春雷 32 | 背徳的✳︎感情論。






キス、された


それは紛れもなく、あの日と同じ感触で、心臓がバカみたいに騒いで跳ねた。

大野先生の気持ちが分からなくて、俺は混乱してしまう。


なのに そんな俺を残して、当の先生は 俺のいるベッドのカーテンをキッチリと閉めて向こうへ行ってしまっている。


ベッドの中で痛む胸を守るように身体を丸めていると、じきに小林先生が俺の親父と一緒に現れ、入れ替わりに大野先生は出て行ってしまったから、俺は彼の顔を見ないまま親父の車で帰る事になった。







それからは大野先生にどんな風に接していいのか分からなくなってしまって、無駄に何度も出入りしていた職員室から足が遠のいてしまった。

会いたい気持ちと気まずい気持ちが葛藤して、大野先生とも小林先生とも話が出来ないまま体育祭が終わり、10月が過ぎ、文化祭が間近に迫って来ていた。


そんな11月初旬のよく晴れたある日の昼休み。

「二宮くん、文化祭の日なんだけど、」

カバンから弁当を取り出している俺に高橋が声をかけてきた。彼女の後ろにはいつもの級友が2人、仁王のように両脇を固めている。その顔に『今度こそ逃がさない』って書いてあるようで、俺は思わずゴクッと喉を鳴らした。

