脇が甘いけど嫌いになれないスペオペロードムービー
遅くなりましたが『宇宙ショーへようこそ』の感想をば。
この映画は『サマーウォーズ』辺りと比較しながら考えると面白いんじゃないかと思います。
あっちのが真面目な作品ですし、やや高年齢向けに作ってあることも関係して一般的な評価は高そう。
でも個人的には良いところを認めつつも、引っ掛かるところの多い作品だったんですよね。
サマウォ感想記事
こっちは逆に脇の甘さが目立つのに、どこか嫌いになれない作品でした。
これはもう世界観レベルの話になってきます。
サマウォの世界観は現実世界の延長にあります。
もちろんSFっちゃSFなのですが比較的空想科学設定が押さえられている、言うなれば「ロウSF」です。
なのでそこにはリアリティが求められてきます。
一方、宇宙ショーにはスペオペの系譜を見ることが出来ます。
一番象徴的シーンは月に連れて行かれる部分で、月の裏側はなんか物凄いことになっています。
……が、どうしてこんな建物が建っているのか、何故人類から見付からないのか、全く説明はありません。
ここはこういう世界なんで、ひとつよろしく。
という感じで押し通します。
入港審査みたいなのもありますが、やっぱかなりいい加減で、それこそ子供でも答えられるような質問だけで終わり(その割に翻訳ツールとかはちゃんとあるww)
つまりここらでフィクションレベルが設定されているんですね。
反物質の雲っていうのが何なのかよく分からないけど「兎に角危ない場所なんだな」で済む。
このいい加減さが物語のいい加減さを適度に押さえて目立たなくしている印象がありました。
また、登場人物の人間らしさ……というか、いい加減なダメ人間が居るのも大きいw
主人公のナツキはダメ人間だし、メンバーで一番宇宙に精通しているはずのポチも、普段はかなりしょうもない奴だという事が分かってきます。
こういう奴らが中心なので、行動がグダグダでも全然おかしくない!
むしろ必然とすら言えます。
つまり、作品のいい加減さが作中のいい加減さを減衰せしめている事によって、あまり違和感や厭な印象が薄くなっているんですね。
またテーマの簡素さもポイントかな。
ジュヴナイルの一面も持つこの作品では、テーマは子供向けに明確に描かれます。
一、自分のことは自分でやる
一、ひとりはみんなのために みんなはひとりのために
この一見して矛盾しそうな学級目標がテーマです。
それこそ言葉尻だけを捉えて矛盾してるじゃんというのは聊か短絡的で、
「人事を尽くして天命を待つ」というようなものです。
自分で出来ることは他人には頼らない。
でも一人だけじゃどうにもならないこともある。
だから一人で出来ることをした後はみんなで助け合う、みんなも一人にためにかくあるべし。
というのがその意味。
非常にシンプルな形で、しかも言葉として出てきてしまうので大人としてはやや無粋な印象もありますが、等身大に当て嵌められますし広い年齢層に訴求力を持つにはこれくらい分かり易くて良いかと思います。
サマウォは比較的リアリティのある世界観なのでアカウントと実際の職業が連結しているとか、数学オリンピック落ちのガキ他数十人がやろうと思えばパスワード解けちゃうとかお婆ちゃんが電話で応援した後、ひとまず事態が沈静してしまったり、天才の作ったプログラムに普通の女の子が普通に勝ててしまうのも気になってくるんですが、この作品では最初ッから整合性みたいなものをあまり重視していないのがよく分かるので気にならないwww(その割にはズガーンとか妙に細かい伏線あるんですけどね)
そしてサマウォが大家族をテーマにしている為に女性陣がナツキ(よく考えたら名前同じだ)以外活躍しなかったり、戻ってきたワビスケが空気になったり、武家の葬式なのにあんなことやっちゃって良いの? という疑問が浮かぶところを宇宙ショーではやっぱり始めッからバーンと結論を出してしまうので、「なるほどね~」と流せる強みがあります。
そんな訳でサマウォよりも好印象だった宇宙ショーなんですけれども、やはりツッコミたい部分はある。
ズガーンの効能が明確にされないうちにベヒモスが出て来ちゃったり、ペットスターの伏線が薄かったり、ポチとネッポの確執の原因があまりハッキリしないまま戦い、その最中に語り出したりするところですね。
で、そういう曖昧だった部分をかなり台詞で説明するので「ふ~ん、そっか」という感慨しか浮かばないところ。
特に二人がガンダムの最終回みたいに説教しながら斬り合うところは、なんか言葉が上滑りしている印象が強くなってしまいました。
逆にポチとナツキがアマネとの喧嘩の原因について語ってるところ辺りは言葉に実感が出てて良かったし、「わたしはヒーローじゃないけど、このままじゃ帰れないよ!」っていうのもやや唐突な感はあったものの好きなシーンです。
作画も良くて、宇宙の色んな現象や生き物やギミックがゴチャゴチャ動くという楽しさは「SFは絵だねぇ」と語った故・野田大元帥
も満足させられるんじゃないかと。
「SFは絵だねぇ」ってのは字義通りの意味と言うよりも、SF的発想から描かれる壮大な景色や物語をいっているのでしょうが、そういう意味からでも合格点はあげられるかと思います。
内容はユルいですが、見ていて楽しくなる作品です。
子供からお年寄りまで勧められますね。
君子DQNに近寄らず
結構ウワサになってた『ヒーローショー』が6月映画三連戦の最後でした。
井筒監督作品は初見で、しかもあんま良い印象を持っていなかったんだけどこの作品は面白かった!
