Angel Beats!考察 その1 ~AB世界と不可知論~ | リュウセイグン

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なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

好きではない、或いは明白に嫌いな作品に対しても過剰に考察を加えるというのがこのブログの芸風の一つな訳ですが、これは作品を理解した上で肯定も否定もしたいという欲求から生じる物です。

ABに関しては過去の麻枝作品が明白なまでに嗜好に合わなかったのでハナから期待はしていません
けれども、これもまた作品考察せしむる余地を多大に残しています。
また巷間で様々な考察がなされていますが、これもまた明解な論拠に基づく物というよりは細かな要素から想像の翼を広げるという類のものであり考察と銘を打つには甚だ心許ないものです。
よってここで深く鑑みてこの作品に対する理解を得た後に、様々な判断を下す指標として序盤の考察を行ってみたいと思います。



ところがぎっちょん



AB作品には既にしてかなり困惑せざるを得ない部分が横たわっています。
決定的既成事実がない
この一点です。

このブログでは従来考察をしてきたとおり、作品に示される様々な要素を包括し、作中に於いてその描写が必然たらしむる事を目的として考察を加えてきました。
また時には私自身が持ちうる「物語の法則」のようなものに照らし合わせて、ややメタながら物語が辿りうるであろう、または辿るべき筋道を考えてきた訳です。

それは例えばガンダム00の最終回創作であり、化物語異聞と題した二次創作の何物語であり、またはハガレンの人柱に関わる記述であり、DTB流星の双子最終回後に於けるDTB世界の合理的解釈であり、ソラノヲトに纏わる一連の流れを考えた箇所でした。

或いはオリジナルからは外れつつも本来の精神や合理性を反映させ、オリジナルの流れを指摘しつつも作者の手腕によって超克され、逆に手腕よって貶められてきました。

しかしながら作中要素を基に理解・分解・再構築するという点に於いては何ら変わりがないのです。

ところがABは作中要素そのものに信を置くことが出来ないという要素を孕んでいます。

この作品の序盤の特徴は

・主人公はAB世界に対する知識や認識が確立していない
・AB世界は何物かの恣意によってもたらされた世界であると推測されている


この二つです。
この二つ、取り分け後者の存在が全ての要素に信を置くこと、また真である証しを拒否させます。
まず最初の部分についてですが、主人公が物語開始時点で既にこの世界に対して一定の価値観を持っていたのならばある程度の信頼が置けるかもしれません。
それは視聴者へ「主人公がこの世界の前提としていること」として伝わるからです。
ところがこの作品の主人公は視聴者と同様、何も分からない状態で世界に置き去りにされます。
彼にとってこの世界を規定する物は、他者……取り分けヒロインである「ゆり」の言葉だけなのです。

ここは死後の世界である
諦めなければ存在し続けられる
死んでも死なない
天使を負かし、神を倒す
流れに乗れば消滅する

この内で、少なくとも現時点(2話)で主人公が目にした、或いは体感した事象は

死んでも死なない

という一点だけでしかないのです。
ゆりの言葉には二重、いや三重の問題が隠されています。

一つはそれが本音か虚偽か分からないと言うことです。
流れに乗れば消滅すると言いますが、NPCが本当の意味で自我を喪失しているかどうかは分かりません。
消滅という状態が何を意味するのかも分かりません。
ゆりが音無を引き入れる為に虚偽を語っていたとしても、今のところ音無にそれを判別する術は存在しません。
神に抗う動機としても同じです。過去はあくまで彼女の自己申請でしかなく、それが本当かを確かめる術は音無にはありません。

もう一つは、本音を語っていたとしても真実かどうか分からないと言うことです。
例えばゆりは銀髪の少女を「天使」と呼称します。しかし本人は「天使ではなく生徒会長」だと言います。
これはすぐにバレる性質の物ですから、ゆりが意図的に虚偽を語ったとは思えません。
しかし、ゆりは自称・生徒会長を天使だとします。
そう思い込んでいるのです。しかし実際はそうかもしれないし、違うかもしれない。自称生徒会長が通常世界の人間を超越する力を持っているという以外に彼女を天使とする根拠はありませんし、超越する力を持っていたとしてもそれが天使だか らという理由だとは限りません。
また死後の世界についてはゆにも生徒会長も同様に語っていますが、ゆりが思い込みで生徒会長が虚偽を語ったという可能性もあるのです。

