読書と哲学 『輪廻転生』の続き  | パパンズdeアトリエ

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芸術、宗教、思想、科学、宇宙、夢のことなどを筆が勝手に紡ぎ出すがごとく綴ります。

自分の母親が亡くなったのは、もう二十年も前だろうか。
東京に居て超多忙で、滅多に郷里に帰ることも難しい状況なのだが、ある日、自分は夢を見た。
夢の中で郷里に戻っていたのだ。
実家の勝手口のドアを開けると、そこには昔と全く同じ間取りで、台所兼、リビングルームの板の間があった。
真ん中に掘りごたつがあり、そのテーブルの上には、ガス式の炊飯器が置いてあり、中には保温されたご飯が残されていた。
「腹が減ったらこれを食べるようにということだろうな」という母の心尽くしだと思った。
昭和三十年台に建築された親父の設計のこの家は、台所に竈(かまど)があった。
当時の最新式文化住宅だった。
五右衛門風呂も焚口が台所側に向けて構えてあるので、風呂を焚き、夕飯の支度をする時間ともなると、まるでたぬきでも出そうなほど、煙が家中に充満してくるのである。
「ああぁたぬきが出る」と手で目の前の煙を払った。
風呂を焚くのは主に自分の仕事だった。廃材をのこぎりでカットし、斧で割り、焚口から投入するのである。
後に、竈はプロパンガスに、風呂は、重油バーナー式となり、焚口が外に設置されて問題は解消したのです。

腹も満足したので、その隣の東向きの和室で一休みしていると、人の気配がして、いつの間にか隣に布団を頭から被った母親が眠り込んでいた。
夢の中では、昔のままの部屋で昔のままの母親がごく普通に生きている。

般若心経講話 紫雲荘 橋本徹馬著
 

昭和42年8月 山梨県滝山にて 著者 橋本徹馬

 

橋本徹馬(はしもとてつま、1890年(明治23年)~1990年 (平成2年) )は、日本の政治家、思想家。愛媛県出身。早稲田大学専門部政治科中退。佐藤栄作の私的相談役でもあり、紫雲山地蔵寺を創建した。
その講話集は、般若心経を禅の公案を滝行など激しい修行をしながら、一般大衆向けに分かり易い事例、短歌などを交え乍ら解説していったものです。

色即是空、空即是色の意味

 

この意味を簡単に説明すると、色とは、目に見える此の世の中の物事の全てです。
空とは、実体がないことです。 空即是色は、その対語です。
つまり、この世のすべてのもの、色は、実体が無い空となるが、その無いはずの空から物質や実体、即ち色は生まれる。といった意味です。
ここに、なんでもいいのですが物体があるとして、これを分解していくと分子になり、原子になり、素粒子になり、最後には波動になり雲散霧消します。
その雲散霧消したものから、今度は逆に素粒子となり、原子を構成し、分子を構成、細胞から更に生物などの実体になります。
ですから、色即是空、空即是色と対語になっており、決して空は虚しいものではなく、それが何であるかは、言葉に言い尽くせぬ摩訶不思議な真理だというわけです。
 

この世に存在するものは、形こそ変えることはあっても、無くなるということはありません。

水は、冷やして零度で氷という個体となり、熱すると液体となり、更に熱して百度になると水蒸気という気体になり、もっと熱するとプラズマ(電子が分離した状態)になります。

これらを相転移(そうてんい、 phase transition)あるいは相変態(そうへんたい、phase transformation)と物理では呼んでいます。

ただ形が変化したというだけで、決して無くなってしまったわけではありません。

「死ぬと全てが無になる」と考えている人もあるが、もし、そうだとすると、今頃、地球はもっと軽くなっているはずです。

しかし、そうなったという報告はありません。

 


般若心経講話本文より

あなたは誠にはかない存在のようであるが、実は永遠に存在する実在の一時的顕現なのです。
すなわち、あなたが即ち実在、実在がすなわちあなたとなり、これが色即是空、空即是色の意味です。
いわば、あなたは父母の未だ生ぜざる以前からの己、天地の開ける以前からの己、そうしてまたこの肉体は滅んでも永久に死ぬることのない己を、はっきりと自覚することになります。
つまり、永遠の生命があなたなのです。

あるひとは、永遠の存在である生命が、時々、現象人としてこの世に生まれてくることを、永遠の旅人と旅館に例えています。
 

徳川光圀の辞世の句に

 

父母に呼ばれてかりに客に来て
     思い残さず帰るふるさと


という句があります。

永遠の旅人である我は、何かの縁で父母の元に、たまさか旅館の客のように立ち寄ったのだが、時が来たので、元々居た故郷に思い残さず帰るのだと詠んでいます。
 

ところがです。

 

ここで、その元々の前世がはっきりしないので、今も後も理解できないという訳です。
それについては、天理教祖が最も的を得ています。
「前世が分かったら、顔をあげて歩ける者はあるまい。そこで神様のお慈悲で、一生ごとに黒幕を垂れ、見えないようにしてあるのじゃ。しかし、前世がどうだったかは、今の己の状態から察すれば如何だったかは分かるはずじゃ。よう思案してみよ。」

