春雷 42 | 背徳的✳︎感情論。



















「俺のせいだ

何が起きているかを理解して、俺はパソコンの画面を見つめたまま独りごちた。

「俺が、不用意に、玄関先なんかで、先生に抱きついたりしたから」

悔しくて握った拳を机に叩き付け、

「行かなきゃ俺、行って来る」

机の前を離れ、ドアへ向かった。

「行くって格技室? 待って、私も一緒に行くから」

そんな俺の背中に小林先生の慌てた声が届く。振り返ると、先生はロッカーに掛けてあったコートに手を伸ばしている所だった。

「小林先生はここで待っててくれない? これは俺と神宮の問題だから」

「神宮くんと何があったのかは今は聞かない。でも、彼が刃物とか持ってる可能性だってあるんだから、ひとりで行くのは危険だよ」

「だとしたら尚更、そんな危ないとこに女性を連れて行けないよ」

俺が ちょっと笑って おどけてそう言うと、小林先生は不安そうに顔を曇らせて俺を見つめた。

いつも明朗な先生のそんな顔を見るのは初めてだった。


「大丈夫だって。剣で勝負したいって書いてあったじゃん。アイツもそんな無茶はしないって」

「でも

「大丈夫。大野先生と神宮連れて戻って来るから。戻ったら神宮の奴を懲らしめてやってよ」

「でも、でもやっぱり、」

俺が明るい声でそう言っても小林先生はコートを手にしたまま俺をひとりで行かせることを躊躇っている。

「ここで待ってて。それでもし、俺が1時間経っても戻って来なかったら、その時は応援呼んで助けに来て」

俺は先生を真っ直ぐに見つめ、「お願い」と真剣な顔で伝えた。


先生は一旦息を飲み、それをゆっくり大きく吐き出して、

分かった。きっかり1時間で迎えに行くからね」

壁に掛けられた時計を睨んでそう言った。

時刻はあと数分で8時になろうとしていた。


「うん。よろしくお願いします」

俺はニッと口の端を上げて笑い、保健室を出て暗い廊下を通用口に向かって駆け出した。







通用口から外に飛び出し、俺は来た時よりもスピードを上げて走った。

玄関前を駆け抜け、グラウンドに出ると校舎に沿って真っ直ぐに突っ切る。

ポツポツとある外灯と月明かりのお陰で危なげなく走ることが出来た。地面にくっきりと映る影が俺を急かして先に伸びる。

夕方よりも気温はグンと下がったようで、吐き出す息もくっきりと白い。


大野先生

なんで俺に言わないんだよ

俺のせいなのに


せめて間に合って


悔しさと焦りと怒りがないまぜになった頭を振って、俺はスピードを上げ続けた。



グラウンドの突き当たり、部室棟の隣が格技室。その入り口にも外灯がある為、俺は手探りせずに扉の取手を両手で掴んだ。

入り口は両側に開く木製の引き戸で、鍵は掛かっておらず、カラカラと言う軽い音と共に開いた。

中の電気は点いていない。

入ってすぐは靴箱が並んだ玄関ホール。奥に階段があり二階は柔道道場になっていて一階は剣道道場。

ホールの右手には更衣室とトイレ。左手に道場への扉がある。

俺は靴を脱ぎ捨て、すぐさま扉に飛びつき、そして両手で力一杯それを開いた。

入り口と違ってゴロゴロと大きな音がした。室内は窓から差し込む外灯の明かりと月光で思いの外 明るく、正面にうずくまる白いシャツの背中がハッキリと見えた。その頭が扉の開く音に反応してこちらを振り向く。無造作に伸びた髪がふわりと揺れ、それが神宮であることが分かった。

向こうからは俺の顔が見えないのか、ゆっくりと体を起こして首を伸ばす。

体勢が変わったことで神宮の下にもう一人いるのが見えた。同じような白いシャツが起き上がりながら後退っている。


大野先生


途端に全身の血液が沸騰したように粟立つ。

「その人から離れろ!」

気づくと俺は、そう怒鳴りながら神宮に飛びかかっていた。


一気に距離を詰め、力任せに繰り出した蹴りが空を切る。直前で それをかわした神宮は軽やかに飛んで俺に向き直る。俺もそのままの勢いで先生を背中に庇って膝をつき、彼を睨み上げた。