どうやら東大阪集団暴行殺人事件 が元ネタになっている模様。
主人公のユウキはお笑い芸人の卵、投げやりな態度でバイトを辞めてしまい、元コンビを組んでいた先輩の紹介でヒーローショーのバイトをすることに。
ところが先輩の彼女がヒーロー側の男にNTRされ、ショーの最中に喧嘩に発展する。
喧嘩に負けた先輩は鬼丸兄弟というハイレベルDQNを引っ提げてヒーロー側を恐喝、ヒーロー側もそれに対抗して【勝浦最強】と言われたDQNを助っ人として呼ぶ。
かくして事態は泥沼化……という作品です。
色んな魅力があるんですが、まず最初は問題の原因になった女の子(声優の卵って設定)。
微妙に平野綾っぽいwwwww
実際は石井あみさんて方らしく写真見るとあんま似てない。
ただ作品の中では妙にブリッコなところとかやや劣化した平野さんみたいな描かれ方をされており、この時点でちょっと笑えました。
この記事なんかは「微妙に平野綾っぽい」 印象が伝わるかな?
続いてDQNの描写、コレがバツグンに上手い。
DQNってのは実に不思議な存在で、ハッキリ言って相当ダメな人々のはずなのに妙に人を惹き付けるような所があります。DQNの野郎がモテるようなところがあるのは何となく御存知でしょう。
男性はといえばやはり何処かしら憧れを抱くような所もあって、最近だと『クローズ』とかもヒットしましたし昔ッからDNQ物(不良物)というのはマガジン辺りでしょっちゅう出てきます。
自信満々な感じと、アウトローな雰囲気、腕っ節や胆力で決まる辺りが男心をくすぐる部分があるのでしょう。
けれども実際はどうかというと、
「ケンカ最強」の暴走族特攻隊長、一般人に負けそうになり仲間が警察に通報、逮捕→「オレに教育はいらない
「クレイジーなことをやろう」警官に生卵投げた少年ら逮捕
みたいに、掛ける言葉が見付からないくらい残念な人だったりする訳ですね。
つい美化してしまうところのギャップみたいなものがよく描けています。
鬼丸って奴はかなりヤバイっぽく描かれているのに、ヒーロー側の関係者が
「チワワの世話で手が離せないんで勝浦まで来て下さい!」
とか低姿勢で頼むとムカつきながらも行っちゃうとか。
ヒーロー側の助っ人で元自衛官のユウキ(お笑い芸人と同じ名前)が【勝浦最強】で、仕事は配管工ってのも笑える。彼は色々と同情すべき部分もあり、付き合ってる女の人が実はバツイチだったのを知って不機嫌なところにこの騒動が持ち上がる。
鬼丸一行を待ち伏せして鈍器でフルボッコ。
やたら偉そうだった鬼丸が、奇襲と凶器攻撃でのされてしまう情けなさ。
その後始まるヒーロー側の一方的な暴行。
嵩にかかってつけあがるヒーロー連中。
でも元自衛官ユウキなんか虫の居所が悪いので、本来味方であるはずの発端になったヒーロー側のNTR野郎まで殴り始める。
この辺りの不条理さも実にDQNっぽい。
暴行はエスカレートする際の「生意気だ」とか「ケジメつける」みたいな精神性、そしていざ暴行をし終えた時に
「どうしよう」
って始めて事態を真剣に考えるのもいい。
DQNの行動が何故自信満々かと言えば、それは何となく自分の思い通りになるという見込みの甘さに加え、先のことを考えない無計画性にあります。ひょっとしたら切れ者もいるかもしれないが、基本的には彼らの自信や意気揚々とした行動は無知と無能と無謀に彩られている結果なのです。
だから暴行を加え続けて相手がヤバイ状態になった結果始めて
「どうしよう」
と考え始める。
これは長野の少年リンチ殺人事件 や女子高生コンクリート詰め殺人事件 にも共通する要素です。
相手に尋ねて「考えろよ!」と返す方も当然考えていない。
責任を誰かに背負わせようとする見苦しさまである。
そしてどうするか。
隠蔽
被害者を埋めてしまおう。
この短絡的な発想といったらありません。
で、
重機使えるオッサン待ってる間に案外元気な鬼丸に逃げられるとか(笑)
重機のオッサンに強請られるとか(笑)
その間にも「どうする?」「自分で考えろよ!」の応酬。
観てるこっちがいたたまれなくなる残念さ。
挙げ句の果てに折角遺体を処分したにも関わらず、ヒーローショーの車を処分する前にヒーロースーツ着てナンパして選挙カーにロケット花火打ち込んで
事故
あぁ……もうバカとしか言いようがない。
危機感を持って対処していれば少なくとも証拠隠滅までは行ったものを(正確には鬼丸に逃げられた時点でアウト)これもまた無計画性の極み。犯罪モノを結構好んで読む自分としては、こういう描写が凄くリアルで非常に興味深かったのです。
そして、本作のもう一つの顔なんですが。
それは「口だけで夢を語る人間」をこれまた相当シビアに描いているって事です。
主人公のユウキはお笑い芸人の卵。しかしネタすら満足に覚えていない。
家は汚くて牛丼とかカップラーメンばっか喰ってて、パソコン版のラブプラスみたいなのやってる(笑)
バイトも偉そうな口効いてマトモにやらない。親の仕送りに不満を漏らす。
先輩はユウキのギャグセンスを誉める。でも先輩自身のギャグは物凄く面白くない。
ヒーロー側に囲まれた時も怯えるだけで、逃げることも立ち向かうことも、何一つ出来ない。
その場で適当なことを言いつくろう。いざ逃げようとしてもすぐに失敗する。
