『草枕』と奇妙な夢 | ダンス・ダンス・ダンス

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『音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ』

〜村上春樹〜『ダンス・ダンス・ダンス』より

『草枕』という喫茶店のカウンターで珈琲を飲んでます。カウンターの奥には珈琲を焙煎するドラムが見えて、丁寧にネルドリップしてもらった珈琲は美味いです♫

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目の前にはレコードプレーヤーがあって、黒くまわるアルバムはベートーベンの調べを優しい温もりで奏でます。レコードプレーヤーを見たのは随分、久しぶりかもしれません♫

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先週は小田原の桜を見ましたが、今週になっていよいよ東京も桜が咲いています。先週、小田原行きの東海道線に乗るまでと、ずいぶん前にみた、奇妙な夢の話。

今、三島由紀夫さんの『潮騒』を読んでいることもあって、先週の土曜日は新橋の『末げん』という店で昼ごはんを食べようと思いました。『末げん』は三島由紀夫さんが最期の晩餐をしたことで有名な店です。三島由紀夫さんは1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げています。

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僕は1970年の10月生まれなので、その1ヶ月後、三島さんは40代半ばで命を絶ったことになります。憲法改正を願った彼の主張は今になってようやく、議論される土壌が出来てきました。

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三島さんが現在の日本をどう感じているのか、それを感じたくて『末げん』に行った次第です。

『食べログ』には土曜不定休になってましたが、先週(そして今日も)の『末げん』は休業日でした。銀座線に乗って新橋まで来た僕は、あてが外れて一瞬途方にくれましたが、ふと小田原にある『月読』という蕎麦屋さんに行こうと思いました。新橋→小田原 は東海道線で1時間30分くらい。ちょっと遠い気もしますが、海や富士山も見れます。

それからの展開は先週のブログに書いた通り、『月読』は蕎麦が売り切れてて、そのまま昼ごはんを食べる事なく、箱根にある『駅伝ミュージアム』に吸い寄せられるように向かいました。
『お彼岸だから、お父さんがここに呼んだんだよ』
副館長に、そう言われて、妙に納得したんですが、それとは別に以前みた奇妙な夢の話。

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あれは大阪の山田(僕は山田という二文字に不思議と縁がある)に住んでいた頃なので、もう10年くらい昔の話。大概は翌朝忘れてしまうか、そもそも夢をほとんどみない僕は、その夜、不思議な夢を見ました。

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お城の天守閣を僕は走りながら、逃げていました。追っているのは日本刀を持った父です。何故、追われているのか、わかりませんが鬼気迫る緊迫感がありました。階段を登りきって大広間に出ると、次々と襖を開けて僕は走りました。脇の小部屋に入ると、そこには月読(何故そう思ったのか、よくわからない、、、)が居ました。僕は月読と一緒に空を飛んで、龍が舞う天空の門をくぐっていった。そして救われた、と安堵する。

そんな夢だ。
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靖国境内でお花見をして、神保町にある『さぼうる』という喫茶店で続きを書いています。

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ガチャガチャした店内はほぼ満員で、他のお客さんの話し声をぬって、店員さんがせわしなく給仕しています。それにしても、靖国の桜は清々しくて、淡く儚くて、そして日本一キレイだと思うのは自分だけだろうか。。。

話を戻して、

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ふと僕は不意に箱根と龍の関係について、気になりました。

箱根神社(九頭龍神社 本宮)

当神社は、芦ノ湖の九頭龍伝説を今に伝える龍神信仰の聖地であり、社前の湖には奈良時代に箱根権現を建立した萬巻上人と、九頭龍大神ゆかりの祭場をひかえています。(九頭龍神社HPより)

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(写真は借り物↑)

箱根が龍と繋がった。
一瞬、鳥肌がたった。。。

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それは10年くらい前に見た夢だったけど
、とても印象深かったので僕はメールアドレスやアカウントに、dragon-sky、moon-reader を使っている。そして、その夢は、

❶日本刀→三島由紀夫(『末げん』)
❷月読→小田原の蕎麦屋(『月読』)
❸龍の舞う門→箱根のゴール(『駅伝ミュージアム』)

先週の一連の流れと一致している気がする。予知夢といったらいいのか、とても不思議な気分だけど、直感的に同一だと何気なく意識する。


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10年前には父は存命だったし、その頃、つい先週のストーリーが決まっていたなんて、時間の流れを考えるとあり得ないと思う。僕は『運命』という概念について、この数日間考えていた。もし、不確実だと思える未来にシナリオがあるのだとしたら、それでも人は懸命に生きていけるだろうか?
多分、先の見えないシナリオに一喜一憂して、誰もが主人公を演じる事だろう。そして、そのシナリオに不満を感じたり、満足したりするに違いない。それが人生であり、そのシナリオこそが運命だ。

僕は、そのシナリオに対して忠実に演じたいと思った。複数の線が結局は何処かで繋がっていて、その行く先は決まっているような気がした。

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それが、僕がみた夢にだした結論。

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『音楽が鳴ってる間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?  踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。』
『ダンス・ダンス・ダンス』村上春樹
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僕たちは踊る。いや、単に踊らされているだけかもしれない。曖昧な未来、不公平な現実、知られざる過去。完璧ではないと思っていた世界は、実は完璧なのかもしれない。そう思った。


LET IT BE ☆彡