続・ガンダム00がこうなったらいいなっていう希望と言うよりむしろ絶望しか待ってないから自家発電 | リュウセイグン

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先の記事に於て自分なりのガンダム00完結を書いた。
今の時点で、どう煮込んでもTVがこれより突っ込んだ内容には成り得ないので私にとってのガンダム00はこういうかたちで終わっていることにする。

本編? なにそれ喰えんの?

もちろん、自分自身が才能溢れる書き手であると自惚れている訳じゃない。
ただ才能が無い故に、今まで観てきた素晴らしい作品のエッセンスを取り込み、00が示してきた要素を踏まえ、愚かながらも真剣に行く末を考えるならばこういう形で終わらせるのが比較的納得しやすいと答えを出しただけに過ぎない。

現時点での00スタッフには真剣味がまるで無い為に、素人の考えた三文同人創作に劣るようなものしか作れまい、と判断した。高は括っているが、あながち間違いと言えない分析だと思っている。


少々、これについて意図というか、話を加えさせて戴く。



まず00は最終的に歌で解決する気満々である。これはまず疑いようのないところだ。
しかしながら歌がどうにも間抜けな代物であり、また歌い手であるマリナ自身が何もしていない為に、それを行ったとしても絵空事にしかならない。
よってここではマリナに旅をさせて、見聞を弘めると共に慈悲を体現させ、さらには未来の聴衆が、歌い手の事を直に知るという伏線とする。あんまり変えるぎるとアレなので、設定の根本的な改変はこれくらいにしてある。

この辺りは『うしおととら』や『大神』などが非常に上手いので、それを意識している。


次いで、マリナの為に反政府組織の人間が犠牲になり、子供達と一緒に捕まる。
イノベイターはマリナを処刑せずに、子供達にマリナを無理矢理罵倒させ、殺す。
これはマリナが傍観者でありながらも歌などと言う物によって世界に介入しようなどという、ある意味大それた事への一応の否定である。そして、マリナに本当に平和を守る事が出来るのか、覚悟を問う部分にもなる。
イノベイターは、マリナに銃を渡し「復讐しろ」とけしかける。マリナの復讐を世界に知らしめる事により、歌そのものの有効性を無くしてしまおうという魂胆である。

ここは「ダークナイト」のハービー・デントとジョーカーのシーンを意識している。


しかし、マリナは復讐を捨て歌う。
普通であれば、面倒を見続けてきた子供を多数殺されれば復讐に走るであろう。だが彼女はそれでも歌う。皆が観れば「気が触れている」ように見える。

その通りだ。

歌で世界を平和になどと本気で考えるような人間は気が触れていると言われても仕方がない。まだ夢を持てたであろうビートルズの時代なら兎も角、彼らによっても世界はまるで変わっていないのだから。
ただ同時に、マリナ自身の何があろうとも武力に訴えないと言う精神を顕す。高潔な愚者だ。


イノベイターは彼女に怒り、直接的な暴力に走る。怒ると同時に(視聴者も含め)不気味にも思っているからこその暴力である。イノベイターは人間を見限ったつもりで今回の作戦を行ったにもかかわらず、相手が明らかに常軌逸した反応を示したからだ。
直接的な暴力にもマリナは耐える。
最初の地に倒れ伏すシーンでは「緑色芝生に寝ころんでいたい」
次に目を潰され再度倒れるシーンで「動物と一緒にごろごろしたい」
間抜けな歌詞は、凄惨なシチュエーションと重ねる事で狂気を描きやすい。
『ガンソード』では同志が『ピクニック』(丘を越え行こうよ~♪)を鼻声で歌いながら最終計画発動させようと階段昇るシーンがあった。アレも素晴らしく狂ってると思ったものだ。


そしてマリナは磔刑にされる。言わずもがなキリストの暗示である。
ギアスの主人公も似たような状況だったが、ハッキリ言ってバカで自己中心的な上に悪事ばかり働いていた為に、その死は犠牲ではなく罰に過ぎない。
沢山の人を殺し、操り、不幸に陥れてきた人間が、単に死ぬだけでは自己犠牲にはならない。
自らの命以上のものを奪ってきた筈なのだから。従って贖罪にもならない。


アレを贖罪であると言うならば「ルルーシュの命は、多数の人の命を奪った事を差し引いても世界平和と等しいくらい尊い」という前提を必要とする。
これまで演出側はルルーシュを過剰に美化していたので視聴者を騙すのにも成功したが、ルルーシュが単なるロクデナシにしか思えない人間にとっては『ルルーシュ=世界平和』が釣り合う傲慢さに呆れるだけだ。


一方マリナは幸か不幸か空気扱いだったので残虐な仕打ちを受ける事により罪を贖う事が可能だった。
打たれ続けても言葉にならない唸りで歌を続ける。
狂気と言っても良いこの熱情ならば、世界中に伝播してもある程度の視聴者層を納得させうるのではないかと考えた訳だ。


そして刹那とリボンズの対峙。
イノベイターは蚊帳の外、という刹那と「お前も今じゃ同じだろ」と嗤うリボンズ。
またそれを肯定する刹那。
やはり本編では刹那の罰がサッパリ見えてこないので、
「イノベイターとなった為に人類の輪から離れ、戻れない」のを罰
「イノベイターだからこそ命尽きるまで人類の平和を守る為に手を汚せる」のを役割
とした。
「人類は平和を守らなければならない」の逆説として「今の俺は人類で無いから(平和目指して)戦う事も出来る」を取った形だ。
マリナをキリストとするならば、アグレッシブなプロメテウス。
折しもイノベイターが不老長生であるという設定で箔を付けられた。
単に死ぬ、単に生きてのうのうと生活するという終わり方よりはマシだろう。

これも藤田和日郎の『スプリンガルド』で主人公が悪人なのでヒロインの結婚式場には入れない、そして敵にも入らせないと言うくだりを意識したものである。


刹那の機体性能は最終的に人類の平和への意志を受けて倍増する。
マリナのこの状況ならば歌が普通に広まっても良いと考えたので、通常考えられていた00ライザー→歌散布の逆を採って人類の意志→00ライザーのパワーにしてみた。沙慈の精神エネルギーが出力に関わっていたっぽいので無理ではなかろう。設定はなるべく活用していきたいと思ったのも一因。


人類の意志を守る、人類ならざる者、それがガンダムだ……というのが私の出した『俺がガンダムだ論』です。


刹那の覚悟にも反映してるし、ガンダムってどう考えても人類の括りには入らないんだからまぁダブルネーミングということで一つ。


試合終了で孤独を選ぼうとする刹那をCBクルーが迎える。ティエもアレルヤも折角超人なんだから、やはりそこは生かしたい。ロックオンもアニューと別離したのを生かして「プトレマイオスにいるアニュー」の代わりとして一緒になる、と。罪はみんなで背負おってやるぜ! みたいなちょっと前向き感を出した。


最後、目潰しで見えないマリナの目に映るGN粒子の光。
役目を呟いて終わるところはまさに『ダークナイト』。二期が始まった頃から「こういう終わり方だったりして」とか考えていたので実行。


一応終わらせてはみたものの出来れば二期全て(ぶっちゃけると一期含めだが労力が膨大になりすぎる)作り直してみたいところ。

考えが纏まったら出していこう。