先輩が埋められてしまった後、自衛官ユウキとの下りで少しばかり役に立つものの、結局逃げようとしたりその場しのぎの嘘を吐いたりすることは同じ。
嘘で検問を切り抜けるシーンは、警察官が芸人ユウキに騙されている訳じゃありません。
余りにも情けないのでバカにされて見過ごされただけ。
その後もう一度自衛官ユウキに捕まって穴埋め現場に連れられた時も、芸人ユウキの独白が自衛官ユウキの心を打った訳じゃない。情けなさ過ぎて相手にすらされなかっただけ。
その場その場で口先だけの適当なことを言い、なんとなく命が大事で、ピンチになったら泣きわめく。
それで結果的にやり過ごせればそれでいいやという人間。
DQNの話は他人事として客観的に笑えるのですが、芸人ユウキは「夢を口先だけで語る人間」「その場しのぎで生きる人間」のカリカチュアとして出てきます。
だから物凄く情けなくて冷笑したいのにどこか他人事じゃない。自分自身に刃が当てられているような感覚があります。
最後に芸人ユウキは実家に戻りますが、性根を入れ替えたって感じには見えません。
これもまた彼にとってはその場しのぎに思えます。
「俺の邪悪なメモ」 さんではEDに掛かるピンクレディーの「SOS」を芸人ユウキの空っぽなままの心の叫びと捉えていらっしゃいます。(この方の記事を読んで観に行ったので全体的な内容もやや引きずられてますね……反省)
個人的には「男はオオカミなのよ~」という部分も皮肉として選んだのかなぁと思う部分はありますけれども、兎も角芸人ユウキという人間は徹頭徹尾変わっていないんですね。
最後が多少地に足着いただけ、それも決定的な物じゃないだろうという。
そんでそのまま終わってしまうところにこの映画の怖さがあるような気がします。
結構ウワサになってた『ヒーローショー』が6月映画三連戦の最後でした。
井筒監督作品は初見で、しかもあんま良い印象を持っていなかったんだけどこの作品は面白かった!
どうやら東大阪集団暴行殺人事件 が元ネタになっている模様。
主人公のユウキはお笑い芸人の卵、投げやりな態度でバイトを辞めてしまい、元コンビを組んでいた先輩の紹介でヒーローショーのバイトをすることに。
ところが先輩の彼女がヒーロー側の男にNTRされ、ショーの最中に喧嘩に発展する。
喧嘩に負けた先輩は鬼丸兄弟というハイレベルDQNを引っ提げてヒーロー側を恐喝、ヒーロー側もそれに対抗して【勝浦最強】と言われたDQNを助っ人として呼ぶ。
かくして事態は泥沼化……という作品です。
色んな魅力があるんですが、まず最初は問題の原因になった女の子(声優の卵って設定)。
微妙に平野綾っぽいwwwww
実際は石井あみさんて方らしく写真見るとあんま似てない。
ただ作品の中では妙にブリッコなところとかやや劣化した平野さんみたいな描かれ方をされており、この時点でちょっと笑えました。
この記事なんかは「微妙に平野綾っぽい」 印象が伝わるかな?
続いてDQNの描写、コレがバツグンに上手い。
DQNってのは実に不思議な存在で、ハッキリ言って相当ダメな人々のはずなのに妙に人を惹き付けるような所があります。DQNの野郎がモテるようなところがあるのは何となく御存知でしょう。
男性はといえばやはり何処かしら憧れを抱くような所もあって、最近だと『クローズ』とかもヒットしましたし昔ッからDNQ物(不良物)というのはマガジン辺りでしょっちゅう出てきます。
自信満々な感じと、アウトローな雰囲気、腕っ節や胆力で決まる辺りが男心をくすぐる部分があるのでしょう。
けれども実際はどうかというと、
「ケンカ最強」の暴走族特攻隊長、一般人に負けそうになり仲間が警察に通報、逮捕→「オレに教育はいらない
「クレイジーなことをやろう」警官に生卵投げた少年ら逮捕
みたいに、掛ける言葉が見付からないくらい残念な人だったりする訳ですね。
つい美化してしまうところのギャップみたいなものがよく描けています。
鬼丸って奴はかなりヤバイっぽく描かれているのに、ヒーロー側の関係者が
「チワワの世話で手が離せないんで勝浦まで来て下さい!」
とか低姿勢で頼むとムカつきながらも行っちゃうとか。
ヒーロー側の助っ人で元自衛官のユウキ(お笑い芸人と同じ名前)が【勝浦最強】で、仕事は配管工ってのも笑える。彼は色々と同情すべき部分もあり、付き合ってる女の人が実はバツイチだったのを知って不機嫌なところにこの騒動が持ち上がる。
鬼丸一行を待ち伏せして鈍器でフルボッコ。
やたら偉そうだった鬼丸が、奇襲と凶器攻撃でのされてしまう情けなさ。
その後始まるヒーロー側の一方的な暴行。
嵩にかかってつけあがるヒーロー連中。
でも元自衛官ユウキなんか虫の居所が悪いので、本来味方であるはずの発端になったヒーロー側のNTR野郎まで殴り始める。
この辺りの不条理さも実にDQNっぽい。
暴行はエスカレートする際の「生意気だ」とか「ケジメつける」みたいな精神性、そしていざ暴行をし終えた時に
「どうしよう」
って始めて事態を真剣に考えるのもいい。
DQNの行動が何故自信満々かと言えば、それは何となく自分の思い通りになるという見込みの甘さに加え、先のことを考えない無計画性にあります。ひょっとしたら切れ者もいるかもしれないが、基本的には彼らの自信や意気揚々とした行動は無知と無能と無謀に彩られている結果なのです。
