興奮冷めやらぬ伯爵が事の次第を語り出したのは、
それから十分後の夕食の席だった。
いつものごとく、伯爵と私の会話を全て書き出すと長尺になるので、
一部こちらでまとめながら、話を進めていこうと思う。
今朝、伯爵が離島地域の会議が行われる部屋に入ると、
既にほぼ全員が揃っていたらしく、話に花が咲いていた。
話題の中心にいたのは、あのネルドリ大好きデナリーさん。
なんと、デナリーさんがドナーク島で保護しているネルドリさんたちが、
とうとう全員母国に送還されることになったというではないか。
つまり、私たちが出会ったヤコムさんとネストル君だけでなく、
他のネルドリさんたちも全てだ。
他の領主たちから、
「それはよかった」「これで遭難者たちも楽園たる母国に帰れるな」
「ネルドリの大総統閣下もお喜びになるだろう」
などというお花畑丸出しの賞賛を浴びて、
どんどん緩んでいくデナリーさんの締まりのない顔を見て、
首根っこを締めたくなった伯爵だったが、そこはぐっと堪えたそうだ。
ヤコムさんをはじめとするドナーク島のネルドリさんたちは、
カシルダに漂着したネルドリさんたちとは異なり、
ネルドリの国内事情は一切デナリーさんに話さなかったようだ。
そうでなければ、デナリーさんが能天気にへらへらしていられるはずがない。
嬉しそうに語りまくるデナリーさんを、
伯爵ははらわたが煮えくり返る思いで見ていたという。
そこへ、部屋のドアがお上品にノックされたかと思うと、
勢いよくドアが開かれた。
姿を現したのはなんと、あのレオン皇子とお付きの人々だった。
レオン皇子はとても気さくな方だったそうだ。
「おはよう、今日は卿らの会議を見学させてもらう、よろしく頼む」
などとくだけた感じの挨拶の後、
「随分盛り上がっていたようだが、何の話をしていたんだ?」
早速領主たちと会話しようと試みられた。
しかしそこは仮にも領主たち。
他国の皇子さまに「何の話をしていたんだ?」と問われて、
「実は先日、ネルドリ人がわが国に漂着したのですが、
彼らを本国に送還することが決まりまして」
と馬鹿正直に語る者はいないだろう。
レオン皇子も領主たちと会話するきっかけが欲しかっただけで、
本当に自分たちの会話の内容を知りたいとは思っていない、
と伯爵は考えたのだがしかし。
「あいつ、全部言いやがった」
そう吐き捨てた伯爵の顔には、面白いものを見れたという嬉しさと、
全部言いやがった者に対する軽蔑とが絶妙に混ざり合っていた。
つまり、
あいつ=デナリーさん
全部言いやがった=「実は先日、ネルドリ人がわが国に漂着したのですが、
彼らを本国に送還することが決まりまして」
これをそっくりそのまま言ったか、あるいはこれ以上の情報を語り散らかしたのか。
しばらくの間、私は言葉を失った。
あまりの浅はかさに、どう言葉を取り繕えばいいかわからなかったからだ。
誰だ浅はかなのは言わないでおくが、そういう人物だからこそ、
発見当初からネルドリさんたちの存在を隠さなかったのだろうし、
お花畑タイトルを冠した書籍を発刊できたのだろう。
「全部、ですか」
ようやくそれだけ発した私を、伯爵は同情するように見つめた。
「ああ。自分の領地にネルドリ人が漂着したこと、彼らを盛大にもてなしたこと、
アルコールを振る舞ったら依存症のような症状を見せる者が出たこと、
そのせいで屋敷の者が被害を受けたこと、
王宮に報告したら速攻ネルドリへの送還が決まったこと、全部だ」
つまり「全部言いやがった」の中でも、最上級に語り散らかしたということか。
デナリーさんはあれなのか。
恐らく、いや絶対に確実に間違いなくそうだ。
「閣下」
「なんだ」
「言葉を飾らずに申し上げてもよろしいですか」
「あなたの言いたいことはわかっているつもりだ。忌憚なく言っていいぞ」
今ほど、こやつが話のわかる主でよかったと思った事はない。
「主語を申し上げるのは差し控えておきますが、つまり、ばかなんですね?」
主語が誰になるか説明は不要だろう。個々の解釈にお任せする。
「ああ、その通りだ。そうとしか言いようがない。
