野茂さんをよく知らないという世代も
あるかと思いますが
既存の地位も多額の年俸も捨てて
果敢にメジャーリーグに挑戦し、
日本野球の実力を世界に認めさせた
最初の日本人です。
彼の成功の後に
日本から続々とメジャーリーガーが誕生。
先駆者である彼の功績は
偉大な数値(記録)だけで
語り尽くせるものではありません。
どんな状況においても
自分に正直で、
熱意に満ちた生き方をされる
野茂英雄さん。
引退されて15年経った今でも
私の中では最高のHERO。
心から尊敬しています
近鉄時代の盟友である金村義明さんも
野茂さんとの対談でこう言っています。
どんな人が相手でも
自分の信念をまげず
言いたいことをちゃんと言える野茂。
生まれ変わったら野茂になりたいって
何度思ったことかー
↑この発言のおかげで、
滅多に笑わない野茂さんが
笑っていたのが嬉しかった
野茂さんのことを
「太ってる」とか「走るのが遅い」とか
豪快な発言を惜しまない
金村さんですら羨ましがる
野茂さんの
自分への正直さ、誠実さ
常に自分に正直でいるって
とても難しいことですもんね。
それにしても
何十年たっても仲良さげなおふたり。
私は金村さんになりたい
最近の野茂さん満面の笑みは古田さん。
職業が野球、というより
野球職人、 とでもいいましょうか。
ある意味、野球界の武士のようです。
不器用に、
なりふりかまわず、
決して格好つけることなく
黙々と自分の信念を通し続けた野茂さん。
彼の言動に感激して
涙が出たことが何度もあります。
ていうか
野茂さんをご存知の方なら皆
そうですよね
野茂さんの trademarkトルネード投法。
今ではメジャーリーガー達も採用。
2度目のノーヒットノーランの
偉業達成時には
敵地とは思えないほどの大歓声
審判が、野茂さんの投げた際どい球を
ボールと判定した際には
敵チームファンからブーイングが
最終回に近づくにつれ
敵チームファン立ち上がっての大声援に
私が泣きそうになりました。
(野茂さんはいつもの無表情)
素晴らしいものは素晴らしいと
ライバルであっても心から応援する
アメリカの
素直で柔軟な姿勢に拍手
2008年の引退会見は、
出勤前、ひとりでテレビの前に
正座をして拝見しました。
生意気な私のそんなしおらしい振る舞いは
あれが
最初で(今のところ)最後です。
それくらい尊敬してます。
引退時に
「悔いのない野球人生だった」
という人もいるが、
僕の場合は悔いが残る
の一節では、
彼の胸の内がそのまま伝わってきて
ギューッと胸が詰まり、
涙がボロボロとこぼれました。
その頃、仕事でBCリーグに
携わっていたこともあり、
勤め先の同僚も野茂さんファン。
出勤後すぐ、
引退の衝撃を彼と分かち合うことができ
本当にありがたかった
私に同情?したその同僚が、
Number という野球雑誌の
野茂英雄特集号を
貸してくれました。
インスパイアされる記事が
満載だったので、
よし、仕事のお守りにしようと
会社のデスク上に飾っておいたところ
しなっと借りパクすんの
やめてくれるかー
※(しなっと=福井弁で、さりげなく)
と、あえなく
my野茂さん、同僚に連れ戻される
借りパク失敗の残念な思い出
清原選手との対談。おふたりとも若いっ
アメリカで大活躍中、
当時のクリントン大統領から
のもは、日本から輸出された最高のもの
だと評されましたが
ほんと、そう。
(最高のもの、って)
日本から輸出された、というよりか
ポンっと飛び出していった感じ、
でしたけどね。
球団、メディア、
一部のファンなどからの猛反対は、
「自分のもとを去っていくもの」
への怒りと悲しみとが混じり合い
裏切り者呼ばわり等
ヒステリックな様相を呈していました。
あの頃は、メジャーに行く道も
今のように整備されていなかったから
必要とされる勇気の量が
どれほどのものだったか
近鉄時代のチームメイト吉井さんも
僕もメジャーに挑戦したかったけど
野茂みたいな勇気はなかった。
と言っていました。
日本野球界に
二度と戻れなくなるリスクを冒して、
野球魂と自分への信頼だけをお供に、
ひとり、乗り込んだアメリカ
地元LAの新聞は最初から
「金のためではなく夢のために来た」
と、「勇気ある孤独なサムライ」を
好意的に迎えてくれました。
ありがとうアメリカー
退路を断っての渡米ですから
そのプレッシャーは
想像するに余りあります。
そんな中で黙々と野球に専念、
最高の結果に導いた精神力。
尊敬という言葉だけでは
とても表現しきれません。
野球では他の球種も投げますが
人生においてはストレートのみ。
打算も計算もなく
ただ真正面からぶつかっていく姿勢は
見ていて痛々しいほどです。
(ま、そこに惚れているわけですが)
(野球への)愛と、勇気で
日米野球の架け橋となり
自分だけでなく
後に続く日本人選手らの夢をも
叶えることになった野茂英雄。
勇気をもって
好きなことに向かって踏み出す一歩が
より価値のある
より充実した未来へ
いつか私たちを連れて行ってくれる
って
私も
自分を信じられるようになりました
野茂英雄さん、ありがとう
追記
「複数の球種を投げ分ける」
と書きましたが、
レッドソックス時代に
権藤博氏と食事をした際
野茂さんはこう言ったそうです。
あくまでも、まっすぐ、が好き。
これが自分の生命線。
それができなくなったら野球をやめる。
選手の個性を大事にする権藤氏になら
わかってもらえると思ったのでしょう。
それに対して
日本の野球解説者がこう解説。
そんなこと言ったって
結局勝てなかったら
元も子もないわけですから。
ここでフォークを投げれば
仕留められる!って時に
あえてストレートで勝負して
ホームラン打たれてましたからね。
投手としては
ちょっとぐらいズルしたって
いろいろ投げたほうが
良いと思うんですよ。
でも、野茂のそういう個性を
大事にするんですねぇアメリカって。
その人にとって本当に良いものが何か
わかってるんですね。
さすがだなぁ、って思います。
いろいろ投げることができても
やっぱり直球勝負が好き
なんですね
専門家による詳しい野茂英雄