 

※前世を記憶して誕生する人があるとしたら、それをどう考えれば、どう受け入れればいいのだろうか。

その黒幕は、時々、破れ落ちることもあると云っておるのだろうか? ようよう思案せねば…。

 


滝行による神秘体験

この話は、昭和17年の7月に、私こと橋本徹馬が甲州の滝山で滝行をした時のこと、私が滝にかかりながら般若心経を読もうとすると、一回どころか半分も読まないうちに、水の冷たさで心臓麻痺を起こしそうに感じる。
以前は、難なく出来たものが今日に限ってはできない。
そこで、私は精神力が肉体の制約を超えられるものかどうか、命がけで試してやろうと、滝つぼへ入って行きました。
心経を必ず五回読むまで、断じて引かぬ。死んでも止めぬという決心でやれば実際死ぬものか、その緊張した精神力で肉体を超え、死なずに五回読み切れるかどうかを、我が身を投げ出して試みてやろうというのです。
「えーい、死んでやれ」という不動の決意で滝水に浸かったのですが、すると、不思議なことに先ほどまでとは違って、一回読み終えても何ともないのです。
「おや…なんともないようだが。しかしそのうち心臓の限界が来て倒れるやも知れぬが、然し決して後へは引かんぞ」
と更に決意を強めてはや、二回読んでも倒れることはない。
「おかしいなあ」と思いつつも、ふと気が付くと、私は滝壺に天柱地軸を貫く金剛不動の巨人の姿で突っ立っている自分を見たのです。
それは肉体の死生を超越し、滝水の冷暖なども超越した私の実在の姿なのでしょう。
そのかたわらに、五尺五寸の肉体、橋本徹馬がふるえながら滝水にかかっているのが見える。
それを巨人の方の橋本の眼で見降ろす肉体橋本の姿のちっぽけで、哀れっぽいのがおかしくなって、私は思わず吹き出した。

 

この時、感得した巨人の橋本が実在の橋本で、そのそばで震えながら滝水にかかり愚かで哀れに見えた五尺五寸の橋本が、肉体の橋本、すなわち現象人としての橋本なのです。


読後観想

この厳しい滝行で氏は、所謂、幽体離脱をしたのでしょう。

精神が肉体から分離し、浮遊しながら鳥瞰図のように空中から己の身體を眺めているのです。
肉体はぶるぶる震えているのに、それを鳥瞰する実体は、その姿が哀れで可笑しく「ぷっ」と吹き出しているのです。

氏は仏教徒ですが、キリスト教をほめそやしている個所が随所にみられます。
ある新興宗教などは、他の宗教を貶なし落とすことで、自分の信じるものが如何に正しいかを誇っているようですが、それは、子供が痴話喧嘩で「おまえのかあさん出べそ」と罵っているのとそう大差ありません。
氏のように誠に厳しい修行の上に覚醒した修験者は、決してうかつに他者を卑しめ落とすことはありません。
本冊子にも、キリスト教を度々引用し、仏教が伝えることとの対比が説かれています。

ところで、
この話が、『二歳の子供が硫黄島の戦いで撃たれた』と前世を語り始めたという実話との関連性はあるのだろうか。
天理教祖の「前世を知ると恥ずかしくて…」という説話とは、意味が違うのだろうか。
滝行で体験した幽体離脱との関連性はあるのだろうか。
なぜ二歳から七歳までが、前世を語る年齢なのだろうか。
七歳を過ぎたら、その前世の霊人は、どこに消えるのだろうか。

六道輪廻とはどう違うのだろうか。

前世と生まれ変わりは、宗教とは無関係だということの意味は何だろうか。
 

知れば知るほど益々疑問は広がっていくのです。


☕コーヒーブレーク

ところで、般若心経を五回読んだところで、肉体に戻れたので良かったが滝行は危険を伴なうので、単独ではなく誰か傍で見守る必要があります。
氏は佐藤栄作元総理の顧問を務めていただけあり、その経文の読解力、瞑想、修行からくる洞察力など見事で感服します。
明治生まれの人は、どこか胆力でも違うのか、超人的な神がかりの人が多い。また中途半端に修得することもなく、妥協を赦さず徹底的に「会得するまでは死んでも引かん」と求道される人が多い。


実は、この般若心経講話の冊子は、母親がどこかの勉強会で貰って来たものだったが、なぜか、今は自分の手元に母親の写真と一緒にある。
帰郷すると、これに感化された母は、箪笥から写経した般若心経を自慢げに見せてきた。
見ると、何かの怨念がこもったような、鬼神が書いたような文字が並んでいた。

その冊子中に

きのうまで人のことだと思いしに
    わしが死ぬとはこいつたまらん


という世のざれ歌の引用記述があり、母は、それが余程可笑しかったのだろう。
大うけして「こいつたまらんって」「こいつたまらんって」と大笑いしているうちに亡くなった。

「こいつたまらんって」