『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』総括 ~むしろ上橋菜穂子へリメイク依頼したい~ | リュウセイグン

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なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

センセイ、オネガイシマス!


(一回記事が途中で消えたので多少アレになってるかも分からんね)
最終回、ある程度は(予想通りに)纏まっていたけど、やはり色々と問題があるなぁ。


まずは簡単に言える部分から


・ローマ軍は講和を促す示威行動による進軍だった

バッカじゃなかろうか
示威行動で人跡未踏の地を遠征してくる奴とか、頭が悪すぎる。
誕生日のサプライズパーティじゃあるまいし、今まで戦火を交えた国境近辺に大軍結集すればいいだけの話だろうが!



・ローマ軍はきっと戦いたがらないのでヘルベチア軍はローマ軍の捕虜を目の前で銃殺します

バッカじゃなかろうか
こんなやり方で戦端開いても不利になるだけだと思うんだけど………相手につけ込む隙を与えられるだけ。
ローマ側がそれに乗るかも分からない。
大佐クラスの判断でこういう軍紀違反(とまでは世界観的に断言出来ないけど明らかに問題の起きそうな行為)をやったって、大佐が上層部に処分されてヘルベチアが平謝りすれば、より一層不利な講和が持ち上がるだけじゃないかと。何しろ国のトップが既に厭戦気分なんだから。
あと他の国とも国境を接している場合、悪印象を与える上に従来の戦況はローマ軍に有利と推測されるので、たとえ今まで友好的な態度を取っていた国もこれを理由(言い訳)に寝返られる場合がある。
(今回の行動はホプの独断という意見がある模様。個人的には完全な独断と言うよりも状況が固まっていないので自分の望む方向に流しちゃおうという感じがする。ただこの方向性ならば短絡的でも成立はする)


・ローマ軍は夜明けに攻撃開始します


バッッッカじゃなかろうか
ローマも講和を促す示威行動で自分から攻撃してどうすんだよ!
ていうか、こういう展開になるならさっきの大佐の判断イミネージャン!
大佐側は知らなかったとは言え、ピエロだよねまるで。

何故こういう状態になったか脚本家を始めとするスタッフの脳内を推測すると……
大佐は悪い奴でなければならない(だから命令無視しても構わない)
アイシャは可哀想な立場でなければならない、けど死んでしまうと可哀想だし後味が悪いしラッパ如きで止まるのが不自然だから死んではならない
よってアイシャはカナタ達に救われなくてはならない
しかしアイシャが救われると戦争未遂が起きない
結果ローマ軍に勝手に動いて貰わないといけない
という紆余曲折を経たと思われます。
……バッカじゃなかろうか



・停戦信号では静止しないのにアメイジング・グレイスで静止する兵士たち

バッカじゃなかろうか
この世界の中で一般的に『アメイジング・グレイス』ってのはどういう意味を持つのか全然描かれてないんだけど。
いや先週で観たとおり両軍の兵士(の一部)が同じ曲知ってるってのは理解してるよ。
でも、みんながこの曲にどういう思い入れがあるかを描かないとフィクションだと考慮しても止まる理由にはならんわな。イリア公女が吹いてたという意味でヘルベチア側には思い入れがあってもおかしくはないが、ローマからすれば敵の勝鬨みたいなものとも取れる。
要するにアイシャが知ってた理由は不明なのでそこを書かないといけない。
むしろ明確な理由はフィクションにこそ必要なんだよ。



・帰ってきたリオ

バッカじゃなかろうか

そんな物わかりのいいローマ皇帝なら始めから政略結婚(人質)とか関係なく講和するわ!
示威行動目的のノーマンズランド遠征とか馬鹿な戦略全否定だわ!

