ウエスト・サイド物語 | 翡翠のブログ

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スティーブン・スピルバーグ監督が、ブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド物語」(ウエスト・サイド・ストーリー)を映画化したそうですね。先日、映画を見に行った際に、上演前のCMで知りました。

 

ウエスト・サイド・ストーリーは、以前に劇団四季で観たことがあります。その前にも、たぶん映画を見たこともあって、でもそこまであまり惹かれてはいなかった。そもそも、子どものころはミュージカルが、そこまで好きではなく。父が好きだったのですが、私は、歌ってないで話してストーリーをどんどん進めてほしい、まだるっこしいと思っていました。しかし、大人になってから劇団四季で観て、「歌も踊りもかっこいい」と思い、さらにその物語の奥に、ぶつかりあうグループの闘争の奥に、「背景となる移民と既住民間のの対立、移民間の対立、人種差別、自由と成功の国アメリカの影の部分、貧困、自分たちは差別されている、正当に評価されていない、尊厳を踏みにじられている、侮蔑されているという悔しさ、屈辱。貧困の元で、わずかなパイを取り合い、自分のパイが取られているという怒り」を感じて、観方が変わったのでした。

 

スピルバーグ監督の新作映画も観に行きたいと思っていますが、その前に、旧の映画も観直してみることにしました。結果、すごく良かったです。すごく楽しめました。舞台でも映画でもミュージカルを楽しめるようなったのは、大人になったからか?、オペラも何度か観て一層楽しめるようになったのと同様に、ミュージカルも何度か観て経験値で楽しめるようになったのもあるかもです。

 

ウェスト・サイド物語(1961)

 

映画は舞台と比べて、背景が実際のアメリカの町で、さらに登場人物たちも日本の役者の方が演じているより、想像力等全くなく最初から世界観に入れる感じ(実際の撮影は大部分はロサンゼルスのセットで撮影されたけれど、冒頭のシーンはニューヨークで撮影されたそう)。裏町の若者たちのシーンは、バナナ・フィッシュがイメージされる。

 

ケンカや抗争についてレビューでは不評、悪い評価もあるようですが、ダンスもかっこいいし、良く知られた音楽がかかると浮き立ちます。マンボとかマリアとかトゥナイトとかクールとか、すごくいいし、たまらん。トニーとマリアも、仲間たちも、今見るとまだ子どもで可愛いし、結末を知って観ていると哀しい。「死が二人を分かつまで、死も二人をわかたない・・・」と。

 

しかし一方、背景となっているアメリカの影が一層感じられるようにも思います。どちらの陣営もまた「ここはお前たちチンピラの町じゃない」「俺のシマでやるな」「やるなら外でやれ」と警察から、大人から、邪険にされている、尊重されていない。それはどちらもだよ、君たちの敵は、君たち同士じゃないよと観ていると一層感じる。一番クソな発言しているのは警部補だし。ダンスシーンとか、笑い顔とか、人は人、若者は若者、お互いにそっくりだし。古いとの評価もありましたが、国や民族の間の軋轢って現代にも起きていることにも思います。敵対しているときに、先に手を降ろすとか、許すとか言うは易し、実際にするのは難しい、ほんとに。

 

元になっているロミオとジュリエットは、両陣営とも貴族で、恵まれたハイソな集団同士であり、貴族としての理由での反目でしたが、ウェスト・サイド物語では、衝突の理由も背景も哀しいほど、どちらもが持たざる者として社会から尊重されていない同士であるところが、ロミオとジュリエットより、現代の深さがあると思いました。ジュリエットと違ってマリアが生き残ったところも興味深く思います。

 

動画配信で観たサイトでは、評価が両極端で☆5つもあり、☆2つもあり、結構低評価もあったのですが、観て面白かったし、良かったけれどなあ。新しい版の映画も観に行こうと思います。