おはようございます晴れ

 

私は「日本賞」が毎年気になっていて

発表されたら毎年見ています。

 

日本賞はNHKが主催する教育番組・教育コンテンツの国際コンクールです

 

小さい子向けのアニメーションやクレイアニメを見てほっこりしたり

そのなかにしつけや教育がちりばめられて感心したり

海外のティーンがどんな状況で何を考えているのか、そんなドキュメンタリーを見るのが好きなんです。

 

でも2025年の日本賞の特に一般部門や青少年部門のドキュメンタリーは

日本で暮らしていると想像もつかない厳しさでした。

 

その中で 一般向け部門 最優秀賞

「路上の名もなき子供たち(Where The Kids Have No Name)」をご紹介します。

『路上の名もなき子供たちは』、バングラデシュで路上生活を送る子どもたちと、彼らを支える支援グループの日常を追ったドキュメンタリーです。

 

私たちが普段「想像している貧困」よりも、さらに一段深いところにある現実を突きつけてきます。
日本の生活感覚や価値観では到底測れないほど、子どもたちの環境が過酷で、見ている側の心が追いつかなくなるほどです。

 ざっくりあらすじ
舞台は バングラデシュの都市部。

バングラデシュの子供の路上生活者はなんと300万人以上。

あるストリートでは、道路の両側に、端から端まで子供たちが寝ています。

 

 家庭の貧困や暴力など、さまざまな理由で 家を離れ、路上で生きる子どもたち が登場します。(捨てられたのではなく、逃げてきた子がほとんど、捨てられた子はほぼ障がいのある子)


彼らは、物売りや雑用などの危険な仕事で日銭を稼ぎながら、寝場所も不安定な過酷な環境で暮らしています→もちろん地域のギャングが搾取し、麻薬を売りつけています。小さな子もたばこやシンナー、マリファナを吸っていて、学校には行きたがりません(2食食べられるから学校へ行こうと誘っても、ラリってだるい子たちは行きたがりません)

そんな子どもたちに寄り添い、  食事  衛生ケア  教育の機会    心のサポート
を提供しようとする 支援グループの活動 が描かれるのですが

子供を一人救うにはまず警察に届けなければならないのに

この子たちは名乗らない、元の住所も言ったとしても嘘、家の状況なんてぜったい話さないので、調書がとれないのです、そしてまた路上へ戻される。

 

もし1人でも施設に入れたら、ギャングから支援グループに「報復」があるといいます。

作品は、子どもたちの「名もなき」存在に光を当て、
“生きるために戦う日常” と “支援者との小さな希望の瞬間” を正直に映し出しますが、はっきり言って「救いようがない」と思ってしまいました。

 

「救いようが無い」と感じてしまう理由
•     子ども自身に選択肢がない
生まれた瞬間から、すでに路上で生きるしかない状況に置かれている。


•     大人の保護がほとんど存在しない
家族も制度も、子どもを守る網が機能していない。


•     日常が“生き延びるための戦い”になっている
食べ物、寝場所、暴力からの逃避…すべてがギリギリのライン。


•     支援があっても追いつかない規模の問題
支援者の努力が尊いほど、逆に「構造の大きさ」が際立ってしまう。
こういう現実を目の当たりにすると、心のどこかが「これはもうどうにもならないのでは」と感じてしまうのです。

それでも、支援を続けている人たちがいます
絶望の中に、かすかに明かりをつけようと努力していますが

なかなか思った通りにはいかず、そして子供たちの数が多すぎます。
無力さの中でも懸命に支援している方々と、道で寝ている子供たちに胸を締めつけるような痛みを感じました。

 

真顔映画では無く、現実なのです。だから「胸を痛めた」と言って、済ますことができないと思ってしまいました。

えらいものを見てしまった・・・そんな気持ちになりました。

 

 

 

 

第52回 グランプリ日本賞
夢と運命の境界で エジプト 少女たちの岐路も

日本では今や信じられない、女性の人権の問題に立ち向かう少女たちのドキュメンタリーです。

 

 

おすすめしませんが・・・よければご覧ください。
 

 

こんばんは星空

 

寒くてエアコンフル稼働です(動物が多いのでストーブ類は置いていません)

今日のNHKBS4Kチャンネルで映画『さらば、わが愛/覇王別姫』をやっていました。

 

今から約30年前の映画ですが、なんだかたくさんの映画賞を取っていると聞いて

見てみたんです。

 

するとやはりすごくいい映画でした。

最初の子役時代の「つかみ」からもう目が離せず

2時間半、どっぷりと映画の世界にひたりました。

 

映画『さらば、わが愛/覇王別姫』

《作品プロフィール》
1993年公開の中国映画『さらば、わが愛/覇王別姫』は、京劇の世界を舞台に、
芸と人生がほどけ合い、愛と宿命が交錯する物語を描いた大作。
監督はチェン・カイコー。
出演はレスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー。
カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、
その美しさと痛みは今も世界中で語り継がれています。

