私的思い出のJリーガー②。
小倉隆史~レフティーモンスター~
スポーツ界に【たら・れば】は厳禁と言いますが、その【たら・れば】を使って語りたいサッカー選手の筆頭は彼でしょう。
(小野伸二もですが、小野は3回W杯に出たので…)
さて、数年前の選手名鑑で色んなベスト10みたいな企画をやっていたのですが、その時に唯一Jのチームが無い県でランクインしたのが三重でした。
それもこれも四中工と言う名門高校があるからだと思いますが、その四中工を全国制覇に導いたのが小倉でした。
グランパスに入団し開幕した93年はオランダのエクセルシオールに留学。
そこでチーム得点王の活躍を見せ、オランダ1部の強豪からオファーが噂されるも、アトランタ五輪予選を戦う為に(&低迷するグランパスからの帰国要請もあり)日本に帰国。
今でこそ若いうちに海外に行くのは珍しい事ではありません。(海外に行っても出番が無いのなら行く意味が無いとか賛否両論ありますが)
帰国後、代表デビュー。フランス戦で初ゴールを決めます。
グランパスもベンゲルが就任し天皇杯を制すなど躍進。小倉も決勝でゴールをあげるなど、ここまでは順風満帆なサッカー人生と言えるでしょう。
アトランタ五輪チームでも、その人望からチームをまとめ、あの中田さえも小倉を慕っていたと言う話も。
しかし、ここで彼の明るい未来を奪ってしまう事件が。
右足後十字靭帯弾裂。
選手生命さえ危ぶまれる大怪我。
何とかグラウンドに帰ってくるも、市原→ヴェルディ→札幌→甲府と移籍。
甲府のJ1昇格の影で戦力外になり、結局引退。
未来の明るさに比例して、それを失ってしまった影の大きさも比例してしまいます。
そして、彼の天性の明るさが時に物悲しく、見ている側に過去に見えた明るい未来を映し出させてしまいます。
たら・ればを使っていいのなら、小倉が万全ならアトランタ五輪、フランスW杯、日韓W杯も違った結果になっていたでしょう。
そんな妄想を今でも抱いてしまうのが小倉隆史と言う選手の魅力だと思います。
左足は結構得意な708