真偽の不確かさをを象徴するかのように、ゆりは自らがAB世界の流れに反しつつも音無には「あるがままを受け入れろ」と命令をします。本当の意味でそれをしてしまった のなら、即ち消滅である……とゆり自身が語っているにもかかわらず、です。彼女は意図的にか無意識的にかは分かりませんが、虚偽・或いは自己矛盾を口走っているのです。


と、この様に語ってきた訳ですが、実のところこのレベルの話はどんなお話にも通じます
他者の言う事は嘘かもしれないし、本当と思い込んでいるだけかもしれない。
これはABに限りません。


但し、ABには主人公・音無自身がファンタジックな世界観の法則性の正しさを前提として知らない存在であることと、もう一つ何物かの恣意的な世界である可能性が作品理解に大きく立ちはだかるのです。
これがゆりの言葉に関わる最後の問題になります。
何物か、というのはゆりの主観では「神」です。
この作品は生徒会長の能力に二進法の影響が見える部分、そして校舎の傷などが修復されている部分の描写からゲーム的世界、バーチャルリアリティなのではないか……と疑念を持たれています。
二進法の演出などを明示しているのなら作中でもそれに関するエクスキューズが出るだろうと考えます。
しかし出さない。これはコッソリ入れている演出なのです。
ですから個人的にバーチャルリアリティ解釈はあり得ると感じます。

しかしながら、バーチャルリアリティか死後の世界かというのは、神かプログラマかという固有名詞レベルの置換さえ済ませば構造は同じなのです(ただ物語展開としては筋道が多少異なるだろうと予想されます)

現時点で重要なのはこの世界が何物かの恣意が介入して構築された世界であろうという、その一点の前提です。
これも実証はされていませんが、死んでも死なない・死んだ時の記憶を有する・生徒会長の超常的な力と行動などである程度の信憑性を孕みます。
同時にこの世界を統べる何物かは世界を操作出来る可能性を孕みます。
それはつまり登場人物に対する記憶や性格の書き換えであり、世界に関するルールの書き換えです。

だから、この世界では前提が成り立たないのです。

ゆりが如何に主観的真実を語ろうとも、生徒会長が如何に自他を規定しようとも、音無が何を感じようとも、それが「何物かによってそう思い込まされているのだ」という仮定が出来る限り、いとも簡単に覆される。

すなわちこの作品の設定はあって無きが如し、なのです。

もちろん全部嘘でした、ではつまらなすぎますから、ある程度の真実は提示されているのでしょう。
しかしどれが真実かは我々には判断が付かず、論理的に確定したとしても「嘘でした」が為し得るのがこの世界観です。

よって現段階でABに関する考察は殆ど不可能です(メタ部分を取り入れた解釈は出来ますけれども)
ただ、この世界には不可解な部分が多数ありますのでそれを並べてみましょう。

生徒会長の行動は非常に奇妙です。
そもそも何を目的としているのかも分かりません。
逸脱者に対抗するというのと戦闘とは殆ど関係がありません。
少なくともこの世界に於いては。

戦闘の結果逸脱者を排斥出来れば良いのですが、死なない世界ではせいぜい殺しまくることで相手を諦めさせる事くらいしか出来ません。彼女は超常的な力を持っているにも関わらず逸脱者に対して強制力を有していないのです。また超常的な力にしても必ず攻撃されてから発動させています。

理由は不明ですが、生徒会長は敢えて手を抜いています

更に例えば生徒会長に対して暴力ではなく論理を持って相対したら実際どうなるかも分かりません。
必ず人間側から攻撃しています。
ゆりが言うように最初は勧告程度ならば、攻撃しなければ何も起きません。
敵対行動は個人によって蓄積されうるのか? それも違うようです。
1話の食堂でゆりが「食事をしているだけ」だから天使は来ない旨を語っています。
敵対行動が蓄積されているならば、逸脱行為をしている個人は現在進行形で食事をしようが何をしようが罰されなければ奇妙で、安易に食事などしていられなくなるのです。

ギルドの箇所も奇妙です。何故今になってギルドに侵攻してきたのか。トラップが天使に対して足止め程度の効果しかないことは実証されていました。つまり天使は今までギルドに本気で手を出したことはなかったのです。
気付かなかったのか、しかし今まで気付かなかったら今回気付く理由が分かりません。
彼女の行動は極めて謎めいています。

他にもこの作品には非常に奇妙な出来事や概念、行動が多々あるのですが、これ以上長くするのもアレなので今回はこれくらいで終わりたいと思います。

果たしてこの奇妙な部分が単なる御都合主義なのか、将又何かしら物語としてキチンとした理由があるのか、それはこれから明確になってくることでしょう。