おはようございます晴れ桜

 

やっとうちの前の大川沿いの桜が満開をむかえました。

「待ちに待った」そんな言葉が頭に浮かびます。

 

春になって、暖かくなったら私のリウマチや欝々も緩むのではないかと期待しています。

 

 

さて

 

Eテレで放送の100分de名著の3月はforユースということで30歳ぐらいまでの方に向けた週1回づつの書籍の紹介でした。

 

1週目はシュリーマンの自伝 「古代への情熱」

 

 

2週目は松下幸之助のビジネス書「道をひらく」

 

 

 
 
 
 

 

3週目はロビンソンの児童文学「思い出のマーニー」

 
 

 

 

そして最後の週は詩集「石垣りん詩集」でした。

 

 

女子なら一度は「詩」が好きな時期ってないですか?

私は中学から高校のころ、誰にも話さないのに「ええかっこして」

特に外国の詩など読んでみたりしたものです。

サガンの「愛と同じぐらい孤独」とか、意味もほとんどわからないのに何度も読みました。

 

 

 

今回の100分de名著の石垣りんさんは学校を卒業してから定年まで銀行に勤め

ずっと家族を食べさせながらも、詩を書いていた方でした。

 

その地に足がついた視線と、独特の感性が混じった詩は

普段、あまりに普通の事で、目を向けようともしないことを綴っていて

どれもその視点にハッとさせられるのでした。

 

ほんの少し、掲載させていただきますね。

 

「シジミ」

夜中に目をさました。

ゆうべ買つたシジミたちが

台所のすみで

口をあけて生きていた。

「夜が明けたら

ドレモコレモ

ミンナクツテヤル」

 

鬼ババの笑いを

私は笑つた。

それから先は

うつすら口をあけて

寝るよりほかに私の夜はなかつた。





「表札」

自分の住むところには

自分で表札を出すにかぎる。


自分の寝泊りする場所に

他人がかけてくれる表札は

いつもろくなことはない。

病院へ入院したら

病室の名札には石垣りん様と

様が付いた。

旅館に泊まつても

部屋の外に名前は出ないが

やがて焼場の鑵(かま)にはいると

とじた扉の上に

石垣りん殿と札が下がるだろう

そのとき私はこばめるか?

様も

殿も
付いてはいけない、

自分の住むところには

自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も

ハタから表札をかけられてはならない

石垣りん

それでよい。

 

 

「崖」

戦争の終り、

サイパン島の崖の上から

次々に身を投げた女たち。

 美徳やら義理やら体裁やら

何やら。

火だの男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。

ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまつさかさまにする)

それがねえ

まだ一人も海にとどかないのだ。

十五年もたつというのに

どうしたんだろう。

あの、

女。

 

 

真顔​​​​​​​いかがでしたか、詩の世界感にひたってみてくださいね。