「えっと、うん、なに?」

腰が引けながらも笑顔を作ると、

「うちのクラス、メイドカフェやるでしょ? 交代で休憩になるから、誰が何番目に休憩するか今まとめてんの。希望の時間帯とか、誰と一緒の休憩がいいとか、ある?」

高橋の右側の仁王が言った。『誰と一緒の休憩』って言うところで語気を強めている。


うちのクラスは男子が もれなくメイドに扮するメイドカフェに決定していた。まぁよくあるパターンのヤツだ。


「えっと、別に何番目でもいいよ」

乾いた笑みを浮かべて答えると、

「そ。じゃあこっちで決めさせてもらうね」

両脇の仁王がニヤリと笑った。

その笑顔が怖すぎて、

「よ、よろしく。じゃあ俺、ちょっと用があるから

俺は立ち上がり、弁当を掴んで後退りした。

「用って?」

「いや、ちょっと」

「まだ訊きたいことがあるんだけど」

「あ、ごめん、ちょっと」

「ちょっとって?」

「うん、ちょっと」

俺はジリジリとドアまでの距離を詰め、

「ごめん、また後で!」

迫ってくる仁王たちから離れ、廊下に出た途端に走り出した。

「あっ、コラ、待て二宮!」

仁王の声が冷たい廊下に大きく響いた。








教室から出たものの行く当てはない。

天気がいいから外に出てみたけれど、時折 吹き抜ける風は冷たくて冬の気配を振り撒いている。

俺は日向を求めて中庭に向かった。あそこなら人も滅多に来ないし適当に座れる場所もある。


「夏休み以来だな

大野先生と水を掛け合ってズブ濡れになった事を思い出しながら芝生に足を踏み入れた時、反対の特別教室棟からコンビニの袋を下げた大野先生が現れた。

ハッと息を飲むと目が合った。

向こうも驚いた顔で足を止める。

気まずい気持ちがグッと込み上がってる来るけれど、目が合っているのに声を掛けないのは逆に不自然だと思い、

「ここん、ちわ」

挨拶しようとして、変に上ずった声を出してしまった。

「あうん。寒いな」

そんな俺に大野先生が戸惑っているように目を伏せて言った。


「寒いね。でも、日向ならまだ、大丈夫」

「だな

「先生もここで昼メシ?」

いや、芝生の水やり当番だったのに朝出来なかったから、今やろうと思って」

「またか」

頭を掻いてる先生を俺は笑った。

「芝生って管理すんの大変だよな。なのになんで植えるんだろ」

「さぁ緑で雰囲気が良くなるからじゃない?」

「こんなに人の手がかかるのにレンガとかで良くない?」

「いや俺はどっちでもいいけど」

あははって笑って、俺は先生の側まで行った。


二宮はここで昼メシ? 一人で?」

先生が意外そうな顔で訊くから、

「今日は教室に居たくないって言うか独りになりたい、そんな日もあるんすよ」

カッコつけてそう答えたら、

「独りになりたいなら俺は邪魔だな」

先生は背中を丸め、コンビニの袋をガサガサさせながら特別教室棟に戻ろうと回れ右した。

「ちょ、ちょっと、俺が追い出そうとしてるみたいにしないでよ」

慌てて先生の腕を掴むと、彼は「んはは」って笑って振り向いた。


その笑顔に心臓がキュッと痛くなる。

久しぶりに見たからかも知れない。

そう思うと酷く切ない気持ちになった。


「せ、先生もメシ食うんでしょ? ついでだから一緒に食べようよ」

言いながら、俺は水道のある場所の石で囲われた段差に先に腰掛け、先生を促した。

「ついでってなんだよ」

先生は文句言いながらも俺の右隣に座った。


「時間なくなっちゃうよ。あ、お茶忘れた」

弁当を膝に広げながら俺が言うと、

「ここに水あるじゃん」

先生が後ろの水道を指差して意地悪く笑った。

俺は口を尖らせ、彼が持っている袋を覗き、

「先生お茶持ってんじゃん、ちょーだいよ」

ペットボトルを指差して言った。

「これお茶じゃねぇもん。カフェオレだもん」

「いいよそれで。我慢する」

「我慢ってなんだよ! 人のモノ貰うのに」

「だって米に合わないじゃん。我慢するしかないじゃん」

「なんでそんな偉そうなの? オカシイだろ。てか やらねぇから!」

先生が そう捲し立てて、取り出したパンに勢いよく かぶりつくから、俺はまた声を立てて笑った。


息が切れるほど笑って、

「はー楽しい」

呟くと、

「楽しくねぇわ」

先生が俺を睨んだ。

そんな顔も可愛いって思ってしまう自分はもうダメかも知れない。


「先生は今日もコンビニ飯? 弁当作ってもらえないの?」

彼女に、って自分を戒めるように、先生を からかって尋ねると、彼は食べていたパンをグッと喉に詰まらせ、こっちを向かずにカフェオレをゴクゴク飲んだ。


向こうも忙しいから」

長い間をあけて、先生はそれだけ言うとまたパンを口いっぱいに頬張った。

そっか」

俺も何て言っていいのか分からなくなって弁当に目を落とす。でも気まずいのが嫌で、

「じゃあ、ハイ、恵んであげる」

俺は卵焼きを箸で取って先生の鼻先に差し出した。


いいよ、別に」

先生が寄り目になってそれを見る。

「だって栄養足んないじゃん」

「いいって。夜はちゃんと食うから」

「いいから食えって」

「要らねぇって」

「うちの母ちゃんの卵焼きが食えねぇって言うの?!」

「そんな事言ってねぇだろ!」

「じゃあ食え」


箸を持つ手を掴まれ、押したり引いたりの攻防をしていると可笑しくなって、お互い必死に笑いを堪えながらそれを繰り返し、ついに先生が折れて口を開けたから俺はそこに卵焼きを捩じ込んだ。


「どう?」

尋ねた俺に、先生は少し咳き込んでから、

美味い」

応えて ごくんと喉を鳴らした。

「でしょ。他のも食べていいよ」

俺が笑って差し出すと、

「いや、いい。ありがと。早く食わないと昼休み終わるぞ」

先生はそれを押し戻した。

「いいよ、俺は あんまし腹減ってないし。だいたい先生、最近ちょっと痩せてない?」

自分で言いながら先生を まじまじと見つめると、顎から首にかけて前より筋張っている気がした。


そう? そうかな。そう言われたら、少し」

先生は少し肩をすくめて残りのパンを口に入れた。

「痩せてるよ、絶対。夏より

言いながら、俺は急に不安になって口を噤んだ。

「二宮?」

黙った俺を先生が覗き込む。

俺の、せい? 俺が、先生の、ストレスになってたり、する?」

精一杯おどけて尋ねたけれど、その声は みっともなく掠れてしまう。

先生は一瞬目を見開いて俺を見つめ、すぐに視線を逸らして俯いた。


そう、かもな」

少しの沈黙のあと、先生が こっちも見ずに そう言った声が冷たい風と共に俺に突き刺さった。


そっか」

先生の声に冗談の色はなかった。

俺は頭から血の気が引いて行くのを感じ、微かに身体が震えるのを感じた。

先生は俯いたまま、こっちを見ない。


「そっか

そうなんだね

それ以上の言葉は何も思い浮かばない。


やっぱり全部俺の独りよがりだったんだ

なら、終わらせないと


俺は黙って弁当を片付け立ち上がった。その勢いにつられて俺を見上げた先生の頬に左手で触れ、

「ごめんもう、やめるから」

そう告げた自分の声に涙が滲んだ。

それを見られないように顔を近づけ、何も言わない先生の唇に自分のそれを重ねた。


前とは違う、カサついた感触。

俺はすぐに顔を離し、彼に背を向けて歩き出した。











つづく



月魚



今週も読んで頂いて

ありがとうございます✨




雨で運動会が延期に…


明日も明後日も無理やろ(;ω;)