1993年5月15日。
Jリーグが開幕してから20年が経ちました。
当時、小学6年生だった自分は完全にJリーグブーム直撃世代です。
それまで、サッカーと言えばキャプテン翼しか知らない…いや、世代的にはキャプ翼さえも読んで無い子の方が多かったかも知れません。
ブームの兆候は半年前からありました。
まだ5年生の時、1つ上の6年生達が急にサッカーを始めたんですよ。
翌年の開幕を前にナビスコカップをやっていた時期ですかね。
田舎の小さな小学校ですから部活なんて男子はソフトボールのみ。
当時の6年生によってソフトを引退した6年生だけでサッカー部が発足しました。
自分達の1つ上の世代はヤンチャな人達が多かったのですが、その中で、いわゆるガキ大将的な存在の子がいたんです。
中学に上がっても、やはりその世代は各小学校共ヤンチャな人達が多かったのですが、そのガキ大将的な子はすっかりサッカーにハマり、サッカー部に入部。部活が終わってからも小学校のグラウンドにやって来ては一人で自主練をやっていました。
子供ながらにスポーツで更正するもんなんだな…と思った記憶があります。
さて、話が横道にそれましたが、開幕してからは完全にブームに乗りましたね。
みんなでJリーグチップスを買い漁る日々(笑
小学校低学年の頃にビックリマンブームを経験してますからね、下地は出来ているわけですよ。
夏休みなんかは友達と遊びに行く時はラッキーカードで貰える緑色のファイルをいつも持ち歩いていた記憶があります。
そんな中、友達の一人なんか運動得意なタイプでも無いのに、すっかりJリーグに魅了され、『四中工に行ってジェフに入る』とまで言ってましたからね。
(当時のジェフは四中工出身が多かった)
さて、秋になり自分達の世代もソフト部を引退しました。
サッカーを知らないソフト部の監督が、そのまま監督で自分達の世代のサッカー部が発足。
フォーメーションは…
3-3-4。
FW4枚っすよ(笑
一番の幼なじみで、ソフト部のエースで成績優秀(私立の中学に進学)、品行方正、スポーツ万能、そしてイケメンと言う完璧超人(超人強度3000万パワーくらい)がいたのですが、その彼が足をケガしていた為にGKに。
彼が万全だったらまた変わっていたんでしょう。
とりあえずFWには足の早い子達4人。
攻撃的なMFにはでかくてキック力のある2人を。
僕はその後ろで守備的MFでした。今で言うアンカーですね。
あっ、ちなみに副キャプテンです。
DFはまあまあガタいの良い子達3人。
ちなみに先のジェフに入ると息巻いていた子はDFの控えでした(苦笑
練習試合は1試合やったくらいですかね。
何にも決めてないからフリーキックを自分が蹴った記憶が。
さて、そんなこんなで市の大会に参加。
当たり前ですがユニなんて無いので学校のジャージーにビブス。
(余談ですが自分のビブスの番号は12番でした)
そんな舐めた学校が1回戦をなんと勝っちゃいました。
FWの子のロングシュートが入ったのですが、追いつかれてPK戦へ。
自分は副キャプだったので2番目に蹴る予定だったのですが、1番手のキャプテンのヤツが『キーパーの顔狙ってくる』と言い残し、ホントにキーパーの顔面へ→PK失敗。
責任重大でしたが、右上に無事に決めた記憶があります。
1回戦を戦った相手は同じ中学になる小学校だったんですが、中学のサッカー部でも結構上手いヤツらが揃っていてみたいで、今思い出してもよく勝ったなと思います。
だって、うちのスタメン、キーパー(完璧超人)以外、中学でサッカー続けて無いしね(笑
さて、2回戦は当日すぐに行われましたが、相手はちゃんとしたユニ着てる学校(笑
まあ、完全に試合やる前から飲まれてしたよね。
CFの子をマークしていたのですが、平山みたいに丸坊主でデカかったイメージが。
いや、当時はもちろん平山知りませんけど。
(平山年下だし)
結局0ー3の完敗でした。
でもね、試合に負けて凄く悔しくてね。涙を堪えるの必死でした。
大した練習やってないし、本格的に取り組んだわけでも無い。
なんかJリーグブームに乗って勢いでやった感があるクラブ活動でしたが、自分の中では敗戦に対する悔しさや、もっとやれただろうと言う思いがあったんでしょうね。
そんなこんなで中学で野球部に入った意味が未だに分かりません(苦笑
まあ、天の邪鬼ですからね。急にみんながサッカー言い出したのが気に食わなかったのでしょう(笑
一応、兄貴がサッカー部でして、キャプ翼を全巻くれたりして、サッカーに対して他の子達より興味がありましたし。
まあ、野球ももちろん好きでした。
でも、客観的に見たら当時の僕はサッカーの方がまだ才能があったと思います。中一の時には体育で一緒にプレイしたサッカー部の同級生が誘ってくれたりしましたしね。
Jリーグが開幕していたなかったら逆にサッカー部に入っていたでしょうね。
完全に話が自分のサッカー体験記になりましたが、Jリーグで一番始めに好きになったのは実は鹿島。
長谷川祥之が好きでした。
それから、100年構想を知るに連れグランパスを。
生まれは瑞穂なんでね。
ちなみに兄貴は小学校の運動会を瑞穂陸上競技場でやったらしいです。
でも最近、ヴィアティンFCと言う三重のクラブが気になります。
育ちは三重なんで、やっぱり自分の中には三重県人と言う認識の方が大きいですね。
このヴィアティン。三重出身の元Jリーガーが大量に集まってます。
和波(札幌等)、北村(山形等)、飛騨(川崎、仙台等)、加藤(鳥取)、坂井(山形)、更には四中工の全国制覇時のGK水原まで。
(※水原は奈良出身)
このチームがJに参入すると楽しみですね。
さて、Jリーグも20年。やっぱり自国リーグが強くなければ代表も強くなりません。
だから、代表しか興味が無いって人はまずは近くのJリーグを見に行って欲しいです。
別に世界のサッカーとJリーグは別れているわけでは無いのですから。
マンチェスターにいる人は4年前の【J2】得点王なんですよ?
海外しか興味が無いと言う人もいますが、数年後、ヨーロッパのビッグクラブでプレイしているかも知れない選手が電車で行ける距離でプレイしているんですよ?
それを見に行かないなんてサッカーファンじゃないと僕は思います。
だから、今の内にその原石達を見に行くと言う楽しみ方でも良いと思います。
※特に柿谷
さて、暇を見て思い出のJリーガー達について不定期連載したいと思います。
体育の非公式得点王(1年時)の708