ドラマの時間 天使と悪魔 芥川龍之介『悪魔』より  | パパンズdeアトリエ

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室町時代、天文18年、西暦1549年に、宣教師フランシスコ・ザビエル一行が、日本に基督教を伝える為、鹿児島に上陸したのです。

この時代、前々年に、 足利義輝が室町幕府13代将軍に就任したのです。
長尾景虎、後の上杉謙信が兄・晴景に代わって家督を継ぎ、越後の春日山城に入城しました。
そして、美濃国斎藤道三の娘、濃姫が尾張国織田信長に嫁いだのであります。

日本の歴史が胎動する戦国時代に、ポルトガルの密命を帯びた、フランシスコ・ザビエルが乗ったジャンク船が、現在の鹿児島市祇園之洲町(ぎおんのすちょう)に到着したのです。
はるばる異国の地から来た外国人の異様な姿に、日本人は驚き身を竦めたのです。

ここぞとばかり、九州の大名は、南蛮貿易の利益を得るために基督教を保護したのです。
時は戦国時代、西欧との圧倒的な戦力の差を感じた戦国武将らは民と領土を守る為にも、ここは自身も信者になりキリシタン大名となり、民にも基督教を勧めたのです。

群雄割拠する世相にあり、如何に南蛮貿易で外国との交易により、自国が有利に立つことができるかどうかが問題だったのです。
圧倒的な西欧の近代的な武器を、入手できるかどうかが判断基準だったのです。
基督教の布教と南蛮(なんばん)貿易は、表裏一体のものだったのです。

マルコ・ポーロの西暦1271年から1295年にかけての東方見聞録で、日本を黄金の国ジパングとして欧州に広く紹介された。
時は大航海時代だったこともあり、外洋航海にも適応できる頑丈なキャラック船やキャラベル船のような建造船技術が確立し、羅針盤(方位磁石)が普及し、航海技術を修得すると、冒険者たちは次々と外洋に挑んでいったのです。

1543年には、ジャンク船に乗ったポルトガル人が日本の種子島に漂着して鉄砲を伝えています。
この鉄砲の威力に、いち早く目を付けたのが尾張の織田信長だったのです。

時に、ドイツのグーテンベルクが1445年に活版印刷技術の発活版印刷技術を考案し、実用化していった。
1450年までには印刷所の運営を開始して、一番儲かったのは、教会向けの数千枚の贖宥状(しょくゆうじょう)の印刷だったと言われている。

それまでは、すべて手書きで高価だった聖書が、一般庶民にも手が届くようになったのです。
特権階級の専有物だった教会が、聖書の大量印刷が可能になったことで一般民衆向けになったのです。

しかし、当時の宗教改革者ルターが遺憾だとした贖宥状の印刷でグーテンベルクは儲けていたのです。
聖書を、もっと一般大衆向けに安くし、神の恵みを一人でも多く受けられるようにと志したものが、ルターが忌み嫌う、最も罪深いとされたものに利用されるという時代の皮肉さも同時にあったのです。


安次郎は、薩摩、大隅国出身の男です。

ある時、安次郎は若気の至りで誤って殺人を犯し、追われる者となり、当時、薩摩に来航していたポルトガル船に便乗し、マラッカに逃れたのです。
丁度、折しもマラッカに滞在していた宣教師ザビエルのことを安次郎は知ることになるのです。
その基督教なるものに、人の罪を赦すことができるという教えがあることを聞き及ぶと、自分が犯した罪の償いをする為にも、安次郎は、是非とも、そのザビエルと会いたくなったのです。

御主基督なる神が、愛と恵みにより懺悔すれば、例え、極悪人であっても天国に入れることを悟らせるザビエルの導きにより、聖霊による恵みを受けた安次郎は、日本人で初めてザビエルから洗礼を受けたのです。

それからの安次郎は、遠い祖国、日本の話を、朝な夕な、ザビエルらと親しく交えるようになったのです。
ザビエルは、その切迫した真摯な態度で、懺悔の念を告白をする彼の話を聞くにつれ、未知の国、日本に行ってみたいという思いが湧き立ってきたのです。
その使命感のような憧れが、ふつふつと湧いてきて、一緒に日本に行こうと願うようになったのです。
一方の安次郎も「もし、自分の罪が赦され、故国、日本に戻れるなら、是非一緒に日本に行きましょう」と意気投合したのです。

こうして、日本語通訳として安次郎を従えたフランシスコ・ザビエルら一行が、生まれて初めて踏む日本の大地に意気揚々、降り立ったのです。


芥川龍之介が描く宣教師ウルガン


ところで、その宣教師ら一行に『ウルガン』という神父も同行していたのです。

この神父の卓越した晴眼が、もの凄いのです。
人の心を見抜く力が、この人には生まれつき備わっており、それは、あの基督にも匹敵する程の力だったのです。

ウルガンの青い瞳を見たものは、誰でも、まるで魔術のような力に屈服せざるを得ないのです。
その吸い込まれそうな底知れぬ井戸のような瞳に魅せられると、誰でも従わざるを得ないのです。
まるで天使か悪魔のように神秘的で、人を幻惑せんばかりに魅惑的なのです。

日本での伝道が、順調に進む中、ザビエルは日本と云う国に魅了されるのです。
祖国のイエズス会に宛てた手紙には、日本の素朴であり、神秘的な精神文化に魅了される内容が書かれている。
「向学心、知的好奇心が旺盛で、決して貧しくても悲壮感など無く、武士などは貧乏であっても名誉を重んじます。
うるさいほど質問してくるのですが、納得すると喜んで神の言葉に耳を傾け、多くの人が洗礼を受けています。」

