危うい主人公 | リュウセイグン

リュウセイグン

なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

今期の中で面白いと思った作品は

『宇宙をかける少女』
『獣の奏者エリン』
『RIDEBACK』
『続夏目友人帳』

あたりだ。
他に或いは観てみたら面白いものもあるかもしれんが、しらん。

これらの作品の主人公には共通点がある。
「危うい」ところだ。無鉄砲と言っても良い。
また『宇宙かけ』と『夏目』は人の良さから何でも首を突っ込んでしまうタイプであり、『エリン』と『RIDEBACK』は一見普通に見えるけど実は物凄い本能に忠実な「頭のネジがちょっと外れた子」として描かれている。

取り分け後者タイプの主人公を描ける作品には良作が多い気がする。

『ガラスの仮面』
『バリバリ伝説』
『め組の大吾』
『HUNTER×HUNTER』

などがそうだ。
こういうキャラは端から見れば「基地の中に入れない子」なので時に恐怖すら覚えさせる。
これを上手く描くには作り手としての技量が必要だ。重要なのは常に客観としての異常性を強調する事だ。コレがないと単なる主観的な過剰礼讃にしかならない。異常性と才能は紙一重であり、それを上手く表現出来る人間でなければ作品として成り立たせることが出来ない。良作が多いのもある意味当然であると言えよう(美内すずえは素でやってる気もするが)


特に本能に忠実な「危うい主人公」は、本能=欲求に従って行動するのであるから、常に社会的な倫理を破壊する可能性をも秘めている。実際エリンは自らの好奇心によって悉く禁忌を破るし、尾形琳(そういや名前も似てるな)も争乱になると生き生きする。

我々凡人はこのような人間を観るとゾッとするし、同時に自分達には為し得ない地点に容易に到達する存在として憧憬を覚える。これは快楽でもある。普通の人間は、良かれ悪しかれ社会という檻の中に居てルールという鎖に繋がれている。
安全ではあるのだが同時に束縛でもある。
それを容易に脱するのが危うい主人公なのだ。
観客は畏れつつも自らをそこに重ねて、擬似的に社会を破壊するカタルシスを得られる。

逆にすると『ダークナイト』のジョーカーになったりするんだが、彼もキャラクターとしての評価が高いのは畢竟観客がそういう部分を投影している事の証左であろう。