「あれ〜二宮先輩、来たんだ? 遅いよ〜」

呼吸を整えている俺に神宮がからかうような口調で言い、

「もう来ないと思って、お仕置き始めたところだったのに」

クククッと笑って髪を掻き上げた。

「にの、宮、なんで、ここに」

神宮の声に続いて背中に大野先生の掠れた声が届く。俺は神経を尖らせたまま顔だけ先生に向けた。

外の明かりで仄白く照らされた先生は、頬を腫らし その口の端に血を滲ませていた。着ているシャツはボタンが飛んで胸が全開になっていて、そのあちこちに小さな痣のような痕が点々と散っている。

俺は激しく湧き上がる怒りを噛み潰し、

拾った。先生のスマホ」

短く答えて再び神宮に向き直った。


「なんで中を見たのか」

先生の驚いた声に頷くと、

「でもロックが…… って、また、小林先生

彼は最後まで言い切らずに口を噤んだ。

「あーそう言う事ね」

そんな先生を他所に神宮が訳知り顔で口を挟む。

「先生が呼んだから来たんじゃないんだね。先生にさぁ、二宮先輩を呼ぶようにお願いしたんだけど、先生が渋っちゃって。でも最終的に呼んだって言ってくれたからずっと待ってたの。なのに先輩来ないからさ。やっぱ先生はウソついてて、先輩は先生のスマホ拾って俺らのやり取りを見たからここに来たんだね」

「ああ」

俺が応えると、

「じゃあ先輩も思い出したの? 全然気づいてないみたいだったけど」

神宮はまた からかう口調で俺に顔を近づけた。俺はその顔を真っ直ぐに見つめ返しながら、

「ああ、思い出したよ、長谷川」

その名を出すと、彼は一瞬目を見開いてから嬉しそうに口角を上げた。

それとは対照的に、背後で先生が息を飲む。


「そっか。じゃあ先生のスマホ、窓から捨てたの正解だったな。俺と先生が話してる最中に何回も着信が鳴るんだもん、イライラして二階の窓から投げちゃった」

神宮は悪びれる様子もなくヘラヘラ笑って そう言った。その顔を見ていると虫唾が走る。それでも神宮から視線は逸らさず、

先生、なんでこんな奴の言いなりになってんだよ」

後ろにいる大野先生に問いかけた。

「あんな画像バラ撒かれたって俺は平気だよ。なのに、こんな」

黙って言いなりになっている先生にも怒りを覚え、俺の声は自然と低くくなった。

先生は何も応えず、

「分かってないなぁ、先輩」

代わりに神宮がまた口を挟んだ。

自分の方がよく分かっている、そんな口調にムカついて、俺は彼を睨みつけた。

神宮は俺の苛立ちなんて気に留める事なく、

「先生はね、怖いんすよ。俺が」

そう言って、「んふふ」と鼻で笑った。


「先生は俺が怖くて仕方ないの。理由は分かるでしょ?」

半笑いの顔がイヤラしく歪み、恍惚の表情を浮かべ、

「他の男にはさ、反射で一本背負いしちゃうくらい拒否反応が出るみたいだけど、俺には力で勝てないって本能で悟っちゃってるの。ね、先生」

大野先生に向かって、また「んふふ」と笑った。


じりりと、言い表せない激しい感情が汗になって背中を伝う。

俺はゆっくりと先生に顔を向けた。

彼は両手で自分の身体を抱いて震えていた。

「なんで、俺に言ってくれなかったの?」

必死に抑えた声で尋ねると、

「やっぱ先輩は何も分かってないね」

神宮がバカにしたように声を大きくし、

「言えるワケないじゃないっすか。最大級のトラウマでしょ」

言い聞かせるように、俺の背中に向かって畳みかける。



「最愛の男に言えるハズないでしょ? 自分が凌辱された過去を」















































つづく







月魚