辛い出来事があっても、捨て台詞のように「沙羅くせえ」と受け流すような粋の精神が日本にはあるのです。
能や、狂言、夜空に火の粉が舞う薪能、あるいは岐阜長良川の鵜飼いだとか、金閣寺、銀閣寺に漂う豪華さと茶の湯の侘び寂びといった、全く西洋にない荘厳で神秘的な出会いにザビエル一行は感動したのです。


京に上った神父ウルガンは、織田信長の行列に出会ったのです。

それは、信長がお気に入りの姫の行列でもあったのだが、その姫の籠の上に、妙なものを見たのです、
それは人間の顔とコウモリの翼と山羊の脚とを備えた、奇怪な小さい動物なのです。
ウルガンは、この悪魔が、ある時は塔の九輪の上に手を叩いて踊り、ある時は四つ足門の屋根の下に日の光を恐れてしゃがむ恐ろしい姿を度々見たのです。

実は、信長は美濃の国の斎藤道三の娘、濃姫より、この姫を気に入っていたのです。
信長の思いはなんとしてでも、この姫を自分の思い通りにしたいと願っていたのです。

しかし、その籠の上にあぐらをかく悪魔の姿に、ウルガンはその姫の為にも、あるいは日本国の為にも、言葉を悪魔に借りてでも、なんとしてでも、信長と姫の関係を切りにかかったのです。

ウルガンは、その悪魔に魅入られた姫君の身を気遣ったのです。
両親と共に、熱心な基督教の信者である姫君が、悪魔に魅入られているという事実は、ただ事ではないと思ったからです。

そこで、この神父ウルガンは、駕籠の側へ近づくと、突然、十字架の力によって難なく悪魔を捕えてしまったのです。
そして、それを南蛮寺の内陣へ、襟元をつかみながら連れて来たのです。

ウルガンは、その前に悪魔を引き据えて、なぜ、それが姫君の駕籠の上に乗っていたか、厳しく詳細を問い正したのです。

すると、その悪魔はこう告白し始めたのです。

「私は、あの姫君を堕落させようと思いました。が、それと同時に、堕落させたくないとも思いました。
あの清らかな魂を見たものは、どうして、それを地獄の火に穢す気がするでしょう。
私は、その魂を、いやが上にも清らかに曇りなくしたいと願ったのです。が、そうと思えば思うほど、益々、堕落させたいという気持ちも湧いてくるのです。

その二つの気持ちの間に迷いながら、私は、あの駕籠の上で、じっくり私たちの運命を考えていました。
もし、そうでなかったとしたら、あなたの影を見るより先に、恐らく地の底へでも姿を消して、こんな悲しい目に遭うことは逃れていたことでしょう。

私たちは、いつでもそうなのです。堕落させたくないものほど、ますます堕落させたいのです。
これほど不思議な悲しさがまたどこにあるでしょうか。

私は、この悲しさを味わう度に、昔、見た天国のほがらかな光と、今見ている地獄の暗闇とが、私の小さな胸の中で一つになっているような気がします。
どうか、そんな私を哀れんでください。私は寂しくて仕方がありません。」

そこには、襟首を掴まれた悪魔の懸命に命乞いをする哀れな姿があった。

その裁きの場にある、ウルガンと悪魔とのやりとりは、天井の一点を睨んだまま、「どうぞ私を赦して下さい。」と枕に涙の懺悔をする芥川龍之介の鬼気迫る狂気でもあったのです。


『悪魔』1918年、大正7年発表 現代語訳 
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房 1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行


読後感想 「天使と悪魔」

悪魔も、その素性を明かせば元は天使だったのです。
しかし、世の不条理と、もののあわれとが織り成すところ、天使は天上を追放され、堕天使となり、荒れ野の地の果てまで幾年月も放浪し、余りの飢え渇き、空腹と命の危機に、地にうねり、その地の塵まで口にほふるようになり、人々に忌み嫌われる存在となったのです。

こうした非業の境遇に追いやられたサタンは天罰を惧れ、暗闇に逃れ、天上の神に復讐の誓いの儀式を捧げたのです。
そして「あの自分を陥れた神を信じる者達を、なんとしても堕落させたい。」と逆恨みのように呪うようになったのです。

その嫉妬心から、なんとしても、あの姫の美しい魂を堕落させたいと願い、神の意志に反抗し、自分の味方に付くことを願ったからです。
あの信長の心を掴む、美しい魂の姫君を如何なる手段ででも、堕落させようと強く願うようになったのです。
もし、神に背き、自分の味方に付いてくれるなら、「これはしてやったり」と膝を叩いて喜ぶようになったのです。

晩年、既に著名人となっていた芥川龍之介には、多くの女性ファンが取り巻いていた。
中には、不倫関係となった女性もあり、その嫉妬の情念の諍いに精神を患うようにもなったのです。
悪魔の策略を見抜く洞察力がある氏であればこそ、ウルガンと悪魔の攻防が、合わせ鏡のように反射しあい、まるで、自身の似姿のように、肉体と精神が分裂する繊細なガラス細工のように攻め蝕んでいくからです。

『西方の人』(せいほうのひと、さいほうのひと)1927年8月、雑誌『改造』に初出。1927年7月10日に書き上げ、
『続西方の人』(『改造』1927年9月)は、自殺前夜に脱稿された。

西方の人とは、あのナザレのイエスのことです。
あの神父ウルガンに首根っこを掴まれ、悪魔を捉えて放さない基督のことです。
「私についてきたければ、己の十字架を背負いなさい」と弟子たちに言われた基督のことです。

 

☕コーヒーブレーク 「君は幻を見たかね?」

 

さて、今夜ばかりは、千野哲太が路傍演奏するサクソフォーンの語らいに、ひと時、ほろりと苦し涙に誘われるように、ナイトクラブの一隅で、ワイングラスでも傾けながら、至福のひと時をお過ごしください。