一生懸命な人を笑う人が大勢いるのは、何故だろう?
それが正しい事であっても面倒な事になる気がしたら、黙殺する。
そんな雰囲気が世の中には蔓延してるし、結局、無難な選択を僕たち繰り返す。それが無難かどうかは、最終的にはイメージの問題だ。小雨交じりの新宿で選挙演説を聴いている時、ふと思った。
僕たちが経験した二つの震災には、僕たちが知らない、もう一つの悲劇があったらしい。一つは阪神大震災の時の首相が社会党の村山富市であったこと。二つめは東日本大震災の時の首相が民主党の菅直人であったことだ。二人とも左翼くずれのリベラルだ。
阪神大震災が発生した直後、村山富市は敏速な対策をとらなかった。後に、この件を追求された村山元首相は、❶早朝であったこと、❷はじめての経験であったため
、対応が遅れたと話した。でも、この時、神戸で何が起こっていたかを知る人は少ない。地震直後の神戸には瓦礫の下敷きになった沢山の人たちが助けを待っていた。伊丹駐屯地の自衛官は、彼らを助けるために真っ先に駆けつけた。それは誰かに指示されてやった行為ではなく、人命救助をしたいという想いからだった。でも神戸市は、国からの指示もなく自衛官の救助を受け入れる事は出来ないと、支援を断った。彼らは泣きながら伊丹駐屯地に帰ったそうだ。あの時、真っ先に救助を受け入れていたら、どれだけの命が救われたんだろう。結局、自衛隊の救助は午後になって、ようやく許可された。それは自衛隊を嫌いな社会党が支援要請を躊躇ったためだと言われている。
また福島第一原発がメルトダウンし、放水が必要だと進言された菅元首相は、警察署に支援要請をした。普通の人間なら放水といって連想するのは、消防署への手配だと思うけど、学生時代に学生運動で放水銃の威力を知っていた菅直人は違っていたのかもしれない。菅直人も元社会党だ。
当然それは人に向けるものであって、消火には役立たない。警察署は無意味だと分かっていたが指示に従った。そして一通りの失敗の後、消防署の放水車が手配された。しかし、それは一刻を争う緊急事態だった。やがて菅元首相は、原発ゼロ宣言をする。そして世界で最も厳しい水準で、放射線の管理基準を作った。根拠はなかったが、厳しい基準は世界に誇れるものだと考えた。その結果、世界標準では大丈夫だと考えられている放射線量でも基準をオーバーする食品が多数発生し風評被害によって、被災地は壊滅的な打撃を受けた。
しかし、ホルムズ海峡が封鎖された時、日本の電力をどうするのか、と訊かれた菅元首相は、『その時のために5~6基はいつでも稼働出来るようにしとけばいい』言ったそうだ。
そんな左翼くずれのリベラルたちの執政の現実を新宿西口で聴いている内に、僕はどうしようもなく憂鬱になった。
新宿から荻窪に移動した僕は『6次元』の奥から二つめのテーブルに座って、村上春樹の『風の歌を聴け』を斜め読みしていた。そこは去年の10月10日、村上春樹がノーベル賞を逃した日にファンやマスコミが溜め息をもらした空間だ。今年の10月も沢山の人たちが集まるのかもしれないけど、その日の『6次元』はゆっくりとした静かな時間が流れていた。
『でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。』
~村上春樹『風の歌を聴け』より~
僕も強い振りのできる人間になりたい、そう願った。そして、このブログを書くのに、1週間もかかってしまった。うんざりする気持ちと、伝えたい気持ちが交錯した。
明日から、新しい一週間がはじまる。気分を新たに、がんばろっと♫
Let it be ☆彡