だから暴行を加え続けて相手がヤバイ状態になった結果始めて
「どうしよう」
と考え始める。
これは長野の少年リンチ殺人事件 や女子高生コンクリート詰め殺人事件 にも共通する要素です。
相手に尋ねて「考えろよ!」と返す方も当然考えていない。
責任を誰かに背負わせようとする見苦しさまである。
そしてどうするか。
隠蔽
被害者を埋めてしまおう。
この短絡的な発想といったらありません。
で、
重機使えるオッサン待ってる間に案外元気な鬼丸に逃げられるとか(笑)
重機のオッサンに強請られるとか(笑)
その間にも「どうする?」「自分で考えろよ!」の応酬。
観てるこっちがいたたまれなくなる残念さ。
挙げ句の果てに折角遺体を処分したにも関わらず、ヒーローショーの車を処分する前にヒーロースーツ着てナンパして選挙カーにロケット花火打ち込んで
事故
あぁ……もうバカとしか言いようがない。
危機感を持って対処していれば少なくとも証拠隠滅までは行ったものを(正確には鬼丸に逃げられた時点でアウト)これもまた無計画性の極み。犯罪モノを結構好んで読む自分としては、こういう描写が凄くリアルで非常に興味深かったのです。
そして、本作のもう一つの顔なんですが。
それは「口だけで夢を語る人間」をこれまた相当シビアに描いているって事です。
主人公のユウキはお笑い芸人の卵。しかしネタすら満足に覚えていない。
家は汚くて牛丼とかカップラーメンばっか喰ってて、パソコン版のラブプラスみたいなのやってる(笑)
バイトも偉そうな口効いてマトモにやらない。親の仕送りに不満を漏らす。
先輩はユウキのギャグセンスを誉める。でも先輩自身のギャグは物凄く面白くない。
ヒーロー側に囲まれた時も怯えるだけで、逃げることも立ち向かうことも、何一つ出来ない。
その場で適当なことを言いつくろう。いざ逃げようとしてもすぐに失敗する。
先輩が埋められてしまった後、自衛官ユウキとの下りで少しばかり役に立つものの、結局逃げようとしたりその場しのぎの嘘を吐いたりすることは同じ。
嘘で検問を切り抜けるシーンは、警察官が芸人ユウキに騙されている訳じゃありません。
余りにも情けないのでバカにされて見過ごされただけ。
その後もう一度自衛官ユウキに捕まって穴埋め現場に連れられた時も、芸人ユウキの独白が自衛官ユウキの心を打った訳じゃない。情けなさ過ぎて相手にすらされなかっただけ。
その場その場で口先だけの適当なことを言い、なんとなく命が大事で、ピンチになったら泣きわめく。
それで結果的にやり過ごせればそれでいいやという人間。
DQNの話は他人事として客観的に笑えるのですが、芸人ユウキは「夢を口先だけで語る人間」「その場しのぎで生きる人間」のカリカチュアとして出てきます。
だから物凄く情けなくて冷笑したいのにどこか他人事じゃない。自分自身に刃が当てられているような感覚があります。
最後に芸人ユウキは実家に戻りますが、性根を入れ替えたって感じには見えません。
これもまた彼にとってはその場しのぎに思えます。
「俺の邪悪なメモ」 さんではEDに掛かるピンクレディーの「SOS」を芸人ユウキの空っぽなままの心の叫びと捉えていらっしゃいます。(この方の記事を読んで観に行ったので全体的な内容もやや引きずられてますね……反省)
個人的には「男はオオカミなのよ~」という部分も皮肉として選んだのかなぁと思う部分はありますけれども、兎も角芸人ユウキという人間は徹頭徹尾変わっていないんですね。
最後が多少地に足着いただけ、それも決定的な物じゃないだろうという。
そんでそのまま終わってしまうところにこの映画の怖さがあるような気がします。
オカルトを制する物は笑いを制す
どんづまりに近い「アニメノチカラ」枠が最後に出したエクトプラズム的なアレが『世紀末オカルト学院』 である。
OPの造りなんかは如何にもオカルト。
『プラネテス』OP みたいに脈絡が必要だ、という意見を聞いたがよく考えるとそれは科学だからこその繋がりであってオカルトはむしろ逆。
オカルトには相互の脈絡がない……というよりも相互の繋がりがないのがオカルトだ。
超古代史 みたいなのはあっても、ちゃんとした学問ではないので人によって(普通の歴史以上に)成立が異なる。
互いに影響もしあっているが、結局の所は宇宙人とかムー とかアトランティス とかレムリア とか実証が全くなされていない物や仮説に過ぎない物を(歪めて)出してきたりので系統だった解釈が成立しにくい。
そういう意味ではあのごった煮となったOPは正しいと言える。
物語としては学院長の死に関わる陰謀論と、ノストラダムスの終末論が二本軸で、恐らくはここら辺が相互に関係してくるんだろう。
間違いなく小林ゆう が怪しい。色んな意味 (ニコ動)で。
怪しいがそれだとややスタンダードすぎる気もするなあ。
立ち位置も気になるし。
ウンモ星人 やニャントロ人 の手先なのか、或いはイルミナティ やフリーメイソン なのか。
フリーメイソンはオカルト系ノンフィクションだとしばしば悪役扱いだが、フィクションだと逆に気を使うかな?
