おはようございます太陽
 
題名の通り、未だに両奥歯が不安定で、固い物がたべられないんですよ
でもTVとか見ていたら、美味しい物がいつも出てくるので
ニヤニヤ「食べたい~~~」ってなっています。
 
そんなとき、こんなSNS投稿を見つけました

 

ニヤニヤあんまり見栄えはよくないですが、中身が何かわかりますか?

 

上段右が「551の豚まん」その右下は同じく「551の甘酢肉団子」です。

上段真ん中は「御座候」、関西で回転焼きと言えば御座候です。

下段、真ん中は阪神百貨店名物の「イカ焼き」

そして左下は「とん蝶」です。

 

とん蝶はおいしいおこわなんですけど持ち歩けるように竹の皮でつつんであるんです。

 


ね~デレデレおいしそうでしょ~、おいしいんですよ飛び出すハート

 

みなさんも大阪に来られたら食べてみて、といいたいけれど

売り切れになるのが早くてなかなか手に入らない~あせる

 

ニヤニヤみなさんどれが好きですか?それかほかの大阪名物でお好きなものがあったら教えてくださいね。

たとえば~「りくろーおじさんのチーズケーキ」とか

 

おはようございます太陽

 

今、両鼻の穴にティッシュ詰めています。

歯も、下段の奥歯が両方痛くなってしまい

そこから強い肩こりで困ってます。

歯医者も行ったし(レントゲンで異常なし)

カーブスもいったけど、良くならないの

 

笑ってもらっていいんだけど

私娘の頃、60代で亡くなるような気がしてたんだけど

こんなに調子がわるいと、もしかして本当にそうなのかな~とか思っちゃう。

 

でも多分60代で亡くなると、犬猫を見送れないから

何が何でも頑張って生きるつもりですよ。

 

 

真顔今日は母に想うことだけを書いたので、興味が無い方はまた次回お越し下さいね。

 

 

60代の頃の母を思い出すと、お金持ちじゃなかったけど3B体操とか詩吟とか習ってエンジョイしてたな。

夕刊に載ってる日帰り旅行とか、夫婦でたくさん行ってたな。

バブルの頃は海外にも行ってた。

 

今の自分にはまったくできないことばかり、母は恵まれていたんだな

時代も、良い時代だったんだな。母は美人でした、私は全くの父似で、母がうらやましかった。

 

私は一人っ子で、ネグレクト気味に育ったので

寂しくて

その裏返しで思春期からは母が嫌いでたまらなかった。

 

思春期になったら、母の人として、女としての部分も見えるようになってくるから

余計に嫌いになったのかもしれない。

 

母はいつも自由を感じる人だったから。

別にキテレツな動きをする訳ではないし

父の重圧からは逃げられない人だったけど

父が母をかわいがって、いろんな物を与えたり、好きにさせているところがあったので、母はそれを享受してた感じ。

 

母が自由人であることは孫達(私の息子)が大きくなってきたら

息子達も気がついて、よく母の面白いところが話題になった。

 

実家の冷蔵庫の中が魔窟すぎて開けるのがコワイこととか

使い方もよくわからず台所のコンロを電気に変えて、その後コンロを爆破させたこととか(火事にはならなかった)

父に隠れて一室で猫を飼ったり

私が「前髪を少し切って欲しい」と言ったら、母がおでこの上までジグザグに切ってしまったこととか(私は30代)

自分が嫌いな家事はいつも私を呼んでこき使っていたこととか(汚くしてると父が怒るから)

あげればキリががないほど。

それでもいつもケラケラ笑っていた。

私は「きらい」と思いながらも、子供が私しかいないから、仕方なく実家と付き合っていた。(息子達にもそんな姿見せられないから淡々とね)

 

父が逝ってすぐ、そんな母が認知症になって

いろんなトラブルから、うちで引き取るしかないと思った時、嫌だなあと一番に思った。

 

だから同居のはじめは母が認知症なのにもかかわらず、衝突しまくった、だっていつまでも身勝手なんだもの。たばこもやめられないしね。

 

途中軽い脳梗塞をおこして入院したり。脳出血で朝見に行くと床で倒れたり

治療してなんとか家に戻ってきたときにはもうひどい認知症になってた。

私は入院中は毎日病院に通った。

 

認知症が進んで不安そうな母をみてようやく私のわだかまりは溶けた。

毎日すすむ症状に驚かされたり悲しくなったけど

母を看てあげたいという気持ちになっていた。

 

他人から見て、気の毒なほどの認知症になったけど

私は母がす~っと夢の中にいる気がして

とくにうちにいる最後らへんは

「旅館に泊まっている」とずっと思ってた、私は仲居さんと思われていた。

だから「いつ帰るのですか?もう帰りたいです」と顔を合わすごとに言われてた。

私は仲居さんとしてあれこれ理由をつけて家にいてもらった。

 

脳に良いかもと思う、家でできることはいろいろ試したけど、何も良くはならなかった。

 

だけど、母はずっと自由なまま、天に帰って、またかわいがってくれる父とあちこち美味しい料理旅館にとまりに行ってるんだと思う。

 