 

あらすじの前に「覇王別姫」とは何か?の説明から

「覇王別姫(はおうべっき)」とは、中国の歴史故事「項羽と虞美人(ぐびじん)の別れ」を題材にした京劇(中国の伝統的な演劇)作品。

「覇王」(項羽)が「姫」(虞美人)に今生の別れを告げる悲劇を描き、その中で「四面楚歌」や「虞美人の自刎(じふん)※自分で自分の首を刎(は)ねて死ぬこと。」といった有名な場面が演じられます。

●そのおはなしは

秦の滅亡後、天下を争った項羽(覇王)と劉邦(後の漢の高祖)の戦い(楚漢戦争)が舞台。
項羽が劉邦に包囲され(四面楚歌)、故郷の楚へ戻ることもままならなくなった際、愛する虞美人との別れを惜しみ、彼女に別れを告げる場面がクライマックス。
虞美人は項羽の甲冑を盗んで自刎し、項羽もまた後を追って自刎するという悲劇の物語です。

 

 

花火映画のざっくりあらすじ
北京の京劇養成所で出会った二人の少年、小豆子と小石頭。
厳しい修行の果てに、
小豆子は妖艶な女形・程蝶衣へ、
小石頭は力強い男役・段小樓へと成長する。


蝶衣(レスリー・チャン)は小樓(チャン・フォンイー)に秘めた想いを抱き続けるが、小樓は娼婦の菊仙(コン・リー)と結婚してしまう。
三人の関係は、日中戦争、国共内戦、文化大革命といった歴史の荒波に巻き込まれ、愛と友情、芸と現実の境界は次第に崩れていく。


そして、長い年月を経て再び舞台に立つ二人。
その瞬間に宿命は静かに形を結び、
物語は“別れ”という名の永遠へと沈んでいく。

 

真顔私は中国の京劇が、男性だけで演じられているとは知りませんでした

女形の俳優さん、とてもとても綺麗で、仕草も女性以上に美しいです。

 

 

 ベル『国宝』との共鳴 ― 芸が人を生かし、壊すという宿命
 芸が人生を呑み込み、形を変えていく


『覇王別姫』の京劇と、
『国宝』の歌舞伎。
どちらも“芸”が単なる表現ではなく、
人の生き方そのものを決めてしまう世界。
舞台の上でしか本当の自分になれない者。
舞台の外でしか愛を掴めない者。
そのねじれが、二つの作品に共通する深い哀しみを生んでいます。


時代の影が、静かに人を追い詰める
『覇王別姫』では文化大革命が、
『国宝』では戦後から現代に至る日本の空気が、
登場人物の心をゆっくりと締めつけていく。
大きな時代の流れの前で、
個人の愛や願いがどれほど小さく、
それでもどれほど美しいか。
その余韻が二つの作品をつなげています。


 愛の形が、どちらも“痛いほど美しい”
蝶衣と小樓。
歌舞伎役者と彼を取り巻く人々。
「愛しているのに、どうしても届かない」という痛みが、
観る者の胸に長く残る作品でした。

 

真顔近代中国史がとても複雑なので(きっと一般人も混迷の時代だったことでしょう)

後半、どんどん進む時代背景がわかりにくかったのですが

そのわかりにくさがじれったさになり、余計に映画にのめり込みました。

 

映画が終わって「ああ、そうか《呆然》」というエンディングでした。

覇王別姫のことをわかっていたら、もっと見やすい映画だと思います。

 

国宝を見た方は、見比べてみるのも楽しいと思います。

京劇の衣装もとってもとっても美しいです。

男性役のお化粧が「くまどり」があったりして

歌舞伎とも共通点が見つけられますよ。

 

 

こんにちは~雲
 
今朝1番の時間帯で「ペリリュー ~楽園のゲルニカ」を一人で見てきました。

 

 

 

image

この作品、ご存じですか?
コミックス(原作)は11巻あります。
 
 『ペリリュー 〜楽園のゲルニカ〜』ざっくりあらすじ
舞台は1944年【昭和19年】、南洋の美しい島・ペリリュー。
青い海と豊かな自然に囲まれた“楽園”のような島に、日本軍の若い兵士たちが駐屯しています。

主人公は、漫画家志望の青年兵士・田丸。【アニメ映画です】

彼は戦争のために徴兵され、戦場に立たされているものの、心の奥では「生きて帰って漫画家になりたい」と願っています。
 
彼は漫画家志望→ストーリーを組み立てる力があるだろうと
功績係の仕事を与えられるのです。
功績係とは、戦場で亡くなった仲間の最期の勇姿を、遺族にむけて書き記すというもの。どんな死に方でも、『勇敢に戦い敵をたくさん殺し、しかしながら無念にも天皇陛下万歳と言いながら散った』と書くこと。