ローマ皇帝が物分かり良くて、ヘルベチア大公が怖じ気づいてるのに講和が成立しない不思議な戦争
両方軍部の一部が熱を上げて元首が掣肘しえないパターンだったのか?
でも大佐以上の人間がそもそも出てこないからなぁ……

※ 他の人と話し合ったところ、リオはイリア亡き今、唯一の継承者である可能性が出てきた。それがローマ皇帝の側室になるというのはヘルベチアにとっては非常に痛いので、ヘルベチア側が渋った可能性はある。ただその場合リオの重要性が増すので皇帝が本国に戻してしまうのはより一層不自然になってしまう。



極端なツッコミはこれくらいにしておこう。
で、黙示録の天使(悪魔)伝承について。

炎の乙女は悪魔を退治したんじゃなくて、懲罰天使を介抱しました。


これは発想としては必ずしも否定しがたい部分がある。
価値観の変動という意味合いではカタルシスを与えられる可能性があるし、テーマとも合致しうる。

問題のまず一つは取って付けたような明かし方をした事。
最後の最後になってから台詞だけで価値転換を迫るのは、理論上はありでも作劇上は浮いて見える。
せめてこれに関する伏線を幾らか入れておくべきだった。
そもそも悪魔については1話・7話の僅かな(ほとんど一瞬と言って良い)描写と11・12話のちょっとでしか語られていない。
よって悪魔の虚像すらロクに知らされていなかったのだから、その読み直しが出てきてもカタルシスを得ようがない。純粋に悪魔としての描写と、この価値転換に繋がり得る(けどそれだけでは誤解してしまう描写)の双方を入れないと、取って付けた感が強くなる。「あの部分はああいうことだったのか!」と思わせるような類でないと、ただの説明になってしまう。
ソラヲトは全体を通じて演出は結構細かく丁寧なのに一番重要なことはみんな台詞で喋ってしまう傾向にあって、それが極端に出た部分と言えるのかもしれない。



もう一つ問題になるのは、悪魔か天使か結局判別しづらいところ。
もちろんこれは物語中で敢えて判然としないように描かれているとは思う。
従来より僕の語ってきたソラヲトのテーマ「価値の読み替え」に関わる部分だからだ。

翼を持ちて人を滅ぼさんとする(虐げんとする)者

悪魔かもしれない

でも

神様が人間に罰を与える為に使わした天使かもしれない


これは一神教(ローマ)と多神教(ヘルベチア)の信仰感の違いによるものだ。
多神教では悪神が存在しうるが、基本的に一神教では神以外に「人類を滅ぼす(虐げる)者」は存在し得ない
理由を簡単に言うと力関係が、神>その他なので、神が人間を守ろうとすれば守れない訳がない。
つまり理由はどうあれ、現実として人類窮地に立たされているのは神が看過しているか、積極的に滅ぼそうとしているかの二択になる。
実際に『ヨハネの黙示録』などでは(解釈こそ様々だが)天使によって人類に危害が及ぶ様子が描かれている。

つまりこの読み替えを行うと

人類に懲罰を与える為に下された天使は、人類の善意に逢って、善なる者達を許した
(結果他の人も救われた)


というのがローマの炎の乙女伝説となってノアの箱船などに近い物語として成立する。

これは一神教的な伝説であり、実際の所は分からない。
ローマにはこう伝わり、カナタはその価値観を受け入れたというだけだ。

だから判然としないのだが、これは結構重要な部分でもあるのだ。
一神教的な解釈は置いておき、炎の乙女たちは翼ある物を介抱したという事を仮定しよう。
そして金の角笛を用いて他の翼ある物を回避したというのも事実としよう。
異なる生物間の物語として考えてみるのだ。

結果としてコミュニケーションは成立したとされているが、今まで悪魔の一部分しか見せなかったのはやはり問題だと思う。どんな生物か(視聴者には)分からないままに交流している。
恐らく実際の所は宇宙生物かなんかだと思うのだが、それがプレデター系エイリアン系かで大きな問題が出る。
結果論として翼ある物はプレデター系だったのだが、これはエイリアン系には通じない。
介抱=友和というのはあくまで人類的な発想でしかない。
謎の生物には逆にそれが敵対行動と写るかもしれない
これもまた価値観の読み替えである。