ともあれ、この作品も今のところ「アニメとしてはなかなか良いけどジャンル物としてはちょっと不安」な感じの作品ってところかなぁ。
アニメノチカラ枠として一番良いのは確か。
結構多い映画オマージュ
・ザ・フライ (@クローネンバーグ /転送ポッド)
・死霊のはらわた (死霊)
・エクソシスト (花澤液噴射)
・ターミネーター (裸の未来人)
・宇宙戦争 (トライポッド )
・サイコ (シャワー/但しはらわたにも類似シーンあり)
・サスペリア (?/雷に浮かぶ人影 )
・足跡の演出は明確な元ネタ不明、最近だと『パラノーマル・アクティビティ』 であった。
あとオカルトネタとしては
・ノストラダムスの大予言 (諸世紀 とする辺りが『ムー』っぽい!)
・2012 (マヤ文明の暦の区切り/滅亡の予言として扱われている)
・ヴァルトシュタイン学院(ヴァルドルフ学校 )
・皆神山 (和製ピラミッド)
・モスマン (?/目の赤い敵 )
・ジョン・タイター (文明/未来人)
・清田益章 (文明/元スプーン曲げ少年)
・ウンモ星人(王の字型のマーク)
・ダウジング (@紅の豚)
文明が複数居る理由は現時点では不明。もしクローンで有ればラエリアンもネタとして出てくるか?
う~ん、実際の団体なので難しいか。出したらスタッフには敬意を表したい。
気になるのが1話の死霊と、2話の幽霊の元ネタが微妙な部分か。
古代エジプト・ラロカ文明のラミーって調べてみたけどちょっと分からない。
多少もじってる場合もあるだろうし、こちらも寡聞にして……という可能性も否定出来ないが、ここ辺りのネタとしては明確なバックグラウンドが欲しかった。
オカルトはディティールが物を言うのだ。
あとはヒロインがちょっと引っ掛かるかなぁ。
「オカルト嫌い」という設定で想起される物とはちょっと違う。
「オカルトを信じているし力があることも認識しているけど、それ故に心を捕らわれる人が多いので嫌い」
といったところか。
オカルト実在前提で話を持って行くにはこちらの方が素直に行くんだろうが、やはりオカルトの醍醐味はバリバリ肯定派の凄い主張と強引な関連付け、それに真っ向から立ち向かう否定派のおかしなやりとり、更には肯定派否定派問わずオカルトに轢かれる人々の奇妙な精神性にあると言っても過言ではない。
ここらは最近『東日流外三郡誌』 の本を読んだので、その際に言及するかもしれない。
この作品は実在前提のファンタジー的側面を持っているので致し方ない部分はあるけれども、マグロのいいとこを握って貰おうと思ったら筋ばった赤身のみで大トロをしまわれたような気分は拭えない。
とは言えそれは作品方向性レベルの話だから後はどれくらい複数のオカルトを上手く絡めるか、そして時間改変物としてどう成立させるのかが作品の是非を決めるだろう。
どんづまりに近い「アニメノチカラ」枠が最後に出したエクトプラズム的なアレが『世紀末オカルト学院』 である。
OPの造りなんかは如何にもオカルト。
『プラネテス』OP みたいに脈絡が必要だ、という意見を聞いたがよく考えるとそれは科学だからこその繋がりであってオカルトはむしろ逆。
オカルトには相互の脈絡がない……というよりも相互の繋がりがないのがオカルトだ。
超古代史 みたいなのはあっても、ちゃんとした学問ではないので人によって(普通の歴史以上に)成立が異なる。
互いに影響もしあっているが、結局の所は宇宙人とかムー とかアトランティス とかレムリア とか実証が全くなされていない物や仮説に過ぎない物を(歪めて)出してきたりので系統だった解釈が成立しにくい。
そういう意味ではあのごった煮となったOPは正しいと言える。
物語としては学院長の死に関わる陰謀論と、ノストラダムスの終末論が二本軸で、恐らくはここら辺が相互に関係してくるんだろう。
間違いなく小林ゆう が怪しい。色んな意味 (ニコ動)で。
怪しいがそれだとややスタンダードすぎる気もするなあ。
立ち位置も気になるし。
ウンモ星人 やニャントロ人 の手先なのか、或いはイルミナティ やフリーメイソン なのか。
フリーメイソンはオカルト系ノンフィクションだとしばしば悪役扱いだが、フィクションだと逆に気を使うかな?
ともあれ、この作品も今のところ「アニメとしてはなかなか良いけどジャンル物としてはちょっと不安」な感じの作品ってところかなぁ。
アニメノチカラ枠として一番良いのは確か。
結構多い映画オマージュ
・ザ・フライ (@クローネンバーグ /転送ポッド)
・死霊のはらわた (死霊)
・エクソシスト (花澤液噴射)
・ターミネーター (裸の未来人)
・宇宙戦争 (トライポッド )
・サイコ (シャワー/但しはらわたにも類似シーンあり)
・サスペリア (?/雷に浮かぶ人影 )
・足跡の演出は明確な元ネタ不明、最近だと『パラノーマル・アクティビティ』 であった。
あとオカルトネタとしては
・ノストラダムスの大予言 (諸世紀 とする辺りが『ムー』っぽい!)
