pick a moon dog -4ページ目
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ある後輩の憂鬱-他人に評価されたいんです!

先日、大学の後輩とあいました。現在は大学院におり、研究者を目指しているとのこと。頑張っていますねぇ。その後輩の愚痴が面白かったのでちょっと紹介します。

後輩「僕の実家は田舎のせいか、僕が研究をしていることに対して全く理解がないんです!親戚も一緒。みんな僕を物好きとか、ニートと呼ぶんです!」

やみなべ「そうなんだ。大変だねぇ。」

後「田舎だから親族ばかりか、地元も友人も一緒のことを言うんです!信じられません。都会ならありえない話しですよね!」

や「いや、僕からみても研究者って同じイメージだから、地方・都会の問題ではないんじゃないの?」

後「・・・。でも、僕のやっていることは意味のあることなんです!」

や「でも、君の研究成果で僕が恩恵を蒙ったこともないし、世の中がよくなったってきいたこともない。そもそも、君って何か研究成果あるの?」

後「まだ、ないですけど・・・。でも!・・・・・」

この後も後輩の愚痴は続きましたが、長いので割愛。要は研究が好きで研究をしているのではなく、人に評価されたいから研究をしたいようです。良くわからんなぁ、と思ってしまいました。

マンガ家の日本論-江川達也氏『現実はマイナーの中に』を読む①

この本はThat's Japanというシリーズの一冊です。このシリーズは対談形式で、さらに注もついているので比較的読みやすく、内容も充実しているので、お気に入りです。

で、江川達也氏ですが、皆さんご存知の通り本業はマンガ家です。僕は『まじかる☆タルるートくん』
』や『東京大学物語』
『日露戦争物語』
を部分的に読んだ程度ですが、そのほかにも色々なマンガを書かれているようですね。この程度の予備知識しかない私が今回江川氏の著作を読もうと思ったのは、個人的に『東京大学物語』のラストが好きだったからです。今後もこういういい加減な動機で読んだ本の感想が続くことになると思いますが、そのへんご勘弁。

この本で爽快だったのは、徹底した現代日本社会批判です。日本では「正論」が社会性を持たない、日本では本当に能力のある人が評価されない、などの日本社会論。今の若者は①自分を絶対的な存在と思いこむ、②今の少年マンガのヒーローは絶対正義の存在、であり、①と②はリンクしている、という若者論。このような問題意識の根底には江川氏なりの教育論があるようです。性悪論に基づく教育の重要性、頭の良くなるマンガの必要性を説いています。

やはり漫画家なのでマンガの話題もあります。例えば無能な人が編集者になると、自分を有能だと思い込んでマンガをめちゃくちゃにする、というマンガを作るうえでの不満など、漫画家の苦労がしのばれます。ただ、マンガやマンガ評論家の批評もバッサリとしていますが、残念ながら僕にはこの分野の予備知識がないのでよく分かりませんでした。

江川氏は発想力が非常に豊かで、常に自分を乗り越える姿勢を持っています。人から評価されたいと思う一方で、枠にはめられるのが嫌で既存の枠を壊して自分の枠を作りなおそうとする。ふと、岡本太郎氏を思いだしてしまいました。僕はこう言う生き方大好きです。

惜しむらくは、本書が対談形式をとっているがための読みづらさ。同じ話しが繰り返しますし、やや矛盾しているように取れるところもあります。これは読みやすさの裏返しと言うことで目をつぶるしかないのかもしれません。

本の内容については、議論のすすめ方がやや強引なところも。すなわち、「今の日本」と「昔の日本」を単純に比較検討しているのです。そんなに「日本」とは単純なものなのでしょうか?昔の日本にも時代によって変化があると思うのですが…。例えば、妖怪を土着的なものとして非常に評価されていますが、大塚英志氏の『<伝統>とは何か』
によると妖怪の質が短期的に見ても非常に大きく変わることがありますし。

