こんにちは。
ふりーちあかおりです。
今日は少しだけ、言葉について考えてみたいと思います。
「毒親」という言葉、聞いたことはありますか?
最近ではSNSや書籍でもよく目にするようになり、
自分の育った家庭環境に違和感を持っていた方にとって、
この言葉が“救い”になったという声も多く聞きます。
たとえば…
「親なのに、どうしてあんなに苦しかったんだろう」
「ずっと我慢してきたけど、やっぱりおかしかった」
そんなふうに、自分の感覚をようやく信じられるようになった方にとって、
「毒親」という言葉は、心を守るための大事な道具だったのです🛡️
でも一方で——
この言葉に、深く傷ついている親御さんもいます。
「子どもを必死で育てたつもりだった」
「たしかに不器用だったけれど、精一杯だった」
それでも、「毒親」と言われた瞬間に
まるですべてを否定されたような気持ちになった、という声もあるのです😢
ここで大事なのは、
☑️ 子どもの苦しみが本物であることは、揺るがない事実。
でもそれと同時に——
親側にも、背景や事情があった可能性も、見落としてはいけないと思うのです。
たとえば…
・親自身が「親らしい愛し方」を教わっていなかった
・社会的な孤立や、支援の少ない中での子育て
・過去の不安や傷が、子どもに投影されてしまった
などなど、
悪意ではなく「未処理の感情」が原因だったケースも少なくありません。
もちろん、だからといって
「親の事情を理解すれば、傷が癒える」という話ではありません。
どんな理由があれ、
子どもが感じた痛みや孤独は、確かなものです。
そこに「仕方ない」は通用しません。
ただ私はこう思うんです。
🔸「毒親」という言葉が、子どもを守るための道具であること
🔸でもその言葉が、親を“切り捨てるための刃”になってしまうこともあること
——その両方を、忘れずにいたいなと。🕊️
だからこそ、
💡 大切なのは「誰が悪かったか」ではなく、これから自分をどう癒していくか。
💡 過去を振り返るとき、誰かを責めるためではなく、自分を理解するために。
そんなふうに、
「毒親」という言葉を使う側も、受け取る側も、少しだけ優しくなれるといいなと思うのです🌸
言葉って、不思議な力を持っていますよね。
ときに人を助け、ときに人を傷つけることもある。
だからこそ——
私たちはその言葉を、“理解に近づくため”に使える人でありたいですね🧠✨
ここまで読んでくださって、ありがとうございました🌼
何か一つでも、「あ、たしかに」と感じていただけたら嬉しいです。