私も奴があれほどだとは思っていなかったから、咄嗟にフォローできなかった。
他の領主もそうだったろうな。誰も、一言も発しなかった」
伯爵も容赦なかった。
レオン皇子も、他国の領主がこれほどあけすけに、
おのれの領地で起こった事柄を語ってくれるとは思ってもいなかったに違いない。
だから内心驚いたとは思うが、アステールもネルドリの情報は欲しいだろう。
デナリーさんから他にも情報を入手しようと、何か仕掛けてきたのではないだろうか。
そう考えるとやや緊張してきた。
「それで、レオン皇子は何と」
声が少し硬くなってしまったが、伯爵は陽気なままだった。
「呆れるを通り越したのだろうな、大笑いしてな。
それからは、まるで赤子をあやすような声と口調で……」
待て待て待て、世界最大国家の皇子さまの優しげな声とか、かえって怖いんだが。
伯爵は先程まで振りまいていた陽気さを封印したかと思うと、
意を決したような表情になり、大きく息を吸い込んだ。そして、
「フレディくんは、ネルドリがどんな国か知らないのかな?
どうやら知らなさそうだね、教えてあげよう。
あの国はね、国民が他の国に行くのを許していないんだ、
どんな事情があったとしてもね。
もしそれがばれたら、よくて一生牢獄に入れられるか、
基本銃殺されてしまう国なんだよ?
それでもフレディくんは、喜んで彼らを故郷へ帰すつもりなのかい?」
常より二段階ほど高い声色で、誰かを諭すようにのたまった。
どうやら、レオン皇子の声色を真似てくださっているようだ。
「たまたまフレディくんの領地に着いてしまった人たちがだ、
たったそれだけのことで、最悪殺されてしまうだなんて、酷い話だよね。
そんな彼らをどう思う? かわいそうとは思わないのかい?
ねえ、どうなんだいフレディくん? ……とまあ、こんな具合だ」
フレディくんというのは、
レオン皇子がその場で命名したデナリーさんの愛称だと思われる。
(デナリーさんの氏名は、お花畑タイトルの本の本文を引用した回に出ているので、
気になる方は見返してもらいたい)
私ですらデナリーさんの名など覚えていないのに、
よくもまあ他国のいち貴族の氏名を覚えていらっしゃるものだ。
それはさておき、せっかく皇子さまの物まねをしてくれたにも関わらず
大変申し訳ないが、普段聞きなれない伯爵の猫なで声に私は、
「鳥肌が立ちました」
「だろうな。私もいま、自分で言っていて寒気がしたよ」
「でしょうね」
「失礼な言い草だが、否定できないのが悲しいな」
「申し訳ありません。
ですが、閣下のいらした場が凍りついたことは、容易に想像できました」
「臨場感をお届けできてよかったよ」
伯爵の言うことはごもっともで、
確かにその場に居合わせた伯爵の心情は追体験できたように思う。
あまり嬉しくはないが。
想像してみて欲しい。
中年のおっさん(デナリーさん)が、彼よりずっと年下の上司(レオン皇子)に、
これでもかというくらい優しい声で諭されている図を。
そんな光景はできれば見たくないし、絶対に中年のおっさんの立場になりたくない。
デナリーさんの心境を想像するなら、
まずレオン皇子に諭された時点で、無能の烙印を押されたも同然。
しかも、伯爵や他の領主たちがいる前で。
おまけに、彼が愛してやまないネルドリのよろしくない真実を知らされたとなれば、
感情の整理も追いつかないに違いない。
デナリーさん、立ち直れているだろうか。
「あの時のデナリーの顔を、あなたにも見せたかった」
「きっと、この世の終わりみたいな顔をしていたんでしょうね」
「ああ。他の領主たちも同じような顔をしていたがな。
全員知らなかったのだろうな、おめでたい限りだ」
「その場は相当凍りついたんでしょうね、閣下以外は」
「だが笑う訳にはいかないからな、せいぜい神妙な顔をしていたさ」
「賢明なご判断です」
わが国の行く末がますます心配になってきた。
本土の領主ならともかく、
ネルドリや他国と領海を接している離島地域の領主たちが、
この程度の知識すら持ち合わせていなかったとは。