しかし、この本を読むと何ゆえ『東京大学物語』から『日露戦争物語』なのか、ということが良く分かります。個人的にはそんな江川氏を尊敬の念をこめて「おバカな天才」と呼びたいですね。

訪問者数&前回の補足

blogを開設して3日。試行錯誤の日々です。

管理人はこのblogへの訪問者数を知ることができるのですね。今日、知りました。さらにびっくりしたのは、このblogに訪問している人がいることです。しかも、のべ9人も!誰も見ないだろうと思って、特に宣伝もしていないので、びっくりです。

こんなblogをご覧いただいた方、ありがとうございます。もし、宜しければご感想などお書き込みください。blog運営についてのアドバイスでも何でも構いませんよろしくお願いします。

前回の記事で書き忘れたのですが、桐野夏生さんの作品は、女性にとって「美しさ」や「若さ」は非常に強力な武器である、と言うことを述べています。この武器を持たない女性の苦労が作品の中に散見されます。

男の僕は全く気づきませんでしたが、桐野氏のご著書を読むようになってから、確かに複数の女性がいる場には常に主導権争いが存在することに気づきました。ただ、その全てが個々人により自覚的に行われているわけではありませんし、その場の力関係が容姿のみで説明できない場合もありますけど。

何はともあれ、女性は男性より生きていくのが大変だなぁ。男で良かったとつくづく思います。

ちなみに、次は江川達也氏の『現実はマイナーの中に』について感想を書こうと思っています。本自体は一時間くらいで読めたのですが、この記事を書いていたら疲れてしまったので、またあとで。体力が回復すれば、今夜中に更新します。

註:風紀上・倫理上よろいくコメントものは、削除させていただきます。あしからずご了解ください。

桐野夏生『I'm sorry,mama』を読む

桐野夏生さんは僕の好きな作家の一人です。貧乏人なので、基本的に文庫化したものしか読まないのですが、年末年始の休みを利用して読破しようと思い、まだ文庫化されていない『アイムソーリー、ママ』を購入しました。本書には専用のHPもあり、見た目も音楽もかっこいいです。

ヌカルミハウスという娼館で生まれた女性アイ子が主人公。1章ではアイ子についての説明が少ないため、サイコホラーかと思ってしまいました。しかし、続きを読めばお分かりのように彼女は普通の人間です。彼女は自分の実の母親も知らず、娼婦たちにいじめられて育ちます。その後、娼館はある事故で閉鎖されてしまい、彼女は養護施設で成長します。このような成長過程をたどった彼女は自分が一番かわいく、自分が得することと世の中にたいする悪意のみで動く女性です。さらに非常に短絡的です。嫌なやつは殺せば良い、というスタイルです。本書は、一言で言えば、このような彼女が人を殺しながら、自分の産みの母親を発見するまでのお話しです。

桐野氏は相変わらず登場人物の心理描写が見事です。これは主人公のみではなく、脇役についても同様。また、他の桐野氏の作品と共通する傾向ですが、人間の汚さ、怖さを正面から取り上げています。人間が如何に自己中心的な生物であるか、他人を嫉妬し、妬み、それと同時に如何に自分に甘いか。言い換えれば自己弁護・自己正当化ですね。

また、如何に人間が幻想の中を生きているのか、ということも書いています。アイ子は天涯孤独のため、上記のように他者に対して排他的な一方で家族というものに非常に強い幻想を抱いていました。本書の最後では、この幻想も見事に壊してくれます。このような家族への幻想の破壊は主人公のアイ子のみではなく、脇役たちの家族にも行われています。当然、自己正当化されたアイ子自身の正当性すら粉々にしてしまいます。さすが桐野氏といったところです。

こうやって書くと非常にドロドロとした内容かと思われるかもしれませんが、非常にさばさばしています。また、長編ではないのであっという間に読むことができます。ただ、個人的には本作より『グロテスク』
の方が好きです。

