韓流の裏にある恨流『殺人の追憶』、そして『チャイルド44』 | リュウセイグン

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長文多し。

『殺人の追憶』を漸く見る事が出来た。


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ヤバいなぁ……という感想が一番だろうか。
僕は外国人(取り分け)に対して偏見が少ない方だと思っている。少なくとも現行日本の世論と比べて。
しかし、こういった作品を見せられてしまうと、やはり様々な部分で日本との違いがあるのだという事実を痛感する。

ただ、先に言っておくがそれは決して悪い物ではない
少なくとも創作に於ては。

とまぁ少々シリアスな書き出しだったしこの作品も連続殺人を扱っているからそうそう呑気な話ではないのだが……ゴメン、正直物凄い面白かった。
サスペンスや刑事物として優れているかと言えば難しい。
しかし感情的な迸りからの狂気じみたバイオレンスとか、妙にリアルなブラックユーモアが色を添えているというか。

兎に角、暴力シーンがかなり過激。

アクションシーンではなく、暴力シーンである。
警察が被疑者に対して跳び蹴りを喰らわすシチュエーションが3~4回はあったと思う。

そんなに韓国警察界ではデフォなんだろうか、跳び蹴り。


しかも跳び蹴りして倒れた相手にフットスタンプ(連打)


お前ドラゴンかよ!?


みたいな。

しかもその後懐柔して自白を強要。早い話が拷問だ。
まぁどの国も警察の取り調べで暴力が一切無いなんてのは絵空事だろう。
しかし記者が被疑者への暴力を嗅ぎ回っているのに蹴りを入れる刑事
それに激怒して刑事を階段から蹴り落とす課長

なるほど、テコンドーの国ですもんね~。と妙な感心すらしてしまう。

しかも捜査に行き詰まると
「現場に陰毛が無かったからつるつるな男が犯人じゃないか」
とか
「霊媒師に頼んで占いの道具を買って捜査する」
とか、素っ頓狂ぶりも素晴らしい。

占い道具無理矢理買わされた刑事がソウルから来たインテリ刑事を評して「もっと科学的な捜査をしろよ」とか愚痴るように、映画中でもギャグとして使われているのだが、実際の事件でも捜査上で霊媒師に頼ったらしいのであまり笑えない。自白強要の方法もかなり強引で粗暴だしね。
『それでも僕はやってない』なんかと比べてみると、やっぱり色々なスケールというか過激さがある。
まぁ犯罪の規模も違うからね。


面白いのがソウルから来たインテリ刑事も、当初は地元警察のやり方を皮肉ってるのだが、しだいに狂気に目覚めていくところ。確かに犯罪は非常に痛ましい物だが、それに対する激烈な感情は或いは国民性なのかも知れない。

これは悪い意味ではなく最初も言ったように、創作上では非常に有益な部分をもたらす。
日本で同様の作品は恐らく作れない
良い悪いの問題ではなく「激情が足りない」
この狂気を媒介に、追う物と追われる物がフラットな関係になっていく辺りは、やはり日本で再現するのには難しい部分だろう。今やってる『チェイサー』も同様のテーマを孕んでいるらしいので、大いに気になるところだ。


この狂気と作品性がマッチするようなのは韓国映画界でも数年に一度……といった割合でしかないようだ。
しかし、これこそ韓国独特の文化や価値観に根付いた創作のあり方だと思う。

今、日本アニメ界も動画パートは外国に発注しているようで、韓国も技術的遅れはあるだろうが作画面の成長の下地は整っている。
ここにあの狂気をぶち込んで上手く融合させられれば、相当な作品が出来上がるだろう。
日本のぬるい萌えアニメなど比較にならないような何かがね。
それを見せて欲しいし、(恐らく)生粋の日本人である自分としては日本にも負けないように頑張って戴きたい


そしてもう一つ、容疑者を次々と仕立て上げようとする経過って何かに似てるな~と思ったらT・R・スミスの『チャイルド44』だった。

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これはアンドレイ・チカチロの事件をスターリン時代末期に移行させたサスペンス小説。
去年の「このミステリーがすごい!」海外部門1位を獲得した。


快楽殺人は通常の殺人事件と異なり、被害者と犯人の結びつきが非常に弱い
その為に、旧態依然とした捜査態勢では犯人を検挙しにくい場合がある。
特に、複数の殺人を結びつけて考えなければならないので各地の警察の協力体制が必須なのだ。
しかし社会体制に不備があると、それぞれが独立していると判断して怨恨の線から追ってみたりするので、犯人に付け入る隙を与えやすいと言う訳。


しかも検挙を焦って適当な犯人を仕立て上げてみたりするので余計に厄介だ。
実際のチカチロ事件でも、共産主義末期時代だったので警察間の連絡が上手くいかずに被害が拡大したという話がある。

『チャイルド44』では更にそれを過剰にして、「殺人を含む犯罪は資本主義の弊害」として殺人事件そのものの存在を否定し、更には事件を起こすような人間は共産主義的ではないという判断から多数の障害者などを容疑者として巻き込む展開になっていた。


『殺人の追憶』でも同様の状況が見受けられ(やはり社会的にも混乱していた時期だったらしい)功に流行る刑事の暴走や容疑者候補として障害者や特殊な性癖を持つ者が虐げられるところまでを描いている。


要するに、冤罪が発生したり犯人を取り逃がしてしまうのは単に相手が狡猾だからというだけではなく、捜査陣が何かに固執してそれ以外の可能性を排除して考えてしまうからで、更に言えば警察だけの問題ではなく社会体制を含めたもっと大きな構造上の問題がそれを発生させているんだろうって事だ。


最近は日本でも冤罪事件が取り沙汰されている。
確かに犯人特定を焦ってまだ信用性に疑問のある技術を決定的な証拠として考えてしまった事は非難されるべきだ。誤認逮捕についても、謝った判決を下した裁判官についても。
だが、あの警察官僚のブログを襲撃していたような人々が、当時の世論となって犯人逮捕をせっついていたであろう事も想像に難くない。


彼らが言うのは常に結果論からなる正義であり、自分では判断しない
そして何かが確定した後に、尻馬に乗って大声を上げるのが役目なのだ。
もし仮に「もう一度DNA鑑定の追試やってみましたが、やっぱり同一かもしれません」となったら、今度は喜んで別の獲物を血祭りに上げるに違いない。


自分で不思議な点を発見して考える事は大切だ……といつも思う。
たとえそれが間違っていたとしても、思考停止しない限りはまたやり直せるし、大多数の勢いに乗りすぎる事も無いだろうから。