「面白かったね!」
先を歩く高橋が元気いっぱいにそう言って俺を振り返った。
「う…うん… いや、うん、すごかったね…」
小林先生監修のお化け屋敷は想像以上にリアルで、カッコつけて高橋の手を引いて入ったものの、ビビって叫びまくって手を引いてもらっていたのは俺の方だった。
「俺、心霊とか苦手で… めっちゃ叫んじゃって…カッコ悪いよね…」
深くため息をつきながら自己嫌悪の気持ちを吐露する俺に、
「そんな事ないよ。苦手なのに付き合ってくれて嬉しかった」
高橋はふわりと微笑み、
「あ、喉渇かない? タピオカ飲もうよ」
少し先の教室にかけられた看板を指差した。
「…うん」
「じゃあ買ってくるね」
そう言うと高橋は跳ねるように駆けて行った。
教室の窓越しに談笑しながら注文している高橋の横顔を見つめていると、こう言うのが普通なんだろうなって、ふっと思った。
…こう言うのもアリかも知れない…
だってどう考えたって女の子の方が絶対可愛いもん。
それに俺を想ってくれるコと一緒にいた方がきっと楽だと思う。
叶わない想いに縛られているよりずっと。
…でもそれって高橋に失礼だよな…
「ハイ、お待たせ」
またため息をついてしまっていた俺に高橋が元気にタピオカミルクティーを渡してくれた。
「…ありがと」
受けとると その冷たさに頭が少し冴えた。
「そろそろ戻らないといけないよね」
「だね。タピったら戻りますか」
「タピりながら戻りましょう」
言葉のやり取りに俺たちは笑い合って、タピオカを片手に他の教室を冷やかしながら、2人でゆっくり歩いて自分達のクラスへ帰った。
☆
午後4時。
終了の放送とチャイムが鳴って、騒がしかった文化祭が幕を閉じた。
窮屈だったメイド服をサッサっと脱ぎ捨てて学生服に着替え、クラス全員で後片付けに追われた。
俺もゴミ袋を広げて紙コップや紙皿を回収していると、
「あれ、メイド服はー?」
入り口から顔を出した小林先生がいきなりそう言って残念そうな顔をした。
「なに言ってんすか。さっき終了の放送あったでしょ? 閉店です」
「えぇ… 片付けもメイド服でやりなよ。せっかく写真とろうと」
そう言う先生の手には重そうなレンズの付いたカメラが握られていた。
俺は呆れた顔で先生を見つめ、その目の前でさっき脱いだメイド服を勢いよくゴミ袋に突っ込んだ。
「あっ、もったいない!」
先生の謎の言葉を無視し、俺は他の男子が脱いだメイド服もどんどんゴミ袋に突っ込んだ。
「あー… せめて1枚写真撮りたかった…」
「何しに来たんすか!」
先生の冗談とも本気ともつかない声に俺は大声でそう返した。
「何ってメイド… お化け屋敷が忙しくて来れなかったから」
「あぁ…大盛況でしたもんね」
「そうなのよ。あれウチの卒業生が作ったのよ。ほら、前に話した漫研の部長」
「へぇえ」
「でも盛況過ぎて遊ぶ時間がなくなるのは誤算だったわ。二宮くんも来てくれたんだよね?」
「…はい」
「どうだった?」
「楽シカッタデス」
「その顔はビビって叫んで女の子に助けを求めたって顔ね」
「え、なんで知って、」
「わ、ほんとにビビって叫んでたの?」
「いやそっちじゃなくて」
「あぁ、大野くんが言ってたから。二宮が女の子と来てたって。あっ、そうだ、大野くん来てない?」
小林先生が急に思い出したように俺にそう尋ねた。
「…来ないですよ。なんで来るんすか」
大野先生の名前を聞くと心が揺れて、俺は思わず俯いて答えた。
「なんでってメイド… いや、大野くん、片付けの途中から姿が見えなくなっちゃってて。何回も電話するのに出てくれないんだよね」
小林先生は おどけた感じで言うけれど、俺には「そうですか」としか答えようがなかった。
「そっか、来てないか。じゃあもし見かけたら連絡くれるように言ってね」
俯く俺に先生はそう言うと、片手を上げて教室を出て行った。
…大野先生が俺のとこに来るはずないじゃん…
俺はまた深く深くため息をついた。
☆
「終わっちゃったね〜、文化祭」
ゴミ袋を両手に持ったまま、高橋は大きく伸びをした。
中庭を横切る俺たちを秋の風が撫でていく。
空は半分茜色で半分紫色で、紫の空には小さな星の瞬きが見え、夜の帳がゆっくりと降りて来ていた。
ゴミは中庭の横の自転車置き場の屋根の下に積んで置くように指示されていた。
クラスで出たゴミを俺と高橋で持って行くように指示して来たのは当然いつも高橋の両脇にいる仁王たちだ。
指定された場所には既に各クラスから出たゴミが置かれていて、俺たちもそこに積みあげ、2人してパンパンと手を払った。