デナリーさんが特別あれな訳ではなく、これがわが国の貴族の平均ということだ。
改めて怒りや情けなさを感じたが、
わが国の貴族に期待してはいけないのはよくわかった。
それにしてもだ。
レオン皇子は当事者ではないから、
「ネルドリさんたちを送還するなんて可哀想だろうが!」
的な、ある意味無責任な事を言える。
当のデナリーさんには、ネルドリさんたちの処遇を決定できる権利はないから、
いくらデナリーさんを責めてもどうしようもないのだ。
なぜなら、ネルドリさんたちの処遇を決められるのは王宮だから。
従って、デナリーさんにできることは、
王宮に「レオン皇子にこんなことを言われたんですが、私どうすれば?」
と報告するくらいしかないのだが、
結局デナリーさんはどうしたのだろうと考えていると、
「レオン皇子も、デナリーに決裁権がないのはわかっていたんだろうな。
すぐ国王陛下に直談判しに行かれて、あいつらの送還を見送らせたよ」
「それは……」
大丈夫だったのだろうか、色々と。
「大丈夫だったんですか」
「色々と」の部分の言語化が追いつかなかったので、
思ったことがそのまま口から洩れてしまった。
「何がだ」
「いくつか心配な点があります」
私の台詞に、伯爵は軽く目を見開かれた。
「あなたからしてみればそうだよな。恐らく問題ないが言ってみてくれ」
私が懸念している事が想定できたような口ぶりだったが、
それは私からしてみれば致し方のないことだ。
こちらは伯爵から聞いた話の範囲内しか情報を持っていないのだから。
だが「おまえの話の進め方が悪いから、
私がこんなことを疑問に思わなくてはならないんだろうがこの能天気善人面め」
と罵る気は毛頭ない。
そこまで私は短気でも狭量でもないし、
聞き手に疑問を持たせず話を進めるのは、非常に難しいことも知っている。
第一、私自身が流暢に話すのが得意ではない。
偉そうに他人の事を言える立場ではない事は自覚している。
私は懸念した点を伯爵に説明することにした。
まず、ネルドリさんを本国に送還することが決まったのは、
いつの話かということ。
昨日今日決定したばかりで公表されていないというなら、撤回しても問題ないが、
決まったのが数日前などとなると、既にネルドリに知られている可能性もある。
そうなれば、ネルドリと揉めるのではないか。
私は王宮にネルドリの間者がいると思っているので、
こういう情報はかなり早くネルドリ側に伝わると考えている。
もっとも……まだ書き足りないことはあるが、長くなるのでやめておこう。
そして、レオン皇子の振る舞いも心配だ。
いくら超大国の皇子とはいえ、他国の外交に口を出すのはいかがなものか。
わが国はアステールの植民地でもなければ、支配下にある訳でもない。
力の差はあるとはいえ、国家としては対等な関係だ。
わが国の王宮にも、多少そのようなプライドはあるのではないだろうか。
私個人は、レオン皇子に対して「よく言ってくれた!」という気持ちだ。
しかしこれも、王宮にしてみれば「なぜ他国の若造(レオン皇子のことだ)に、
わが国の外交を指図されなくてはならないのか」という不満を抱いても当然だろう。
彼のこの振る舞いが、王宮に負の印象をもたらさなければよいが。
わが国との友好関係が築かれなかったとしても、
アステールにはあまり痛手にならないかもしれないが、
かの国がこれから「成したいこと」に、わが国は必要不可欠なはずだと、
私は考えている……
伯爵は肉料理と野菜、そしてパンを等分に食しながら耳を傾けてくださった。
私がつっかえながら話を終えると、
「あなたの心配はもっともだ」
そうおっしゃって水の入ったグラスを手に取った表情からは、
陽気なだけではなく、人の上に立つ者としての自覚と矜持を感じた。
「だが、これを言うとあなたに対して不敬に当たるかもしれないが、
正直に言ってわが国の王宮は、
あなた思うほどの有能さと矜持を持ち合わせていない。
その点は安心していい」
伯爵の返答は、一応王宮の一員である私にとって非常に情けない評価なのだが、
