今日は、名古屋能楽堂で、名古屋観世会。
狂言「井杭」 井上 松次郎・井上 蒼大・鹿島 俊裕
能 「鉢木」 観世 清和・久田 勘吉郎・飯富 雅介・野村 又三郎・野村 小三郎
能「鉢木」のシテを舞われた観世清和さんは、二十六世観世宗家。今年の1月の京都観世会では「翁」を舞っておられました。
実は、結構、最近まで、観世流の宗家?本家?は、京都にあるものだと思っていました。で、京都観世会館が総本家なのかと。最近になって、あれ?東京にも観世会館というのがあると知り、それでも観世流の東京支部かなと思っていました。一応、奈良・京都が発祥の地で、室町時代から江戸時代にかけては京都が中心だったらしいので、江戸幕府以降、江戸~東京が主流の本拠地になったということかしら? 天皇陛下も明治に京都御所から東京に移られたし。
能「鉢木」は、今回、初めて観た演目。
鎌倉時代の上野国(こうずけのくに)佐野で、雪の日に困っていた旅の僧が泊めてくれるよう頼む。一度は断ったものの、妻の勧めもあって追いかけ泊めることにする。しかし薪が無くなり、大切にしていた梅と桜と松の鉢の木の枝を切り、薪とする。僧から身の上について尋ねられ、男は佐野源左衛門尉常世と名乗って、零落した経緯を話し、それでも鎌倉で何かあれば駆け付けると言う。次の日、互いに名残を惜しみ僧は旅立つ。
しばらくして、鎌倉の北条時頼は武士に召集をかけ、常世は鎌倉に駆け付ける。時頼は部下に貧しいいで立ちの武士を探させる。実は僧は時頼で、鎌倉に駆け付けた常世を称賛し、横領された土地の回復を約束し、三本の鉢の木の梅、桜、松にちなんだ三ヶ所の庄を与える。常世は喜んで上野国へと帰るという物語。
能によくある神や霊といった超常的な者は登場せず、リアルな人間がリアルな時間軸で登場する時代劇的な展開です。舞も無く、最後に少し薙刀を振り見得を切るような場面はありましたが、ごく少しで、物語り劇を観るような感じで、なかなか面白かったです。徳川家康が好んだ演目だったそうで、確かに、武士道的なところが好かれそう。
事前に、Webサイトで予習し、謡曲百番集を持参で鑑賞。
シテの常世が雪を見て言う「雪は鵝毛に似て飛んで散乱し、人は鶴氅を着て立つて徘徊す」という言葉は、『和漢朗詠集』にある白楽天の詩であるらしい。また、いったんは断った僧を追いかけた時に口にする「駒とめて袖うちはらふ陰もなし、佐野の渡りの雪の夕暮」は、『新古今和歌集』の藤原定家の歌であるらしい。
僧に何かもてなしをと粟飯を出す際に、「盧生が見し栄花の夢は五十年、其邯鄲の仮枕、一炊の夢のさめしも、粟飯かしく程ぞかし。」の部分は、私でも「邯鄲」のエピソードだなと気づけました。
舞台に作り物が登場し、常世が梅を切る場面の言葉、「窓の梅の北面は。雪封じて寒きにも」は、『和漢朗詠集』藤原篤茂の、「池凍東頭風度解 窓梅北面雪封寒」(池の凍(氷)の東頭は風度りて解く 窓の梅の北面は雪封じて寒し)からだそう。
また、このときに、「見じといふ、人こそうけれ山里の、折りかけ垣の梅をだに、情なしと惜しみしに」と言う言葉も、藤原道真の歌「山里のをりかけ垣の梅の花 いかなる人の見じといふらん」をふまえたものだそう。
松を切る時の「切りくべて今ぞ御垣守」もまた、百人一首にもある『詞花集』大中臣能宣の「御垣守衛士の焚く火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ」をふまえたものだそう。
こういうのは、当時は教養がある人が能を観たでしょうから、元になっている漢詩や和歌も知っていて、パッと気づいて面白がったり、味わったりしたのだろう、他の能の演目にも和歌などが、取り入れられていることが多いので、知っていて気付くと楽しいだろうと思います。私は、もちろん知らないものばかりでしたが、予習していた箇所を聴きとれただけで、嬉しい気持ちがしました。
今日の公演は、仕舞が多く、時間が長めだったので、開場と同時に入場して席に荷物を置いてから、能楽堂の隣のレストランで蓬左<hōsa>で軽くランチに、きしめんと今日の和菓子を。
今回の演目には、「雪」が登場することから、染の絵柄が水滴のような雪のような紬を着てみました。
それに、先日の外出でも締めて練習していた染の梅の帯。柔らかく締めやすいのですが、代わりにお太鼓がフニャっとしてしまって。私は四角いピシッとしたのが好みなので、帯は織の方がやはり合うかもです。





