二回も記事が消えてかなりアレな気分です。
でも頑張るぞ。ただしあらすじは書きません。
続・夏目友人帳も、いよいよ最終回。
今回の話は原作だと三話構成の上に誤解を残したままカイが去ってしまうという、少し悲しいエンディングでした。
良かれ悪しかれ上手く収まってしまう傾向のある『夏目友人帳』では非常に珍しいエピソードです。
だからコレが最終回で少し心配だったのですが、上手く料理して戴きました。
細かいところを指摘するなら、カイが友人帳を隠せないところはもう少し溜めが欲しかったかなぁなどとは思います。
原作だとカイが去っていき、夏目は追いかけたいと考えつつ「今までこんな気持ちになった事はなかったのに(取意)」と独白します。
今までの物語の末に夏目自身が妖怪が単に嫌悪すべき物ではない、と実感したからこそ誤解を残した帰結を寂しく思ってしまっています。妖怪を近くに感じたから、すれ違いが生じると苦しみを覚えるという、やや矛盾にも似た心理を顕したモノローグです。
しかしアニメでは多軌に対して「山を探して会いに行こう」と誘って
多軌の正ヒロインが確定しましたもとい前向きな姿勢を見せていました。またカイも多軌の焼いたクッキーを持って嬉しそうな表情を見せます。
この二つで、随分印象が違います。
夏目がすぐに「会いに行こう」と決断出来るのは白アスパラ・モヤシなどと呼ばれる外見とは裏腹に、芯の強さが
芽生えてきていることの証拠です。
これはアニメが『仮家』『呪術師の集会』と夏目が積極的に動こうとするエピソードを終盤に繋げてきたのと無関係ではありません。
夏目友人帳の一期感想
を読んで頂けると分かると思うのですが、初期の夏目がお節介なのは生来の優しさもさることながら、妖怪にもある様々な感情を知って自分が協力出来るのであれば……というような動機に基づいています。
他人への優しさと同時に、自分の居場所や役目を見出したいという気持ちです。
しかし終盤の夏目は自分の居場所を見出し、傷付く事を恐れず大切な物を守ろうと積極的に行動するような形になってきているように思われます。
だからこそ、カイと再び誤解を生む事をも恐れず自然と会いに行く決断を下せたのでしょう。
またこれも上記の一期感想を見て戴きたいのですが、『夏目友人帳』に登場する妖怪は、その多くが夏目自身の暗喩となっています。カイもまたそうです。「人間なんて……」と逃げ出したカイは、『八ツ原の怪人』で語られた昔の夏目に近い部分があると言えます。
しかしカイが本当に昔の夏目そのものであれば、余程の事がない限り戻ってきません。
しかしカイはクッキーを見て嬉しそうです、これは人間の悪い部分を見たり誤解が生じても一度優しさに触れた以上は、その優しさを忘れないという夏目の姿にもダブります。
また、今回はエピローグも秀逸でした。
花見の席で、ニャンコ先生は「レイコの遺産を継ぐ者が居ると思わなかったから友人帳を貰おうと思っていた(取意)」と語ります。
そう、実のところニャンコ先生は妖怪を従える為に友人帳を欲したのではありません。
レイコとの絆として友人帳を持っていたかったのです。
ニャンコ先生がなんだかんだで夏目を助け、友人帳が薄くなっていくのを黙認しているのもその傍証です。
本人の生きた忘れ形見が居れば、友人帳の有無は大したことではありませんから。
こう考えると自発的にニャンコ先生が協力を申し出た理由も見えてきます。
しかし絶対にその事を肯定しないであろうニャンコ先生。
この辺りの雰囲気が『人と妖』の理想的な関係に見えてしまうのは自分だけでしょうか。
あ、そうだ。
名取さんのフォローもしておきましょうか。名取さんは夏目に妖怪か人間かどちらかを選べ、と問い掛けます。
夏目はこれに対してどちらも選べない、と言います。
そして人間とか妖怪という区切りではなく、それぞれの相手として大切にしていきたい。と、最後に語ります。
名取さんはどうして夏目にああいう言葉を掛けたのか?
無神経な人なのか?
私が思うに名取さんの発言は、どちらかを選ばないと、これからもずっと辛い選択を抱えて悩まなければならない……と夏目を思っての事なのではないでしょうか。恐らく自分自身の身に覚えがあって。
そしてまた、彼は夏目を試していたのです。
名取は恐らく人間を選びました。これは人間である名取にとって止むに止まれぬ事。
妖怪に襲われた経験もきっとあったでしょう。
だから割り切って仕事で妖怪退治も請け負います。
しかし彼も自然と「別の選択肢」を想起している筈です。
それこそが「人間も妖怪も個々として大切にする」ということ。
最も理想的であり、最も難しい道のり。名取が棄てた道のりです。
名取は夏目に「理想を曲げなかった自分」を重ねているのです。
自らの経験から辛い道を進む事が分かっていますが、最終的にそれを決断出来た夏目は、彼の羨望の対象でもありました。だから夏目の決断を、どことなく嬉しげに受け入れたのでしょう。夏目の周りの仕事を受けるのも、守りたいと同時に、夏目が人と妖怪の間に起こす可能性を見たいという感情が少なからずあるものだと思われるのです。
さて、話は戻りますがエピローグでは風鈴が鳴ります。
短冊云々、というのは最初意味が通じにくかったのですが「音が鳴って迷惑しないように」と外していたんですね。
だから「心配しないで」と塔子さん言ったんだな。
ちなみにこの風鈴、確認したところ1期の第1話から既に外されています。
要するに夏目と藤原家の遠慮を象徴するアイテム。
これを使って距離を表現するというのはなかなかに憎い演出です。
窓際にはレイコさんらしき姿も見え隠れしています。
レイコさんが無くなったのは桜の下。
梶井基次郎の『桜の木の下には』や坂口安吾『桜の森の満開の下』(すんません、ちゃんと読んだ事はない)などからも分かるように、桜と妖は対のものだったりします。
レイコさんもまた、釣られて出てきたのかもしれません。
一期よりややダレた感は否めませんが、それでも総じて高水準だったと思います。
原作との兼ね合いからも考えて、三期はしばらくやらないでしょうが、また観てみたいと強く願える作品でした。
そして…………最後に一言だけ。
なんで田沼っていつも森にいるの?