「自己正当化」は悪いことではないと思います。むしろ生きていくうえでは必要でしょう。『中退アフロ田中』 19発め(『ビックコミックスピリッツ』7号、2005年)でも、より身近な正当化が垣間見えてとても笑えました。とってもスケベな岡本君。せっかく彼女が出来たのに、彼女に自分は下品なことが嫌いだと格好をつけてしまったがために、彼女にHを迫れない。そんな彼が友人たちに肉体関係を迫らないことを正当化するために言った言葉が「体が一つになったとしても、心がばらばらじゃあ、何の意味もないからね」。本当はしたくてたまらないのを知っている友人たちは、色々な良い訳を考える人間は生き物であると、感嘆してしまっています。そのあと、友人たちは「でも、オナニーはするわけだろ?」と突っ込んでいますが…。

レベルの差はあるにしても、自己正当化や言い訳は必要不可欠と言うことですね。最後に「言い訳」オチにしたのは、このblogが自分にとって言い訳だからです。本来、blogは自分の日記などを他人に公開することが主眼のように言われていますが、僕のはちょっと違う。僕の場合、他に優先することがあるため、読みたい・観たいけど本来であれば後まわしにすべき本・映画にblogをアップすると言う名目を与え、優先順位をあげてしまおう!、というのが開設の目的です。今日も本当はやるべきことがあったんだけど、blogアップを名目に『I'm sorry,mama』を読み直してしまいました。自分の自己正当化が終わったことで、今日はこのへんで。

カンフーハッスル

(やや長い前置き)
本blogの説明にもありますように、私の趣味の一つが映画をみることなので、最近みた映画について感想などを。あくまで趣味なので、批評というような偉そうなことは出来ません。あくまで、「感想」です。

ちなみに、今後のblogも含め、基本的にここで書くことは全て私的な感想です。あらかじめお断りしておきます。何らかの裏づけを元に書く場合は、ちゃんとその旨を記します。

そんな訳で、ここに書かれたことが、そのまま対象の評価にはなりませんし、全ての人が同じ感想を持つことはありえません。本blogで書かれていることと違う感想をもたれても怒らないでくださいね

やや前置きが長くなりましたが、いざ本編へ。

最近は忙しいのと金欠でなかなか映画はみにいけなかったのですが、今月は久々に行ってきました。「カンフーハッスル」にするか、宮部みゆき原作の「理由」にするか迷ったのですが、近場でみられる前者にしました。

チャウ・シンチーの作品は前作の「少林サッカー」に続いて2度目。派手なカンフーアクションに黒づくめの悪者たちはアメリカの某映画を思い出させますが、チャウ・シンチーのすごいところは、普通っていうか、酷く言えば小汚いオジサン・オバサンを格好良く撮れるところ。これは「少林サッカー」も共通していたと思います。話しの大枠は前作と共通点が見られますが、これからご覧になる方もいらっしゃると思うので、詳しくは書きませんが。

派手なアクションが大好き!、という方にはお勧めできます。ただし、残酷なシーンが苦手な方は、ちょっと…、というところはあります。個人的には、後半のストーリー展開が非常に速かったので、もう少し上映時間を長くしても良かったのかなぁ、という不満は残りました。

初blog

どうも、管理人のやみ鍋です。

以前、ホームページ作りを試みてあっさり挫折。最近はblogが一般化したのでこれを機会に始めてみようかと思い立ちました。動き出せばどうにかなると思ったので、とりあえず勢いではじめたものです。

blog初心者のため至らぬ点もあるかと思いますがよろしくお願いします。暇な方はのぞいていってください。また、お暇でしたらお返事なども賜れれば至上の喜びです。

管理人名ですが、このblogを作ったうえでの個人的なコンセプトである「何でもあり」から考えてみました。ただ、↑の方に書きましたように、勢いで始めましたので、気分次第で改名もあるかもしれません。あしからず。

ということで、最初の書き込みはこれで終わりです。
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