと伝えられる曲。日本では御即位礼などおめでたい時に舞われる曲なのだそう。

 

・延喜楽(えんきらく) 右方四人舞 11:20

醍醐天皇の延喜8年(908)に藤原忠房が曲を、敦実親王が舞を作ったとされるそう。

 

〇昼休憩後の演目、ここから観ました。

・喜春楽(きしゅんらく) 左方四人舞 12:30

清和天皇の貞観元年(859)、八幡宮を九州の宇佐から京都石清水に勧請した時、この曲が作られたとされるそう。

 

 

・敷手(しきて) 右方四人衆 13:00

平安時代に、渤海国から日本への来貢があり、重ねての来貢を望み作られた曲だそう。この曲のときに前の席に座れたので、よく見えるようになりました。衣装や舞の動きが雅やかで、大河「光る君」の道長など貴族が思い起こされました。

 

舞の途中で袍の右肩を袒ぐところは面白かったです。

 

・「別曲」胡蝶(こちょう) 右方四人衆 13:30

醍醐天皇の延喜6年(906)、宇田上皇が童相撲をご覧になるときに、藤原忠房が曲を、敦実親王が舞を作ったとされるそう。

舞う人が女性で、頭に山吹の挿頭花(かざし)をさした天冠を当て、背中に蝶の羽を背負い、手に山吹の小枝を持つ様子は、とても綺麗で可愛らしかったです。客席からも「可愛い!」という声が上がっていました。

 

・還城楽(げんじょうらく) 左方一人舞 14:00

玄宗皇帝が乱を平定し、夜半に帰城した後に作った曲。別名「夜半楽」。蛇を好んで食べる故国の人が蛇を見つけて喜ぶさまを舞にしたと「見蛇楽」とも呼ばれるそう。

 

赤い面をかぶっているのですが、能の面とは違って顎のあたりが分かれていて、動きにつれて動きます。衣装も豪華で派手やか、毛皮もついていて、この前までの曲とは雰囲気がずいぶん変わります。

 

途中で、もう一人が舞台に上がって蛇の置物を置きます。

 

すると蛇を見つけ嬉しそうに周りを舞い、手に取って舞います。不思議な素仕立てで、とても面白い舞でした。

 

・抜頭(ばっとう) 右方一人舞 14:30

聖武天皇の御代、猛獣に殺された親の仇を討ち果たし、喜び勇んで山から駆け降りるさまを舞いにしたものだそう。

こちらも赤い面を着けているのですが、長い髪をたらし、表情も還城楽の面より勇ましく、恐い迫力のある様子でした。

 

 

・長慶子(ちょうけいし) 15:00

舞は無く舞楽の退出音声(まかでおんじょう)として奏でられる楽曲。

 

衣装も華やかで、舞の様子や囃子の曲は能とはまた別で、趣あってすごく面白かった。覚えておいて、また機会があれば観たいです。

 

参詣、舞台鑑賞の前には、きよめ餅神宮店にも寄りました。

 

熱田神宮に来るのは、正月や休日が多く、雑煮やぜんざい、きよめ餅といった甘味を食べることが多いのですが、今日は平日だったのでランチがあり、きよめ餅を付けました。

 

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