・2012 (マヤ文明の暦の区切り/滅亡の予言として扱われている)
・ヴァルトシュタイン学院(ヴァルドルフ学校 )
・皆神山 (和製ピラミッド)
・モスマン (?/目の赤い敵 )
・ジョン・タイター (文明/未来人)
・清田益章 (文明/元スプーン曲げ少年)
・ウンモ星人(王の字型のマーク)
・ダウジング (@紅の豚)
文明が複数居る理由は現時点では不明。もしクローンで有ればラエリアンもネタとして出てくるか?
う~ん、実際の団体なので難しいか。出したらスタッフには敬意を表したい。
気になるのが1話の死霊と、2話の幽霊の元ネタが微妙な部分か。
古代エジプト・ラロカ文明のラミーって調べてみたけどちょっと分からない。
多少もじってる場合もあるだろうし、こちらも寡聞にして……という可能性も否定出来ないが、ここ辺りのネタとしては明確なバックグラウンドが欲しかった。
オカルトはディティールが物を言うのだ。
あとはヒロインがちょっと引っ掛かるかなぁ。
「オカルト嫌い」という設定で想起される物とはちょっと違う。
「オカルトを信じているし力があることも認識しているけど、それ故に心を捕らわれる人が多いので嫌い」
といったところか。
オカルト実在前提で話を持って行くにはこちらの方が素直に行くんだろうが、やはりオカルトの醍醐味はバリバリ肯定派の凄い主張と強引な関連付け、それに真っ向から立ち向かう否定派のおかしなやりとり、更には肯定派否定派問わずオカルトに轢かれる人々の奇妙な精神性にあると言っても過言ではない。
ここらは最近『東日流外三郡誌』 の本を読んだので、その際に言及するかもしれない。
この作品は実在前提のファンタジー的側面を持っているので致し方ない部分はあるけれども、マグロのいいとこを握って貰おうと思ったら筋ばった赤身のみで大トロをしまわれたような気分は拭えない。
とは言えそれは作品方向性レベルの話だから後はどれくらい複数のオカルトを上手く絡めるか、そして時間改変物としてどう成立させるのかが作品の是非を決めるだろう。
今期の期待作とされている一つ『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』(以下HOTD)が放映されたり放映されたと思いきやされていなかったり
している。
僕も1話を視聴した。
動画素人な自分でも分かるくらいとっても動きが良いし、ヒロインが素晴らしい人間のクズなので興味を惹かれる作品ではありました。
ただ現時点に於いて「ゾンビ物としてはどうなんだろう」というような印象もあります。
これは『世紀末オカルト学院』にも共通する感慨で、
「一個のアニメとしては面白そうだけどジャンル物としてはどうなっていくのか予断を許さない」
みたいな感じです。
前期は『HEROMAN』にジャンルものとしての期待を掛けた(あまり応えてくれたとは言えない)事の裏返しみたいなもんか。
そんな訳で、ゾンビ映画とは何かそしてHOTDの場合はどうなのかをちょっと考えてみたいと思います。
とまぁ偉そうな出だしですが、そんなに多くのゾンビ映画を見た訳ではありません。
むしろ同好の士としてはロメロ辺りをちょっとを撫でた……いや触れただけというレベル。
ただどちらかというと「ゾンビ」という存在そのものに対して考えていくので、その辺りはご寛恕下さい。
ゾンビものを分けると幾つかの系統に纏められます。
クリーチャー(ホラー・アクション)
ゾンビは戦うor逃げるべき敵として出てくる(シリアスに)
スプラッター
ゾンビが人を襲う描写、ゾンビになった後のグロい描写が中心
パニック
ゾンビによって群衆が逃げまどい社会に影響を与えるもの
滅亡
ゾンビによって人類が終演していく様を描く
コメディ
ゾンビや襲われる人間がコミカルに描かれる
考えつくのはこんなところ。
もちろん、これらは単純に分割出来る物ではなく複合的な要素を持っています。
ロメロのゾンビはパニック&滅亡の要素が強く、『ブレインデッド』などはスプラッター&コメディ、『バタリアン』もそんな感じでしょうか。最近で言えば『REC』はクリーチャー&パニックとか。
ただどの作品も例えばクリーチャーとしての要素を持っていないかと言えばそんなこともなく、要するに程度の問題ですね。
これらの系統はゾンビ物のカテゴリとして存在すると同時に、ゾンビの魅力としても存在すると思います。
では、ゾンビの特色とは何でしょうか。
一つ、数が多いこと。
一つ、数か増えていくこと。
一つ、生物の死体であるということ。
一つ、死体は基本的に損壊していること。
一つ、生前の意識がほぼ残っていないこと。
これらが主として挙げられるでしょう。
逆に言えば数が少なく、数が増えず、元が生物でなく、肉体が完全であればゾンビとは言い難い。別のクリーチャーです。まぁバイハザなんかでは色々なのが出てきていますが、アレを全てゾンビと言えるかどうかは難しい。
これらの要素を俯瞰して、人間に当て嵌めて考えてみましょう。
数が多いというのは人間と同様ですが、その数か増えていく・死んだ生物(人間)となってくるとその意味は違ってきます。
ゾンビというのは増えれば増えるほど人間が減っていく仕組みになっているのです。
