ハガレン一期が面白くって、逆に鬱になりそうでござる……の巻 | リュウセイグン

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復習の為にハガレンの前シリーズを見返してみたんですが。
……ううむ、やっぱこっちの方が出来がいいわ(笑)


絵的な部分もあるんですけどね、キャラの基本が当時の原作よりも洗練されてますし(荒川さんの絵はまた別の魅力があるとは思う)動きもいい。


何より一番は、この作品ならではのハッタリが非常に効果的に演出されているって事。
そして第1話はマンガ版からして世界観のキッチリした少年マンガとしては完璧に近い出来なので、それをほぼ忠実に再現した前期のが有利なのは自明の理です。


マンガ版第1話は

過去の錬成失敗と警句
(主人公の奇妙な状況フラッシュバック)


リオール到着後、教主の言葉と錬金術お披露目
(この世界の錬金術、主人公背が小さいコンプレックス(性格描写)、まるで合っていない謎の二つ名「鋼」)


教主の奇跡の御業
(錬金術補足・主人公の目的)


ロゼとの対話・人の生死
(主人公の性格描写・やや傲慢であるようにに見せる)


主人公のピンチ……と思いきやアルの特異な体が示される
(アルの現状)


そして教主と対面、賢者の石の話
アルの体の利用
(目的の明確化)


キメラ襲撃、エドの陣無し錬成
(エドの特殊な錬金術)


エド、足を攻撃されるもキメラの爪が折れる。
手を噛まれるも文字通り歯が立たない
鋼の手足・機械鎧を持つから「鋼の錬金術師」
(主人公の特殊な身体描写と二つ名の意味)

となってます。


主人公達の性格、立場、目的、身体的特徴、特殊能力、そして背負った過去が全て詰まっているんですね。
しかもこれらがインチキ教団撃退に織り交ぜながら進んでいる訳で、よくこんなに上手い1話を考えついたなぁ……といつも感心します。


また、ハッタリの効かせ方ですがハガレンではまず有り得ない事を見せて、それから補足をするというような手法を取っています。それに関わる部分も溜めて溜めて溜めて、バッと見せるという形を取る。
一番顕著なのが機械鎧・オートメイルのシーンです。

ハッキリ言ってこの設定、かなり異質です
錬金術だけ、機械鎧だけならいざ知らず、近代欧州的な世界観の中で魔法的な錬金術・科学的な機械鎧は水と油と言っても過言じゃありません。普通に見せられれば違和感は必至です。


それを払拭する為に、荒川さんはギリギリまで機械鎧の設定を明かしません
代わりにちっこいけど「鋼」という奇妙な違和感を示します。
またロゼとの対話でエドが傲岸不遜にして上からものを語るような人間に見せかけています。
これも普通の読者から見た場合、主人公という立場との違和感があります。


その直後、弟の奇妙な体を見せて直接的な伏線を張ります(間接的な伏線は冒頭の「持っていかれた」)
更に、主人公が爪でやられても平気、噛まれても平気という更なる違和感を感じさせた後で「ロゼに罪の証を見せる」という形で、主人公が服を脱ぎ(ここでも溜めを行っている)見開きでバーンと機械鎧を見せてしまいます。

そして教主に「機械の鎧……オートメイル!」というリアクションと、「鋼の錬金術師」の理由を悟らせます。


こういったハッタリの効いた演出により、本来もたらされるはずであろう

「近代欧州&錬金術と機械鎧のミスマッチな違和感」

「エドが何故攻撃されても平気で、何故足を無くしたはずなのに立っているのか」

といった物語部分の違和感や意外性の解消によって薄められます
更に教主の言葉で機械鎧がこの世界では珍しくないもので、これこそが「鋼」の由来だったのだという畳みかけるような違和感の解消により、完全に払拭させてしまいます。
そして何をやった為にこうなったかを示す事で、先の傲岸不遜さが上から目線ではなく下に落ちた物の苦い警句だったのだという意外性までくっついてきます。


いやぁ、上手い。
これがハッタリの巧さというヤツです。


エドがキメラ出現時に、手っ取り早く機械鎧を変形させなかったか。

それはエドが陣無し錬成を行えるという描写をおこなう為と、この時点で機械鎧を出させない為です。
これはあくまで演出的な理由で、物語的な必然性はあまりない筈(機械鎧のが錬成した槍よりも堅いから必要ない)ですが、先んじてエドの錬成能力の高さが意外性として提示されるのでやはり違和感を覚えないのです。

知った後で考えればちょっと変だとも思うのですが、初見ではエドの手足も詳細を知らないので見事に騙される訳です。


一期は時間を合わせる為に所々オリジナル要素を入れていましたが、概ね原作に準拠しています。


二期でこういう魅力がつまりに詰まった第1話をやらなかった理由としては、尺の問題や前期と被るせいだと思います。


ハガレンを観ていて気付いたのですが、私はどうも「仮定的な創作者」として物語を観ているようなのです。
創作者と言っても色々ありますが、自分の場合は物語と演出を中心に考えています。
ギアスやダブルオーも然り。あれらは「創作者として為すべき事」すらロクにやっていなかったから非常な怒りを覚えました。


ハガレン二期も、確かに前期や原作などと比べて出来が良くないと言われてもむべなるかな……とは感じるのですが、あまり怒る気にならないのは自分だった時に「二期をどうやればいいんだろう?」と考えた時に解決方法が思い浮かばないからです。



ギアスとダブルオーの一期は企画(物語の終着地点)から無理がありましたので、解決方法を考えるまでもなく救いようがありません。ダブルオーの二期は上手くやれそうだったのに、自分達でそれを潰してしまいました


けれどハガレンは。
偉大な原作と出来の良い前作、そのリメイク。


解決方法は「完全に別物とする」「完全に原作そのまま」として作るか、ですがこの二つが最も困難な道であるのは火を見るよりも明らかです。
原作通りが今回のコンセプトだと思われますが、それだと前期に被りすぎてしまう。実際、二期の冒頭を観ていて感じるのは迷いです。
どうすればいいか、分からない訳じゃないけれども……それでいいのかという。


第1話はリオール編を換骨奪胎してしまえば、とも思いましたがやはり無理でした。
様々な部分、例えば錬金術の説明とか賢者の石とか機械鎧はなんとか換骨奪胎で出来ると思うのです。

しかしリオール編でエドのロゼに対する警句や、かの名言


「立って歩け、前に進め。あんたには立派な足があるじゃないか」


はまさにインチキ宗教に執われ、死者が生き返るという希望にすがりついた彼女に対してだからこそ意味のあるセリフです。またこれは初エピソード最後の味付けとしてエドの性格と芯の強さをも同時に示している芸術的なセリフでもあります。


「母が死んで、生き返そうとして失敗した挙げ句手足や体まで失ったとしても俺たちは前に歩いている。だからお前にだって歩けるはずだ」


こういう励ましの意味を含んでいますから。
不器用で強くて優しくて、そんな複雑なエドを端的に表しています
これが言えなきゃ、初エピソードの魅力も半減
だからやっぱり、リオールからまんまでやるしか無いんだけど……それはそれで躊躇っちゃうんだろうなぁ、とスタッフの気持ちがよく分かります。


だからあまり手厳しく言えないんですよね。


中途半端に説明してるんで、多分来週のリオールが一番惨事になりそうなんですが……前期との分かれ道であるオリジナル路線で頑張って戴きたいと願うのみです。





そう、スタッフの方々へはまさに

「立って作れ、前に進め。あんたらには、立派な腕があるじゃないか」

と言いたいところですね。