思いがけない日本美術史 | 翡翠のブログ

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今日は猫町倶楽部の読書会「佐藤晃子の日本美術基礎講座」に参加してきました。

 

課題本は、黒田泰三 思いがけない日本美術史 祥伝社新書

 

帯のキャッチは、「絵を見る前に、解説を読んでしまう人へ― 誰が決めたんですか? "正しい"絵の見方なんて」。これを見て「私だ!」と。絵を見る前にも音楽を聴く前にも、もちろん解説を読んでしまいます。それどころか、本を読むときにもあとがきから。

 

読んでみて、とっても面白い本でした。日本美術へのアプローチとして、分類や流れの中での位置、変遷を説明するという手法ではなく、描かれているものや描き方から、絵の来歴、背景を読み解くというような内容で、読むと興味が湧き、その絵を実際に観てみたくてたまらなくなる紹介文ばかりでした。

背景を知ることで好きになったリ観方が変わったり。もちろん知らないまま、心の感じるままに観るという見方も当然あると思いますが、結果、好き嫌いから広がれない時には、土台を作るという意味で役立つのではとの意見が他の参加者からも出ました。

 

例えば「伴大納言絵巻」。応天門の変の真の犯人は誰?と、想いを巡らしてしまう。この絵が描かれたころに観た人たちも色々推測したり意見を言い合ったりしたのかも、と思える面白さ。さらに佐藤晃子先生のレクチャーでは、本の口絵以上に他の部分の絵や詳細部分を紹介くださって、これは絵巻を眺めて読むと楽しいだろうなと一層思います。

 

「彦根屏風」も、単に見ただけだったら、何だか変わった絵と思って観てしまうかも。それが解説を読むと、なるほど~とすみずみまで観たくなります。これも特にレクチャーで、注目すると面白い点をクローズアップして紹介していただけたのですが、眼の表情は口絵では想像できないツヤのある描き方で、これはぜひ実物を、かつ単眼鏡も使ってじっくり眺めてみたい。洗い髪の女が芭蕉の精というのも本だけではイマイチ理解しきれなかったのですが、謡曲「芭蕉」についても合わせて紹介くださり、確かにこの人物は能っぽくもあります。それにしても見れば見るほど、なんだか不思議な絵です。佐藤先生はこの絵だけで、まだまだ語れるとおっしゃっておられたのですが、そこをぜひ聴いてみたい。

 

長谷川等伯 「竹鶴図屏風」「竹虎図屏風」。長谷川等伯はかって日本美術史から消えさていて、その原因は探幽の等伯排斥によるもので、さらに狩野光信批判がその大元にある・・・と展開していく部分は、「ダ・ヴィンチ・コード」のような面白さに、読みながらドキドキしました。

以前に観に行った「レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」」展のレクチャーで伺った基準作品を基にした作品の作者や来歴の同定についての話がとても面白かったのですが、それに通じるものがあるように思います。この辺りも佐藤先生のレクチャーでは、課題本の文中で挙げられながら画像の掲載されていない作品について紹介くださり、特に印の削られた部分や、鑑定の文が屏風に直書きされている部分などを実際に拝見して、おお!これが!と。素晴らしい一流の美術史上の人物が、もしかしてこんな情報操作のようなことをしていたのかもと思うと、めちゃくちゃ人間らしい、人間臭いです。

また長谷川等伯の「松林図屏風」が祥雲寺障壁画室中之間の絵画と同じ時期に描かれたのではないか、そしてそれは障壁画の制作者に選ばれたことによる野心、不安、プレッシャーを抱えた心情の元での作品で、等伯の「自らの原風景」「現実の風景の突き当り」(p.208)に見える風景、自分探しの欲求を満たす風景、内面の切実なる風景(p.209)なのではないかという意見が新鮮で、でも非常に納得がいきました。松林図屏風は国宝展で昨年に実際に観て、離れたとこからかの観え方とごく近くから観た時のすこし荒さのある線に驚いたのですが、今回のこの意見を知って、もう一度じっくり観てみたい気がふつふつと募っています。

 

今回も課題本が面白く、読書会も楽しく、さらに佐藤先生のレクチャーがとっても面白く興味深く、お話を伺ったことで、さらに本を再度読み返し、紹介されている美術品を見たくてたまらなくなりました。この講座が後1回とは寂しい。

 

先生の書かれたばかりの本も紹介くださったので、ぜひ買って読むつもりです。

佐藤晃子 国宝の解剖図鑑 エクスナレッジ

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1,728円
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読書会の後には懇親会にも参加。今回も隣り合った方も芸術や古典に興味のある方で色々お話できて楽しかったです。