そして多くは食いちぎられた状態でゾンビとなり、生前の精神状態からはほど遠いところにあります。
精神を浸食し、肉体を咀嚼し、種族を駆逐する。
これがゾンビです。
彼らは直接的な「死」を与えるクリーチャーとは全く異なる恐怖を人間に与えるのです。
浸食の恐怖、いや不気味さとでも言うべきでしょうか。
人間を人間たらしめているものを段々と削り取ってしまい、どんどんと増えていく。
言うなればひたひたと迫り来る腐食の海のようなものです。
そういえば日本の代表的なゾンビゲーム『SIREN』は赤い水をゾンビのキーワードにしていたはずですね。
更に言えばゾンビ自身が浸食するだけではありません。
ゾンビ物の中には逃げ込んで籠城する人間は多く仲違いをしたり自己中心的な行動に走ったりするものがあります。またゾンビを駆逐する人間達は本来嫌々やっていたはずなのに、いつの間にか狩猟気分で楽しんでいるような描写が出てくる物もあります。
ロメロなんかは結構そういうのが多い……かな? そこまで多く見ていませんけどw
これはゾンビのスペックが低いと起こりやすい現象で、団結しなくてもやってける余裕や慣れれば案外楽に殺せる事に気付いた結果、人間自身が自ら人間性や社会性を失っていくという皮肉です。
ゾンビはそれ自体が人間の戯画化であると同時に、
あらゆる意味で人間を剥いでしまう存在
なのですね。
さて振り返ってHOTDは、第1話はこれらゾンビ物の基本をよく踏まえていました。
現時点ではクリーチャー&パニック&滅亡ってところでしょうか。
TVアニメだからスプラッタとして見るとそれほどじゃないですし。
で、人間のクズの鑑とも言うべきヒロインですが、実にゾンビ物に相応しい精神状態であるとも言えます。
ただちょっと気になるのは「溜め」が少ないかなという部分。
友達連れでピンチになったら逃げる人も、もう少し溜めをやっておいた方がクズっぷりが効いてくる気がします。またヒロインの彼氏もアッという間にゾンビ化してしまうのでやや残念。彼が居ればもう少しドロドロっぽい展開や先に触れた静かな不気味さ、悲しさや感動といった諸要素を盛り込めたと思うのですが………。
エログロ一本で攻めていくのかという気もしないではないですけれども、そのやり方だとアニメ作品として飽きがきやすい予感もします。
ただ原作の佐藤大輔さんは書き手としては実力のある方。
どこにアニメとしてのオチを持ってくるかも含めて不安もありますが、ここは期待したいところ。
僕も1話を視聴した。
動画素人な自分でも分かるくらいとっても動きが良いし、ヒロインが素晴らしい人間のクズなので興味を惹かれる作品ではありました。
ただ現時点に於いて「ゾンビ物としてはどうなんだろう」というような印象もあります。
これは『世紀末オカルト学院』にも共通する感慨で、
「一個のアニメとしては面白そうだけどジャンル物としてはどうなっていくのか予断を許さない」
みたいな感じです。
前期は『HEROMAN』にジャンルものとしての期待を掛けた(あまり応えてくれたとは言えない)事の裏返しみたいなもんか。
そんな訳で、ゾンビ映画とは何かそしてHOTDの場合はどうなのかをちょっと考えてみたいと思います。
とまぁ偉そうな出だしですが、そんなに多くのゾンビ映画を見た訳ではありません。
むしろ同好の士としてはロメロ辺りをちょっとを撫でた……いや触れただけというレベル。
ただどちらかというと「ゾンビ」という存在そのものに対して考えていくので、その辺りはご寛恕下さい。
ゾンビものを分けると幾つかの系統に纏められます。
クリーチャー(ホラー・アクション)
ゾンビは戦うor逃げるべき敵として出てくる(シリアスに)
スプラッター
ゾンビが人を襲う描写、ゾンビになった後のグロい描写が中心
パニック
ゾンビによって群衆が逃げまどい社会に影響を与えるもの
滅亡
ゾンビによって人類が終演していく様を描く
コメディ
ゾンビや襲われる人間がコミカルに描かれる
考えつくのはこんなところ。
もちろん、これらは単純に分割出来る物ではなく複合的な要素を持っています。
ロメロのゾンビはパニック&滅亡の要素が強く、『ブレインデッド』などはスプラッター&コメディ、『バタリアン』もそんな感じでしょうか。最近で言えば『REC』はクリーチャー&パニックとか。
ただどの作品も例えばクリーチャーとしての要素を持っていないかと言えばそんなこともなく、要するに程度の問題ですね。
これらの系統はゾンビ物のカテゴリとして存在すると同時に、ゾンビの魅力としても存在すると思います。
では、ゾンビの特色とは何でしょうか。
一つ、数が多いこと。
一つ、数か増えていくこと。
一つ、生物の死体であるということ。
一つ、死体は基本的に損壊していること。
一つ、生前の意識がほぼ残っていないこと。
これらが主として挙げられるでしょう。
逆に言えば数が少なく、数が増えず、元が生物でなく、肉体が完全であればゾンビとは言い難い。別のクリーチャーです。まぁバイハザなんかでは色々なのが出てきていますが、アレを全てゾンビと言えるかどうかは難しい。
これらの要素を俯瞰して、人間に当て嵌めて考えてみましょう。
