『結構人ミルクホール』とSuicide | ダンス・ダンス・ダンス

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『音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ』

〜村上春樹〜『ダンス・ダンス・ダンス』より

千駄木にある『結構人ミルクホール』という喫茶店で珈琲を飲みながら、このブログを書いています。

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路地裏の喫茶店ですが会話お断りの店なので、この店にいるのは僕も含めて6人の一人客です。

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この珈琲、エチオピア イルガチェフェ地方、南部にあるデボという精製施設のモカらしいんですが、ほど焼い苦味と独特の奥行きがあって、とても美味しい♫

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今週末エントリーしていた石川県のマラソンですが不参加にすることに決めました。実は、今週は火曜~木曜の三日間で会社を休んでいて、この一週間くらいジョギングもしていません。。。^^;

4年前、僕は3年以内に昇進するようにという辞令をもらっていたんですが、結局それを果たす事は出来ませんでした。先週末、上司からその報告を受けて、月曜日に内示がオープンになると、かなり落ち込んでしまって、出社することが出来なくなりました。
朝、会社に行こうとすると震えてしまって、アルコールを飲んで勢いをつけたい気持ちになってしまいます。昼の食欲はあるものの、朝晩の食欲はありません。。。

以前、会社の同僚からバツイチになる人は何処かに問題があるんだ、と言われましたが、僕の問題は『自分を責め続けてしまうこと』かもしれません。
4年前の辞令を受けてから、僕は離婚を経験し生き甲斐を見失いかけました。気分を一新するために転勤をしたいと上申したり、退職した部下が実は何万ケースもの在庫を中国に抱えていて数千万円の損失を被ったり、振り返ると様々な理由があったと思います。

この数年間、僕は守るべきものを失って、仕事に対する貪欲さや執着心が希薄になってしまったのような気がします。よく家族の支えといいますが、それは実質的なサポートのみならず、その存在だけでも、どれほど励みになるんだろうと今は思います。僕は今回、ほとほと自分の弱さを思い知りました。大阪時代、鬱で一年以上休職したキャリアのある部下や、青年重役時代の仲間で出社拒否になって辞めた同僚の気持ちが、今はよくわかります。

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(画像は借り物↑)

僕『自分でも、こんなに弱いと思ってなかったんですけど、今は精神的に瀬戸際にあるような気がするんです』
上司『悩んでるの?』
僕『いや、悩んではないんですけど、いろいろ考えてしまって。。。会社に行こうと思うと震えるんですよ』
上司『それを悩んでるって言うんだよ。無理するなよ。。。』
僕『ホント、すみません。。。このままじゃいけないとわかってるんですけど。。。』

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花粉症などのアレルギーに関して、人は誰でもアレルギー物質に対する耐性を持っていて、でもそれには人それぞれの許容量があって、その許容量を超えると発症すると聞いた事があります。ストレスも同じようなものかもしれません。許容量のストレスを超えた時、心の中には大きな空白しか残っていなくて、その大きな空白は結局は同じ大きさの空白でしか埋める事が出来ません。僕にとっての今週の3日間は、まさに空白の3日間でした。生き甲斐を見失った4年日間の空白は、一つの転機によって完全に僕の許容量を超えてしまったんだと思います。

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そう言えばホテルオークラのセミナーでダライ・ラマ猊下が『無』から『有』を得る仏教思想を話されてて、それは『無』からビックバンがあったとする量子物理学に相通ずるって、池上彰さんが言ってたって、、、。少しだけ『無』についてわかった気がするな。

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今、このブログを書けてるって事は、僕は瀬戸際で踏みとどまる事が出来たんだと思う。山田くんのお父さん以外の、もう一つのSuicideの話。

僕の母には弟(僕にとっては叔父さん)がいました。でも叔父さんは、この世界にはもういません。バブル経済が終焉した数年後、自ら命を絶ったからです。

母『イクオ、大事な話があるの。Mオジさん。自殺したよ。。。』
僕『、、、、、、、』
母『、、、、、、、』
僕『嘘でしょ?』
母『ホントだよ。叔父さん、バブルの時に勝負にでて、事業を拡大したの。でも、バブルが弾けて資金繰りが出来なくなって。。。自分の生命保険で借金を帳消しにしたの』
僕『自殺しても保険金って、もらえるの?    貰えないんじゃないの??』
母『半分は貰えるんだって。。。自分の命と引き換えに家族を借金から守ろうとしたのよ』
僕『なんだよそれ!!  ホントなんなんだよ!!  よくわかんないよ!!』
母『実は亡くなる前の日に、叔父さんがウチに来て、いろいろ相談してて死のうと思ってるとか、言ってたんだけど、、、』
僕『なんで、止めなかったのさぁ!!』
母『もちろん止めたよ!  ちょうどお父さんも一緒にいたから、馬鹿なこと言うなって!!  一緒に!!  でも、今、思うとあれは別れの挨拶だったのかもしれないような気がして、、、。どうしよう。。』

叔父さんの思惑通り、家族に借金が残ることがなかった反面、僕の知る限り、家族はバラバラになった。母は愛する弟を支えてくれなかった義妹を決して許さなかったし、不眠症になった。
そして、僕も不眠症になった。明け方まで色んな事を考えるようになって、夜が明けそうになると焦って、更に眠れなくなった。母にその事を話すと、母も同じ状態で、二種類の睡眠薬をくれた。一つは程度の軽いもので、もう一つはキツイ薬なので必要がなければ飲まないように言われた。

僕はバブル経済が弾けた直後に就職活動をしたが、企業の採用状況は本当に厳しかった。でも、僕は入社二年目で、その本当の厳しさを知った。

しばらくすると、僕は眠れない夜に『クスリ』を飲むことをやめた。そういう『クスリ』は風邪薬とは明らかに違うし抵抗感があった。その代わりに冷凍庫に入れたウイスキーをストレートで一口飲んでから眠るようになった。やがて、それにも抵抗感を感じて、眠る前にシェーカーを振って、カクテルを飲んでから眠るようになった。どう考えてもウイスキーをラッパ飲みするのはアル中みたいで抵抗があった。毎晩、凍りそうなウイスキーは冷たく喉を駆け降りたが、後から焼けるような軌跡を残した。やがて定番の『マティーニ』や『マルガリータ』以外にも家庭カクテルのレシピは増えていった。

ここ数年は眠れていたものの、今、かつてを振り返ると改めて僕はとても弱い人間なんだと思う。普段はそんな素振りを見せない癖に、心配性で、ひどく自責にかられ、その反面将来に夢をみるのが好きで、そんな人間は大体が不眠症になる。

社会人になってからの叔父さんの死は、中学時代に体験した山田くんのお父さんの死とは別の衝撃を僕に与えた。それは耐えられない悲しみに包まれている反面、命懸けで家族を守ろうとした叔父さんの生き方は、その当時の僕にはない価値観だった。

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そして今、生き甲斐について考える時、眠れなくなるくらい考えさせられた叔父さんの価値観は、確実に僕の人生観に影響を受けている事に気づく。僕は僕のためだけに頑張る事は出来ない。。。でも、僕は独りなんだ。。。世界は完璧ではない。

ただ、何故かはわからないけど、もう朝に震えることはないような気がする。そこから脱げ出した実感がある。
再スタートか。。。結局、僕は僕でしかないんだ。

LET IT BE ☆彡