○○はAかもしれない
でも
Bかもしれない

ソラヲトは基本的にBがAを優先する形で描かれてはいるが、Aを優先させてはいけない理由など何もない。特に異類間の場合には。のほほんとした人間だからBがステキに思えるのであって、他者にとってはその限りではないのだ。
これが「翼ある物」や世界観についてもう少し描かれていれば別だったかもしれないけれども、全然描かれていないので相対的な話が出来てしまう。翼ある物がもう少し元気だったら介抱される間もなく殺されていただろうし、介抱が敵対行為になりうるかもしれない。
これがキチンと成立するのは一神教的解釈だけだ(人類に対する懲罰天使なので、善意を持つ物に害を与えないのは説得力がある)やはり、こういう物をかくのは台詞だけではダメで描写をしないといけない。
でも一神教が肯定出来る明確な描写はない。だからたまたま生物との交流が出来たという事い過ぎない。
だからこの可能性を考えてフォローしなければならないのだが、それはしていない。


また、この伝説を以ていきなり分かり合いや生命尊重の話になってしまっているが、これも戴けない。
もしそういう意味に繋げるとしたら、まず先にカナタ達が(小規模であっても)そういう行動を見せているべきだ。
それは同年齢の偵察兵捕虜を助ける事だけでは表現出来ない

自らを本当の意味で虐げてくる物に寛容さを見せてこそ成立する。

つまりホプキンス大佐のような人間を早い段階で登場させ、苦労させられたにも関わらず赦し、助けてこそ実際に表現出来る。

僕は一年くらい前にガンダム00の最終回SS を書いたが、それと同じ。
ただ歌ってもバカバカしいだけだが、憎んでもおかしくない状況で更に虐げられ、傷付きながらも歌を辞めないからこそ心を打てる。

彼女たちは、1121小隊で苦労していない。過去の苦労はほぼ台詞だけで解消される。
もちろん、どういう経緯を辿ろうがラッパ吹いて戦争終わらせるなんてものは絵空事だが、それ自体は構わないと思っている。ただ絵空事だからこそ説得力を持たせなければならない
それは視聴者が「こんな状態になったら絶対に人を憎むだろう」とか「これは絶対に撃つだろう」という状況で主人公達にそれを否定させることだ。視聴者の実感と登場人物の決断を引き離すことだ(『グラン・トリノ』もそうだったな)
これがキャラクタの凄さを表現することに繋がり、そういう人間がラッパを吹く事で戦争終結なんてあり得ない状況に実感を持たせるのだ。



これをやりきったのが『獣の奏者エリン』だ。
エリンは常に窮地に立たされ、苦悩し、迷う。
そして時には信念どうしが相克し、本人の望まない決断や結果をも強いられる
それでも獣の事を考え、誠意を尽くしてきたからこそ(物語を汲み取れている人間には)最後の展開に説得力が生じた。
じつのところエリンとソラヲトの終盤は枠組みとして結構似ている。
神話が読み替えられ、両陣営の大部隊が山地に結集し、主人公は超兵器に該当する物でそこへ乗り込む。
だがソラヲトのヒロインたちは概ね日常レベルの苦悩や追い込みしか経ておらず、考えを改めた結果解消出来てしまうようなものだった。フィリシアにしてもその苦悩の根幹は「世界の意味」であり、これも価値観の読み替えによって1話の中である程度解消されてしまう。

話数の問題も当然存在するが、エリンの苦悩は

母の凄惨な死→愛着のある人々(ジョウン)からの別れ→王獣との意志疎通→王獣の怖さ→政治的な動物としての王獣→暴走する王獣と過去の大罪→王獣と人間との断絶→兵器として利用される王獣→王獣を用いて助けられる人間を救うか、母のように見殺しにするか

