毎週見ているテレビ番組 ブログネタ:毎週見ているテレビ番組 参加中

テレビというのは、もはや生活に欠かせないものとなっているのではないでしょうか。

テレビのない生活なんて考えられない、という人は多いことでしょう。

ですが、テレビを見る事は必ずしも必要とは言い難いのではないでしょうか。


実際、テレビを2時間見ていると仮定して、それを毎日続けてみます。

すると、730時間もテレビを見ていることになります。

それを日数に直すと、約30日費やしているということになります。


だから私は言いたい。

テレビを見る時間を見直してみませんか、と。

30日も時間があれば本を何冊読めるでしょうか?

忙しいといっているあなた。

ダラダラテレビを見るのではなく、見る番組を決めて、残った時間を読書などに費やしてみてはいかがでしょうか。

人気になることは、果たしていいことでしょうか?
人気を得るために、中には犯罪まがいの行為について投稿している人もいるようです。
バカッター、という単語が現れたのも珍しくなくなってきました。


「ブログよりも簡単に始められて、速報性を持つツイッターは、多くの人が参加するサービスとなった。しかし、それに伴い、ネットリテラシーの低い層が大量にツイッターのIDを取得。以前ブログ界で起きたのと同様、いやそれ以上のバカらしい事象が次々と起きるようになってしまったのだ。彼らは熱心な芸能人フォロワーとなるほか、自身の飲酒運転自慢やら、駅の改札突破自慢など違法行為を自己申告。こうしてツイッターは「バカ発見器」と呼ばれるようになった。」
「なぜネットの階級社会は現実のそれより「厳しい」と断言できるのか。それはネットで普通に頑張ったところで、食えるようにはならないからだ。受験や就職は確かに厳しい。常に成功するとは限らないし、挫折もあるだろう。それでも、努力はある程度報われるし、目指す学校や職業への正規の道は存在している。弁護士になりたければ司法試験を受ければいいし、野球選手になりたければ野球部で実績を残せばいい。給料の高い会社員を目指すならば、大学に入っておいたほうがいいだろう。しかし、ネットにはそんな正規の道はない。そこに君臨しているのは芸能人やネットと携帯事業で稼ぎ、「震災に100億円寄付」ができる孫社長のような一握りのオオモノなのだ。」
(本文は中川淳一郎『ネットのバカ』によった)


ネットで人気になろうと思っても、現実は厳しいといわざるを得ません。
というのも、やはり上には上がいて、そこに入らない限り、まずは相手にされないのがオチでしょう。
入ったとしても、今度は下から上り詰めるライバル、周りのプレッシャーに耐え、人気となる―需要に応えるものを提供できなければなりません。
プレッシャーとやりがいを秤にかけた時、等しく振れればいいのですが、現実、そうもいきません。


ではどうすべきなのでしょうか?
「やりたい仕事と「勝ち易き」仕事が一致する人は幸せな人です。何も迷うことはないでしょうから。しかし、多くの人はそれがずれるのです。だから苦しむのです。僕の野球くらいできなければ諦めもつきますが、中途半端にできてしまうと一番判断を誤ります。
(中略)しかし、今、やりたいことは趣味と割り切って、勝ち易き仕事を選ぶという選択の持つ意味はより重くなっていると思います。景気がよい時代と違って、今のように不況が長く続く状況では、それぞれの「勝ち易き」場所以外では生きづらくなっているからです。」
「結局、大切なことは、自分の勝てるレースと脚質を見極めることです。それが、僕はこれしかできません、でもこれでは誰にも負けませんと、胸を張って言うことにつながるのです。」
(本文は林修著『いつやるか?今でしょ!』によった)
自分の適所を知り、其処で努力することが最善策ではないか、と思います。
適所は人それぞれ異なります。
見つけるためにはまずは色んなことにトライしてみるしかありません。
トライ・エラーを繰り返して、自分の場所が見つかるのです。
ネットはあくまでも自分を輝かせるステージの一つと割り切って、今ある仕事、やるべき仕事を片付けましょう。

自分というのは、人との関わりの中で、見つけていくものではないのか、と思います。
人と関わることで、自分には足りないものが見えてきて、やがては人生のベクトルが見えてくるのだと思います。


私も、人と関わることで、足りないものが見えてきました。
一番は相手の気持ちを受け止めることですね。
どうしても、興味のないことには冷めた態度で接してしまう部分が多々ありました。
まずは「へぇ、そうなんだ」と言えるようにできれば、と思います。
逆に、専門的知識は豊富だと自負していますが、意外と世界は広くて、通じないこともしばしばありました。
自分は何でも知っているつもりにならないように、気を付けなければと思います。


何をしたらいいか分からないときは、まずは動いてみることだと思います。
「突破口は走りながら考えろ」と、誰かが言っていました。
「『実際に触れた感覚の膨大な積み重ねが、自分だけの地図』を形づくっていくのです。」(伊藤喜之著『バカでも年収1000万円』より)
本を読んだり、行ったことのない店に入ってみたり。
経験を積むことで、自分が何処に行くべきか、見えてくるのではないのかと思います。

幸せというのは、身近なところにあるのですが、それ故に蔑ろにされがちなものです。
人間は、欲しいと思うと、もっと欲しがるものです。
「幸せは欲しがると逃げる。」と誰かが言っていた気がします。


私は友達が欲しいと思っていたのですが、その一方で身近な友達をぞんざいに扱っていました。
そして、ますます欲しいと思うようになってしまっています。
感謝とか、愛とか―思いやりに欠けている部分が多々見られるようになりました。


もうちょっと身近な人を大切にできれば……と思います。
そのためにはまず気持ちをコントロールすることですね。
怒りとか不満とか、恨みとかをぶつけるのではなく、昇華するようにできれば。。。
あとはコミュニケーションの勉強ですね。
どうしたら相手が困ってしまうか、状況を読んで発言に注意したいと思います。

夏の花といったら、何を思い浮かべるでしょうか。
いろんな花がありますが、私は向日葵を真っ先に思い浮かべます。
向日葵畑に行ってみたいのですが、お金とか、地理的条件とかが重なって……。
向日葵にちなんだ作品も結構あると思います。
曲でいえばGARNET CROWの「向日葵の色」、小松未歩の「向日葵の小径」、絵画でいえばゴッホの「ひまわり」を思い浮かべました。


向日葵は太陽に向かってグッと背を伸ばします。
その姿はまるで、太陽という偉大なものに対して何かを乞うているような気もしなくはないです。
そして黄金色の花を咲かせ、見る人を魅了します。
ですが、やがて種を残して枯れてしまいます。
その種はハムスターなどの餌になったり、翌年の向日葵となったりします。


全てのものは移ろい、永久にその形を留めることはできません。
ですから、今此処にあるものを大切にしていかなければと思います。
斯くいう私は、友達を(ぞんざいに扱って)失い、孤独になってしまいました。
出会いを求めようと彷徨うこともありました。
ですが、焦って求めた出会いは必ずやがて壊れます。
時にはじっくり待つことも必要ですね。
また(教えを乞う)向日葵のように、謙虚な姿勢も必要なのかもしれません。
ちなみに、向日葵の花言葉は「私はあなただけを見つめる」だそうです。
私も、誰かを好きになって、その人だけに尽力を注げたら……。
だからと言って周りの人をぞんざいに扱っていいことにはなりませんが。