Kurt Vonnegut, "Slaughterhouse-Five" | 翡翠のブログ

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洋書読書会に参加しました。課題本は、カート・ボネガー Kurt Vonnegut, "スローターハウス5 Slaughterhouse-Five" 1~4章

 

課題範囲は前半の1~4章。洋書読書会は、私の英語力には負担大き目なので短編の回を選んで参加しているのですが、今回の課題本は半分とはいえ、前回までと比べて多め、長め。しかし、せっかくSFが課題本ではあるし、邦訳では以前に読んだことがあるので、参加してみました。

 

時系列が一定でなく、過去や未来に唐突に飛ぶので邦訳でも慣れるまでなかなか読みづらかった。ですので、英語だとますます、自分の読み取りが正しいのか、特にSFだと難しい気がします。

 

今回読んで印象に残ったところ。

 

・「So it goes. そういうものだ」、繰り返し出てくるビリーの言葉。何かビリーの周りで死があったときや、理不尽なことがあったときに、ビリーの諦念と受け入れが表れているように思える言葉。非常に簡単な3語の組み合わせなのですが、日本語の翻訳は、すごくぴったりしているように思う。これは標準的な訳なのだろうか?それとも翻訳家の職人芸的なピッタリ感なのだろうか?

 

・前回、邦訳で読んだ時にも、タイムワープやUFOにさらわれたこと、トラルファマドール星人が実はいない、ビリーの妄想、もしくは単に過去の回想(未来を観ているように思える部分も、実際には過去に未来を観たかのように記憶が作り上げられているとしても、ありえるようにも読める。今回、英語で読むことで、微妙なニュアンスを読み切れているか不安があり、読める範囲で筋を追うと、単に頭の中で考えているだけとしても読めるようなと感じられました。

 

・振り返ったことで塩の柱になった妻が好きという1章の主人公。このの共感、自分は塩の柱というのは、振り返らずにはいられない、ドレスデンの体験を書かずにはいられないことに通じているよう。

 

GOD GRANT ME THE SERENITY TO ACCEPT
THE THINGS I CANNOT CHANGE, COURAGE TO CHANGE THE THINGS I CAN, AND WISDOM ALWAYS DIFFERENCE.
 

ちょうど今回の範囲のラスト部分、

・過去も未来も変えられない、定められている

・定められているとしたら自由意志はあるのか、決定論

この辺りは、SFとして読んで面白いところ。過去と現在が決定しているというのは、ありと思えるのですが。未来となると難しそう。