「ホントにこれで終了だな。早く帰ろう」
俺が言うと、
「まだ5時なのに暗くなるの早いね… 冬が来るなぁ」
高橋は遠くへ視線を送りながら独り言のように言った。
「だね… すぐ期末テストだな」
俺はちょっと笑って先を歩き出した。
来た時と同じように中庭を歩いていると高橋が俺の隣に追いつき、
「でもほら、期末が終われば冬休みだし、クリスマスだし」
声を弾ませて言った。
「まぁ…ねぇ。でも別に予定ないし」
俺は校舎に囲まれた四角い空を見上げて呟いた。一番星が自己主張するよにキラリと瞬く。
「…クリスマス、予定ないの?」
歩きながら高橋が俺に尋ねる。
「ないねぇ…今年も」
ハハって笑って答えてしまってから、「あっ」と思って口を噤んだ。しかし時すでに遅し。
「あの、あのね二宮くん、クリスマス… その、一緒に… 過さない? 」
立ち止まった高橋を振り返った俺に、彼女は意を決した顔をして、絞り出すように言った。小さな拳がギュッと握られ、微かに震えている。
「あ… えっと…」
戸惑って返事に迷っていると、
「私… 私、二宮くんが好きです」
彼女は真っ直ぐに俺を見つめ、ハッキリと そう告白した。
…告白されてしまった…
分かっていた事だったけれど、いざ本人の口から聴いてしまうと何も言えなくなってしまう。
俺は酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせて「えっと」を繰り返した。
「…私の事なんて興味なかったよね」
そんな俺に彼女は笑った。
「いや、そんな事は、」
戸惑うだけの俺は上手く言葉を返せない。
「いいって、うん、自分でも分かってたし」
「高橋…」
「でも今日一緒に過ごして、もし、ちょっとでも私のこと、気になってくれてたら、もし、良かったら、クリスマスも一緒に…」
そこまで言うと彼女は祈るように胸の前で手を組み合わせた。
俺の答えを、ギュッと目を閉じて待っている。
風が静かに吹いて、彼女のスカートと髪を揺らす。
そうだな…
それもいいな
きっと楽しい
俺は空を仰いで息を吸い込んだ。
俺が「いいよ」って言えば、高橋も傷つかないし、俺の気持ちも癒される。
たぶん。
きっと。
でも、なのに、
「ごめん… 」
俺の口からは全く違う言葉がこぼれた。
ハッと顔を上げ、俺を見つめる高橋。
その目に見る見る涙が溜まって行く。
「…どうしても?」
「ごめん… でも、ありがとう。すごく嬉しいよ。高橋は一緒にいて楽しいし、可愛いって思うから」
「じゃあ、」
「でも…ごめん。俺、他に好きな人がいるんだ」
大きく息を吸ってから ごまかさずにそう告げると、彼女の瞳から涙が溢れた。それは沈む直前の夕陽を受けて輝く。
「そう…なんだ…」
呟く高橋の声は震えて、彼女は両手で顔を覆って泣き出した。
「ごめん… ホントにごめん。でも、俺、」
…やっぱ誰かを代わりにするなんて出来ないよ…
誰も、代わりになんて、なれるはずがない…
そう思うと、俺の目からも涙が溢れた。
「…なんで、二宮くんが泣くの…?」
声を殺して泣く俺に気づき、高橋が掠れた声で訊く。
「うん… 俺も、フラれたばっか…なんだよね」
俺は恥ずかしくなって、泣き笑いの顔で素直に答えた。
「フラれたの…?」
「…うん」
「だったら、」
高橋が希望にすがる瞳で俺を見つめ、一歩近づく。でも俺は静かに首を左右に振った。
「諦められないんだ… 拒絶されてるって分かってるのに… 俺は、まだ好きだから」
言葉を紡ぐと また涙が溢れた。
大野先生の顔が浮かんで、切なくて苦しくて、全部吐き出したくなる。
「好きなんだ… どうしても。自分でもどうにもならない。俺は、勝手だけど、これからも、その人のこと、好きでいたいと思う… だから、」
ごめん…
そう告げて、俺は深く頭を下げた。
長い長い沈黙のあと、
「…そっか」
高橋は大きく息を吸い、
「じゃあ私も、二宮くんのこと好きでいてもいいよね」
さっきとは違う明るい声で言った。
顔を上げると、彼女は涙で濡れた頬でニッコリと笑った。
「高橋…」
「よし! じゃあ私、先に戻るね。お疲れッ!」
よし!って自分に気合いを入れ、高橋は俺に手を振って走り出した。
俺はその背中を見送って、しばらくその場に立ちつくした。
中庭の外灯が瞬き、帰ろうと歩き出した時、強い視線を感じて俺は動きを止めた。
その方向へ顔を向けると、特別教室棟の2階の窓から神宮が俺を見下ろしていた。
目が合うと、奴はいつものようにニヤリと笑った。
…見てたのか
苛立ちが湧き上がり、俺は舌打ちして足速にそこを立ち去った。
つづく