しかし、やがてアメリカ軍の大規模な上陸作戦が始まり、島は一瞬で地獄のような戦場に変わります。
美しい自然が砲撃で破壊されていき、  仲間が次々と悲惨な姿になり倒れていく
それでも日常の小さな会話や、ささやかな希望が彼らを支える
田丸は、恐怖と絶望の中でも、「生きたい」「描きたい」
という静かな願いを胸に、過酷な戦いを生き抜こうとします。
 
史実では
日本軍は地下陣地を要塞化してゲリラ戦を展開し、アメリカ軍の作戦計画を大幅に狂わせましたが、約1万の兵士のほぼ全員が玉砕し、その後の硫黄島の戦いにも影響を与えた、非常に激しい戦いとして知られています。 

物語は、戦争の残酷さを真正面から描きながらも、
20代の兵士たちの人間らしい弱さや優しさ、
そして“生きること”への執着を丁寧にすくい上げていきます。
 
真顔年齢制限のある映画ですが、登場人物はすべて3頭身のかわいい姿、いったいどんな映画になっているのかな(原作は読んでいません)と思って見始めましたが、あの可愛い姿で無いと、悲惨すぎてとても直視できなかったと思います。
 
今まではだしのゲン、火垂るの墓、この世界の片隅にと、戦争物のアニメを見ましたが
これは兵士目線の、本当にひどい戦争の現場のお話でした。
 
映画の途中に当たり前のことにも気づかされました。
戦争で死んだのは日本兵だけではないということ、相手の米兵もたくさん亡くなっています。(島民はパラオに移動させられていました。)
 
ジャングルで偶然一人の米兵と出会い、仲間の日本兵は即刻撃ち殺しました。
その米兵は「ママ・・・」と言って絶命し
日本兵が「ままってなんだ?」「母親って意味だ」という会話があったと思うのですが
どの国でもみな「おかあさん」と言いながら死んでいくのだなと皆思うのでした。
 
真顔映画の途中は悲惨であったりかわいそうであったけれど、見るのに必死で
映画が終わって、エンドロールが始まって、涙が出ました。
 
私には2人の息子がいるので、戦争ものを見ると息子を想ってしまっていつも苦しいのですが、今回は特にあのかわいらしい3頭身のキャラクターたちが、息子や息子の友達たちのように思えて、戦争という狂気や理不尽さに腹立たしさや悲しみがどっと出てきたのでした。
 
ところでなぜ「ゲルニカ」なのか
AIさんに聞いてみました。

以下の3つが特に重要な理由だと考えられています。
1. “楽園が地獄に変わる”というテーマを象徴するため
ピカソの《ゲルニカ》は、スペイン内戦で無差別爆撃を受けた町ゲルニカの惨状を描いた作品。
美しい町が破壊され、罪のない市民が苦しむ姿を象徴しています。
ペリリュー島も同じ構造を持っています。
•     美しい南国の島(=楽園)
•     そこに突然降り注ぐ砲撃・爆撃
•     若い兵士たちが次々と命を落とす
この「美しい場所が戦争で破壊される」という構図が、《ゲルニカ》と重なるのです。

2. “戦争の悲惨さを、可愛い絵柄で描く”というギャップの象徴
原作漫画は、三頭身の可愛いキャラクターで戦争の悲惨さを描くという独特の手法を取っています。
これはピカソが抽象的な表現で戦争の残酷さを描いた《ゲルニカ》と通じるものがあります。
つまり、
「直接的なリアル描写ではなく、別の表現方法で戦争の本質を描く」
という点で、作品の姿勢を象徴する言葉として「ゲルニカ」が選ばれたと考えられます。

3. “戦争の記憶を伝える芸術作品”としての自覚
《ゲルニカ》は世界的に「反戦の象徴」として知られています。
『ペリリュー』もまた、史実をもとにしつつ、
•     若い兵士の視点
•     美しい自然との対比
•     生きたいという願い
を描くことで、戦争の記憶を伝える作品です。
その使命を示すためのタイトルでもあるのです。

 

2015年4月9日、両陛下(当時)のパラオ共和国ご訪問時の様子

ペリリュー島は日本軍の勇猛な奮闘ぶりから「天皇の島」と呼ばれていました。

両陛下はペリリュー島に建立された「西太平洋戦没者の碑」や米軍の慰霊碑に供花し、黙祷を捧げました。

 

 

真顔映画の後半、島に残された30人ほどの日本の兵士たちが

戦争が終わったのかもわからず2年を過ごす、そのお中身についてはあらすじは書けませんが、この映画を日本の中学生には必須で、学校で見せて欲しいなと思いました。