という幾多もの段階を経ている。
この世界観で無ければ成立しない苦悩であり、また余人(視聴者)には耐えざるものでもあった。
その中でエリンは忌避していた音無笛を吹かざるを得なかったり、兵器として王獣を用いなければならなかったりもした。

その罪を理解しながらも、敢えて選びとった

だが決して王獣をないがしろにしていた訳ではなく、常に大切に思い続けてきたからこそ最後のシーンがある。それが分かっている人間にはむしろ当然に思えたものだった。
都合の良い作品では、エリンが決定的な決断しなくても上手い具合にいくように作られ、彼女が悪印象を受けるような状況は自然と回避されるだろう。

だが上橋菜穂子はそれを許さなかった。
いや、それでこそ表現出来る物があると知っていた
のだ。

エリンにとって最も主軸は「人と獣」であり、内乱が小規模に留まったのはいわば傍論ではある。
けれどもシュナンが語っているとおり、人よりもより意志疎通の困難な王獣に対し常に誠意を持って接し続けてきたからこそ分かち合えたものがあり、それは人同士の和解に通じるのだ。



これを取っ払って部活動のような生活をしてきた者達が戦争を止めてしまったのがソラヲトであり、その薄弱さは逆に此処で描かれる戦争行為そのものを貶めているとすら言える。
苦労していない人間が(恐らく彼女たちよりも)苦労して従軍してきた人間に個人的な意見で停戦を勧告するというのは何ともはや。
一応ながらカナタが停戦信号を聞いているという展開が僅かに救いではあるものの、やはり結局は個人の意志によっている。


命令があっても個人が武器を捨てれば戦争は起きない、それはそうかもしれない。
だが逆に言えば命令が無くても個人が武器を取ったことで戦争が起きうるという意味にもなる。
厭戦気分確かに存在するかもしれない。けれど簡単に昂揚してしまうのも人間だ。
個人の感情で命令を無視すると言う事は、個人の感情でルールを破れるということ。
兵士が命令に従わず発砲しないのを是とするなら、兵士が命令も無しに民間人に発砲するのも是としうる

ルールを破るというのはそういうことだ。

結果論として炎の乙女たちは、傷付いた天使を介抱することで他の天使を退けたとされているが、この現象が全世界に渡るものとは限らない。
つまりセーズ以外の場所は結局破壊されている恐れすらある。善意が善意で返されるとは限らない。
物語に置いては「善意が善意で報われる」という結論に辿り着いても全然構わない……どころかそういう話は好きなのだが、対立的な視点すら省かれてしまっている。
カナタは「この世界を、町を守りたい」と言うが、炎の乙女たちの行為が他の生命を危機に陥れる可能性があったのと同様に、タケミカヅチでの暴走は逆に敵を刺激させてしまうかもしれない可能性を孕んでいることは考慮の外だ。その考え自体が彼女たちには無いのだ。分かっていてやるなら良い。それは覚悟だからだ。だがこれが良いことで良い結果のみを考えていたとしたら甘過ぎる。

この危うさは紙一重なのだが、ソラヲトでは綺麗な片側のみを描いた

それは


誰かが世界は終わりだと言っていました、でも私達は楽しく暮らしています


と語りながらも、

世界の終わりを描かずに楽しい生活に焦点を当てていた


この作品にはお似合いの結末だったかもしれない。


おまけ


別に自分最終回をやってもいいのだが、そこまで大した設定も無く情熱も湧かないのでやりません。

でも一つ面白そうな解釈をしようじゃないか。
エリンとソラヲトは似てる。

……「翼ある物」って王獣じゃね?

王獣が進化して知能を発達させて火力強化=翼ある物
炎の乙女たち=エリンさんみたいな人
王獣が住処おわれたとかで切れて人類に逆襲
その内傷付いた一匹をエリンさんみたいな人達が介抱
王獣はお礼に進化版音無笛である「金の角笛(硬直だけでなく意志疎通が出来る)」をくれた
他の王獣が攻めてくる
金の角笛ブォー
王獣帰る

これじゃね?