おはようございます
以前書いた記事に頂いたコメントで宮沢賢治の「虔十公園林」というお話しがあることを
教えていただきました。
今、サイト「青空文庫」で読めます。
優しさに溢れた素敵なお話しだったのでかみしばいにしてみました。【絵はAI生成です】
お時間あるときに、ゆっくり見てくださいね。

虔十という少年
むかし、ある村に虔十という男の子がいました。
風にゆれる葉っぱや、空高く飛ぶ鷹を見ては、うれしくて「ハッハ」と笑います。
村の子どもたちは、そんな虔十を「少し足りない子」とからかいました。
それでも虔十は、いつもにこにこしていました。

たった一つのお願い
ある日、虔十がお母さんに言いました。
「杉の苗を七百本、買ってけろ。」
何かをねだったことのない虔十の、はじめてのお願いでした。
お父さんは「虔十がはじめて言い出したことだ、買ってやれ」と言ってくれました。

杉を植える
虔十はお兄さんに手伝ってもらい、家のうしろの野原に杉の苗を植えていきました。
ところが、となりの畑の平二が来て、「杉が育てば日かげになる。切ってしまえ」と言います。
虔十はおびえましたが、お兄さんが「切らなくていい」と言ってくれました。
虔十は杉を切りませんでした。

子どもたちの遊び場
杉は毎年育ち、やがて涼しい林になりました。
数年すると子どもたちが集まって、毎日その林で遊ぶようになりました。
青年となった虔十は林のはしに立ち、うれしくてたまらず、「ハッハ」と笑って見ていました。

虔十との別れ
ところが、はやり病にかかって、虔十は死んでしまいました。
それでも杉林は残りました。
虔十の家族が、大切に守り続けたのです。

二十年後の虔十公園林
二十年ほどたち、子どものころここで遊んだ人が、立派な博士になって村に帰ってきました。
あたりはすっかり変わっていましたが、あの杉林だけは昔のままでした。
博士は虔十の家族と話し、林を「虔十公園林」として残すことにしました。
今もこの林では、子どもたちが元気に遊んでいます。
虔十は、たくさんの人に喜びをのこしたのです。
誰がかしこくて、誰が賢くないのか、本当のところは誰にもわからないのかもしれませんね。
~ちょこっと解説~
『虔十公園林』(けんじゅうこうえんりん)は、宮沢賢治が亡くなった翌年の1934年に発表された短編童話です。
●「本当の賢さ」とは何か
世間の物差しでは「愚か」とされる虔十が、損得勘定なしでやり遂げた行為が、結果的に自然と人間を豊かにします。
物語の最後には「あゝ全く誰が賢く誰が賢くないかはわかりません」という有名な言葉が残されています。
●賢治の想いとは
このお話しは作者の宮沢賢治が大切にした自然愛や、無心で働く尊さが描かれています。
虔十は賢治の分身であり、終世憧れた、ほめられもせず苦にもされずの境地を投影したものかもしれません。
生きているうちは馬鹿にされ誰にも認められることがなかった虔十ですが、その虔十の植えた林が子供たちの憩いの場所となり、
死後、その林が「虔十公園林」となり皆のしあわせに付与することが出来た。
これが賢治の考える、また他の作品でもたびたび出てくる「本当のさいわい」なのかなと思いました。
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