『チェイサー』韓国版『ダーティーハリー』の狂気 | リュウセイグン

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私の頭の中のネジが飛びすぎ





この間観てきた映画は『レスラー』ともうひとつ、韓国映画の『チェイサー』でした。
タイトルの通り、連続殺人鬼とその住居の在りかを追跡する男の物語。

途中の展開含めて何か見覚えがあるな~、と思ったらイーストウッドの出世作『ダーティハリー』でした。

殺人鬼の雰囲気とか、被害者がまだ生きているので探さなきゃいけないとか、そういうところを含めてね。

しかし、こと狂気の度合いを計れば『チェイサー』のが数段上といって過言じゃありません。
何せ追跡者は元刑事だけど風俗絡みで小銭稼ぎが発覚し、現在は本格的なデリヘル経営者。
捜査の権限そのものが無い。しかも風邪をひいた女性を容赦なく客の元へ送り込む
既にして鬼畜です。

ダーティハリーは非常に攻撃的で保守的なアメリカンではあったが、法の番人という権限は持っていたし犯人に接する以外は結構普通の人だ。でもチェイサーは違う。
主人公が正義の味方でも法の番人でも無い、キレ易いイカレたオヤジであるのがまずこの映画の凄い点。


そして犯人もかなりキ○ガイ度が高いキャラクターとして設定されています。
個人的な見解ですが、キ○ガイ度の判定はやった事の残酷さもさることながら、それに対する態度も含まれます。
悪いキャラクターにしばしばある事ですが、自らの行為の正当化を謀る時点で、かなり度数は低くなります。正当化というのは自らの行為を客観視し、かつ客観的な批判を論理の上から封じようとする行動です。
従ってそこには普通の人間らしい思考回路が存在する。


本当のイカレ野郎は、悪行ですらそれが当たり前であるかのように振る舞ったり、日常の一環として行ったり、正当化をしても、その価値観から完全に破綻していたりします。


だから『ダークナイト』のジョーカーとか『ノー・カントリー』のアントン・シガー『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターは非常にキ○ガイ度が高い。
一方、『ダーティハリー』のスコルピオはしょっちゅうビビッたり小細工を弄するのでちょっと低くなる。
『重力ピエロ』の葛城なんかも制裁されるべき絶対悪人として描かれていましたが、実を言うと自らの行為を社会論理の中で正当化してしまっているのでキ○ガイとしては小物です。


『チェイサー』の犯人は、どちらかというとジョーカー達に近い。
この映画は実際のユ・ヨンチョル事件 が元になっていますが、オリジナルもかなりのイカレっぷりを見せていたらしい。


映画中では抵抗しなければ痛くないしすぐ終わるから……と言って


ノミとカナヅチで人のドタマに穴を開けようとします


し、自白する時も思い出したように呟いて、実にサラッとしたもの。


警官「お前、本当に売春婦を売り飛ばしたのか?」

犯人「やだなぁ、そんな事する訳ないじゃないですか(笑)」

警官「だよなぁ」

犯人「……殺しましたよ」

警官「は? もう一度大きな声で」

犯人「殺しました」


こんな感じ。他にも女性警官へのセクハラ発言とか尋問の途中でもニコニコしてたりとか、頭のネジの飛びッぷりには事欠かない。


敵もキ○ガイ、主人公もキ○ガイ

これこそがこの映画の醍醐味だ。
日本の刑事ドラマみたいにどちらが悪、どちらが善……あるいは官僚的な上司と情熱的な部下とかいった分かり易い構図ではなく、皆が狂気のるつぼに嵌り込んでいくかのような有様こそが一番ゾクっと来る。

主人公も、実は途中で人間らしい部分を獲得していく場面があるのだが、それを日本やアメリカにある通常のドラマツルギーではまず有り得ない方向性に持っていく事で、より狂気の度合いを増す為に用いているように見える。

そして唐突に爆発するバイオレンス。
『殺人の追憶』も凄かったが、それを上回るレベルになっていた。
やっぱり韓国警察では

跳び蹴り→フットスタンプはデフォっぽい



更に携帯電話会社で怪しんで記録を見せない男にパイプ椅子攻撃とか、昔の同僚刑事に取り押さえられた時も運転手挑発→振り向きざまに顔面キック→交通事故誘発というコンボで脱出成功。


こんな脱出方法、他じゃ考えられねぇぞ!!!


正直、今日本のやってるドラマや映画の大半ではコレに太刀打ち出来ない程エネルギッシュな作品だ。
やはり、この苛烈さこそ韓国がエンターテイメントとして持てるオリジナリティなんじゃないだろうか。
だからやっぱり、コレをサブカルレベルにまで持っていけるクリエイターの出現が待たれる。


その時、日本のサブカル業界も逆にバカにされないよう、自らの文化に於けるオリジナリティと面白さの水準を高めておかなきゃいけないと強く思う。