「つまり、ネルドリさんの本国送還はごく最近決まった事なので、
いまわが国が撤回しても問題ないと」
「そうだ。デナリーに話がいったのが今朝だからな。
わが国にネルドリ人がいることは、既に向こうにも知られているだろうが、
王宮はこれまで公式な声明を一切出してこなかったからな」
デナリーさんの領地にネルドリさんが漂着したのは、一か月も前のことだ。
王宮もそう時間を置かずそのことを知ったはずなのに、
今まで何も言及してこなかったのはなぜだろう。
単に仕事が遅いのか、あるいは何か意図があってのことなのか。
わが国の王宮のことなので、残念ながら前者だろう。
「ネルドリも未だに何も言ってこないということは、
密漁しに行ったうちの人民を返せ! とは言いづらいということかな。
今回は王宮の仕事の遅さが幸いしたと言えるな」
王宮に対する伯爵の見解は私と同じだった。
「そんな仕事の遅い王宮だから、
レオン皇子の内政干渉にも敏感な反応は見せずに、ひたすら平身低頭で従ったと」
「そういうことになるな」
悲しいことだが、無能さが自らを救う時もあるということだ。
「というわけで、離島地域の会議が大幅に遅れていてな」
「なぜですか」
「レオン皇子が国王陛下に直談判しに行った間、会議が始められなかったんだ。
デナリーも連れて行かれたからな。
午前中いっぱい時間を無駄にした」
離島地域の領主たちの中で最も爵位が高いデナリーさん抜きでは、
会議を進める訳にはいかなかったのだろう。
かわいそうなデナリーさん、世界的要人同士の話し合いに連行されるとは。
さぞかし胆が縮み上がったことだろう。
国王との話し合いに午前中いっぱいかかったということは、
それなりに濃度のある話し合いだったろうが、
レオン皇子はデナリーさんたちに暴露したネルドリの真実を、
国王にもぶちまけたのだろうか。
だとしたら、わが王宮は大騒ぎになること間違いない。
それはそれで気になるところだが、私的にはもっと重要な事柄があった。
「ということは、また登城されるのですね?」
「ああ、帰りは明日になるだろうな」
本日も帰るのが遅くなるというにも関わらず、主の機嫌は相変わらずよい。
デナリーさん以下領主たちが顔面蒼白になったことで、
余程気分がよいのだと思われるが、肝心のことを忘れておいでのようだ。
「ということは、明日の舞踏会のお相手を探す機会が、
まだあるということですね?」
「……」
私の一言で、途端に現実に引き戻された顔になった伯爵だったが、
「ま、まあ、今日はもう日も落ちたし、淑女たちも屋敷に帰っているだろう。
明日もあるしな」
それでも現実逃避をやめようとしなかった。
「そうですか」
「そうだとも」
だが、私の無言の圧を察したのか、
いつの間にか空にしていた食器たちに感謝の祈りを捧げると、
そそくさと立ち上がった。
「で、では王宮に行ってくる。
今日は先に休んでいてもいいぞ」
なんだこの、臭い物には蓋をするみたいな扱いは。
こちらはまだおまえに報告することが残っているんだが?
「……ミナエさんの家に行ってきたんですが?」
私が低い声で呟くと、伯爵は明らかに動揺した様子で、
「そ、そうだ、そうだったな。では帰ってから聞かせてもらうよ……
しかし、連日遅くまで起きてもらうことになるから、
眠かったら本当に休んでいていいからな。
では、い、行ってくる」
早口にそう言うと、さっさと席を立って去っていった。
ミナエさんの家に行ってお話を聞くこと、
昨晩打ち合わせの終わり際に伝えておいたのに。
ころっとお忘れになりやがっていたとは。
それに、今日のドタバタ具合から考えると、
デナリーさんにマキ人のことを訊ける時間もないだろう。
残念だが、またの機会にぜひ訊いてみて欲しいものだ。
私は殆ど手をつけていなかった夕食と一人向き合うことにすると、
冷めてしまった食材たちと神に手を合わせた。
無論、主が帰ってくるまでお待ち申し上げる所存で。

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