数が多いというのは人間と同様ですが、その数か増えていく・死んだ生物(人間)となってくるとその意味は違ってきます。
ゾンビというのは増えれば増えるほど人間が減っていく仕組みになっているのです。
そして多くは食いちぎられた状態でゾンビとなり、生前の精神状態からはほど遠いところにあります。
精神を浸食し、肉体を咀嚼し、種族を駆逐する。
これがゾンビです。
彼らは直接的な「死」を与えるクリーチャーとは全く異なる恐怖を人間に与えるのです。
浸食の恐怖、いや不気味さとでも言うべきでしょうか。
人間を人間たらしめているものを段々と削り取ってしまい、どんどんと増えていく。
言うなればひたひたと迫り来る腐食の海のようなものです。
そういえば日本の代表的なゾンビゲーム『SIREN』は赤い水をゾンビのキーワードにしていたはずですね。
更に言えばゾンビ自身が浸食するだけではありません。
ゾンビ物の中には逃げ込んで籠城する人間は多く仲違いをしたり自己中心的な行動に走ったりするものがあります。またゾンビを駆逐する人間達は本来嫌々やっていたはずなのに、いつの間にか狩猟気分で楽しんでいるような描写が出てくる物もあります。
ロメロなんかは結構そういうのが多い……かな? そこまで多く見ていませんけどw
これはゾンビのスペックが低いと起こりやすい現象で、団結しなくてもやってける余裕や慣れれば案外楽に殺せる事に気付いた結果、人間自身が自ら人間性や社会性を失っていくという皮肉です。
ゾンビはそれ自体が人間の戯画化であると同時に、
あらゆる意味で人間を剥いでしまう存在
なのですね。
さて振り返ってHOTDは、第1話はこれらゾンビ物の基本をよく踏まえていました。
現時点ではクリーチャー&パニック&滅亡ってところでしょうか。
TVアニメだからスプラッタとして見るとそれほどじゃないですし。
で、人間のクズの鑑とも言うべきヒロインですが、実にゾンビ物に相応しい精神状態であるとも言えます。
ただちょっと気になるのは「溜め」が少ないかなという部分。
友達連れでピンチになったら逃げる人も、もう少し溜めをやっておいた方がクズっぷりが効いてくる気がします。またヒロインの彼氏もアッという間にゾンビ化してしまうのでやや残念。彼が居ればもう少しドロドロっぽい展開や先に触れた静かな不気味さ、悲しさや感動といった諸要素を盛り込めたと思うのですが………。
エログロ一本で攻めていくのかという気もしないではないですけれども、そのやり方だとアニメ作品として飽きがきやすい予感もします。
ただ原作の佐藤大輔さんは書き手としては実力のある方。
どこにアニメとしてのオチを持ってくるかも含めて不安もありますが、ここは期待したいところ。
よくある二作目って感じか
六月中に観た映画をまだ更新してなかったんで消化。
『アイアンマン2』は有り体にいってあまり面白くはなかったな~。
なので感想もやや簡潔に。
いい歳したオッサンがパワードスーツ製作にハマる、というバカバカしさがとても良かった第一作の魅力はかなり失われてしまった感がある。トランク型のスーツなんかはメチャメチャカッコイイんだけど、それも一回きり。
工作シーンもあまり多くなく、ペッパーさんとのやり取りもどっちかっていうとギスギスした物が増えて、前回までの小気味いい会話が減退している。
敵にミッキー・ロークを使用したのは良いんだけれども、あまり有効活用しているとは言い難い。
立場も「父親が研究を盗まれた」という、ある意味アイアンマンのナルシズムに一泡吹かせる役柄だったハズが結局サミュエル・L・ジャクソンが「いや、あれは私利私欲で使おうとしたから追い出されたんだ」と言っただけで卑小な存在に。アーク・リアクターの副作用も結構簡単に抑えられ、新型が開発されてしまったので、傷付いたヒーローとしても中途半端。
という訳で、『告白』『アイアンマン2』『ヒーローショー』の中で一番期待していたのに一番評価が低い作品と相成りました。
無念。
六月中に観た映画をまだ更新してなかったんで消化。
『アイアンマン2』は有り体にいってあまり面白くはなかったな~。
なので感想もやや簡潔に。
いい歳したオッサンがパワードスーツ製作にハマる、というバカバカしさがとても良かった第一作の魅力はかなり失われてしまった感がある。トランク型のスーツなんかはメチャメチャカッコイイんだけど、それも一回きり。
工作シーンもあまり多くなく、ペッパーさんとのやり取りもどっちかっていうとギスギスした物が増えて、前回までの小気味いい会話が減退している。
敵にミッキー・ロークを使用したのは良いんだけれども、あまり有効活用しているとは言い難い。
立場も「父親が研究を盗まれた」という、ある意味アイアンマンのナルシズムに一泡吹かせる役柄だったハズが結局サミュエル・L・ジャクソンが「いや、あれは私利私欲で使おうとしたから追い出されたんだ」と言っただけで卑小な存在に。アーク・リアクターの副作用も結構簡単に抑えられ、新型が開発されてしまったので、傷付いたヒーローとしても中途半端。
という訳で、『告白』『アイアンマン2』『ヒーローショー』の中で一番期待していたのに一番評価が低い作品と相成りました。
無念。