「思い出」の許可、生活信条改変。 | mooninsnowのブログ

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   刹那的に生きてきて後悔しているのは、思い出を大切にしてこなかったことである。
  その思い出を大切にしない姿勢こそ、記憶力低下の一因ではないだろうか。
   まあもちろん、思い出には良い悪いがあり、トラウマ級のモノまである。しかし、それらを差し引いても、思い出すといった行為には、価値がある。
   なぜなら、どんな技能にも記憶は関わっているからだ。だから、上達のためにも記憶機能の改善をしておかなければならない。その記憶機能のメモリをトラウマに使われていては困る。

   なので、トラウマがある人はトラウマに対処する必要がある。

  思い出に対する観念浄化は、その後にしないと、心が耐えきれなくなってしまう。

☆トラウマに対する別のアプローチとは

   私にトラウマがあるわけではない(または自覚してないだけ?)。
   でも、トラウマへの対処方法は心得ている。
   トラウマが有ること=上達出来ない、というわけではない。
   しかし、人によっては、トラウマによって上達が止まっている人もいるだろう。
   そこで、私はやるわけではないが、トラウマによって上達を妨げられている人のために私が考える別のアプローチを掲示していきたいと思う。

🔺トラウマ的な出来事をさまざまな視点で見る

・先祖から脈々と続くカルマの視点
・観念や思い込みからの視点
・思い出や記憶としての視点

  この3つが考えられる。
   なるべく全部網羅する必要あるが、2番目と3番目でも十分いけると考えられる。

◇観念や思い込みからの視点

やり方

  そのトラウマ記憶からくる感情を言語化する。
   例えば、“怖い”といった感情が有って、その“怖い”に対して、「○○は嫌だ」といった感想や愚痴が浮かんできたら、その「○○は嫌だ」は観念の一つだから、それを浄化する。私としてはセドナがおすすめ。
   そしてまた、トラウマ(イメージはいらない。脳内検索で探り当てる感覚)に対して湧いた感情を、それを言葉(感想や愚痴)に変換したら、また浄化する。これをひたすら続ける。
   トラウマを図にすると、私のイメージでは、


   砂山の棒倒しをイメージして欲しい。
   なぜこんな形なのかというと、トラウマは実は記憶そのものよりも、それに引っ付いた観念の方が影響力あるからだ。
   それはなぜか?
   観念は感情を作り出す力もある。
   トラウマとは、その暴走した感情を作り出す観念が複数複雑多岐に渡るように組み合わさってしまった状態であり、複数複雑多岐に渡る観念により、顕在意識で認識出来る感情よりもさらに複雑怪奇な感情が生まれてしまい、それを顕在意識はスルー処理出来る容量を超えた結果、心の防衛反応が起こるので、トラウマになってしまう。
   だから、感情を感じきるは、ストレートな方法であるが、誰でも出来るわけではない。
   なので、砂山の棒倒しのように、周辺の観念を浄化して削り取っていき、棒を倒すことが肝心である。

   そして最後は、心の中でイメージした剣を使って、過去のイメージ(テレビ画面のようなイメージ)を切断する。心の中でしっかりと真っ二つにすることが大事。
  そうすると、私はフラッシュバックが起こらなくなった。それが私トラウマかどうかは分からないが、たぶん、同じように適用出来ると考えるので、ぜひやってみて欲しい。

   さて本題、
   今回の観念浄化は、いわゆる淡白な人間性をやめようというのが目的である。
   思い出、私はかなり軽視していた。
  まさか、勉強や学習にまで波及するとは思わなかった。
  常々、勉強や学習は、人間性の総合力と切っては切れない関係だなと思った。その一つが、思い出の軽視。
   もしかしたら、思い出の軽視と勉強や学習速度は関係しているかもしれない。
   私はこの性格における淡白な部分を改めることにする。
  すべては、勉強や学習のため。
  もし同じような淡白な人がいたら、ぜひ参考にして欲しい。思い出を軽視する姿勢が、今の学習対象に波及してないだろうか?  かなり検討の余地があると思う。

  また、この観念の塊は、印象記憶にも若干影響していると考えられるので、もし観念が存在するなら、対処する必要がある。

☆思い出・刹那的に生きることに関する観念浄化

・「思い出はいらない」
・「思い出を大切にするのはかっこわるい」
・「思い出は欲しくない」
・「思い出は捨てよう」
・「今だけが大事」

・「過去は不要だ」etc

★その他
☆売り物に対する完璧主義の観念浄化

・「売る物は最高でなければいけない」
・「最高のものじゃなければ売れない」
・「価値の低いものを提供してはいけない」
・「下手なものではいけない」
・「No.1のものでなければいけない」etc

☆お金と資格の観念浄化

・「資格がないと高いお金を稼げない」
・「資格を持ってないと厳しい」
・「資格がないとなにも売れない」
・「資格がないと勝てない」
・「成功には資格が必要だ」

・「資格がないと儲けられない」etc

   これは正直、かなり実験的なことになる。本当にこれを手放せば効果があるのか、分からない。ただ今までの経験上、手放した後はいつも未知(自分にとっての常識から)の情報が入ってきたり、未知のアイディアが沸いてきたりするので、やってみる価値があると思うからやることにした。

☆安い仕事に関する観念浄化

・「安い仕事を引き受けてはいけない」
・「安い仕事なんかいらない」
・「高い仕事だけやりたい」etc

  自分を安売りするものではないが、だからといって、思考の柔軟性(観念による硬直化)を失ってはならないと私は考える。
   

  上の観念を浄化した結果、
☆創業デスバレーに対する観念浄化
   をする必要が出てきた。
   これは前回の起業の観念浄化の影響もあると考える。この“創業デスバレー”といった言葉も、ふとした検索で見つけたのであるが、観念浄化してなかったら見つけられなかったと私は考える。このふとしたがなかなか難しいこと。
   なぜなら、ふだん何気なく検索していようとも、その検索でさえ、信念体系から出ることは難しいからだ。まず、目で見ていても認識出来てない、そんな状態が起こってしまう。その限界を広げるには、思い込みを無くしたりや信念体系を拡張するしかない。
   観念浄化とは、信念体系の限界を広げるには必要な手順だと私は思う。

・「創業デスバレー」
・「儲からないことはやりたくない」
・「ただ働きしたくない」
・「儲けたい」
・「創業で儲からないのは諦めるべきだ」

・「会社設立は難しい」etc

   この観念の塊は、積極的行動力にも関わっていると思う。これを浄化すれば、創業デスバレーが無くなるかというと分からないし期待出来ないが、観念によって行動が制限されていては、乗り越えられるモノを乗り越えられなくなってしまう。だから、機会が有ったら、浄化しておいた方が良いかも。

☆後書

   会社辞める決心が固まった。
   正直、自分のとある「したいこと」の進捗率は微妙だし、お金の面もまだ完全にコントロールしているわけではないが、観念浄化したことにより決意が固まった。
   なんとか独立するぞ。

   努力を積み重ねたからか、左手の生命線と知能線が分離し始めた。DHA/EPAとかの影響もあるかも。これって、知能線が成長してるのかな?
   努力はちゃんと手相に出るみたいだ。
   さらに努力を積み重ねていきたい。

   読んでくれてありがとう。
   では。