お仏壇に母の好きなコーヒーを供えながら、いつもそんなことを思う。

 

来月祥月命日だと思うと、こんなことを思い返してしまいました。

 

 

おはようございます太陽

 

ちょっとーーーぷーちんさん!ムキー「火攻め水攻め」的な攻撃を一般民にするなんてひどすぎる。細かなことをわかって無くても(私のこと)これは反則だと思う。

赤ちゃんやお年寄り、病人もいるのに、真冬なのよ、人間のやることじゃないわ(戦争すべてだけどね)

 

 

 

ヒマワリNHKBSで放送された「ひまわり」を鑑賞しました。

 

あの曲(ひまわりのテーマ:ヘンリー・マンシーニ作)と共に

世界的な傑作映画として過去にも見た気がするのですが

内容を思い出せない程度だったので、もう一度見てみました。

 

映画『ひまわり』(1970年)は、第二次世界大戦で引き裂かれた夫婦の愛と別れを描いた、ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画史に残る傑作メロドラマです。

広大なひまわり畑とヘンリー・マンシーニのテーマ曲が有名で、戦争の悲劇の中で翻弄される人間の愛と喪失を情感豊かに描いています。

 

 

クライマックスシーンと共に・・・

 

 

【あらすじ】

第二次世界大戦下、ナポリの陽気な女性ジョバンナと、徴兵されたアントニオは、気が合ってすぐに夫婦になりますが、夫アントニオはロシア戦線に送られ、極寒の地で消息を絶ちます。

戦後、数年がたち、ジョバンナは夫を探すため、ひまわり畑が果てしなく続くソ連へ向かいます。

まだ新婚の二人の別れのシーン

 

ロシア戦線でのイタリア軍の敗走の場面は壮絶を極めます。

イタリア軍は想像を絶する寒さと飢え、疲労に追い詰められながら撤退を続けます。
見渡す限り雪しかない平原の中を一人、また一人と取り残され、雪に埋もれていくのです。

 

あの素晴らしいひまわり畑の下には、数え切れない、国籍も多様な戦士が埋葬もされずにただ集められて眠っているのです。

 

テーマ: 戦争の悲惨さと、それによって引き裂かれた夫婦の喪失感、愛情の葛藤を描いた叙情的な作品。

 

現状: ウクライナ侵攻の情勢下で、物語の舞台となった地と背景が重なり、改めて再上映が話題となったそうです。

 

真顔映画は前半でナポリの明るくて、太陽がまぶしくて、若いカップルが恋に落ちる様子が描かれ

中盤で旧ソ連でのイタリア軍の雪原での壮絶な撤退を丁寧に描き

後半では終戦から何年もすぎた二人の様子と気持ちを描きます。

 

真顔還暦を過ぎてこの映画を見られたことは幸せでした。

人生の酸いも甘いもある程度知った今だからこそ、二人の気持ちが痛いほどわかりました。

 

真顔「どうしようもない」と感じたラストですが、それはそもそも戦争のせい。

どうして戦争ごときに人生を踏みにじられなくてはならないのか

心がしんみりとヒリヒリと軽い怒りで映画を見終えたのでした。

この撮影現場はウクライナで、ひまわりは映画のために植えたものだそう

 

デレデレ良い映画はすなわち素晴らしい俳優さんによるものでもありますよね

今回はソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニのプロフィールを簡単に~

(そもそも中がよかった2人らしい)

 

ひまわりソフィア・ローレン 現在91歳 撮影当時は35歳

 イタリアの女優。本名はソフィア・ヴィラーニ・シコローネ 。 

イタリアのみならずヨーロッパを代表する映画女優の一人で、1960年代には多くの映画賞を獲得している。

代表作に『ふたりの女』『ああ結婚』『特別な一日』など。ベニート・ムッソリーニの孫娘アレッサンドラ・ムッソリーニの伯母にあたる。

 

 

ひまわりマルチェロ・マストロヤンニ 1996年死去

マルチェロ・ヴィンチェンツォ・ドメニコ・マストロヤンニは、イタリアの映画俳優。

第二次世界大戦後のイタリア映画を代表する二枚目スターで、国際的な人気を博した。

フェデリコ・フェリーニ監督作品への出演や、ソフィア・ローレンとのコンビで知られる。 

 

ニヒヒ【余談】

前半で、ソフィアローレン(ジョバンナ)が、邪魔なほうきを窓から放り投げちゃったり、作りすぎたオムレツや、卵のからなどを窓から捨てようとして、びっくりしますが目

これはナポリなどイタリア南部では終戦後しばらくまであった日常のようです。

 

特に大晦日には家のいらないもの(家具なども)を「厄落とし」として盛大に窓からなげちゃったそう。

 

私は約40年ほど昔に大晦日のローマに旅したことがあったのですが、添乗員さんから「夜間外出禁止」空から降ってくるゴミで絶対危険だし、花火や爆竹も鳴らして大騒ぎになるから出ちゃ駄目!と釘を刺されたことを思い出しました。

もちろん今はここまでひどくないそうです。

 

ニヤニヤそのあと誰が掃除するんでしょうね~