読書と哲学 『輪廻転生』講談社現代新書 | パパンズdeアトリエ

パパンズdeアトリエ

アトリエ絵画スケッチデッサンなどの個展
芸術、宗教、思想、科学、宇宙、夢のことなどを筆が勝手に紡ぎ出すがごとく綴ります。

いまでも鮮明に覚えている夢がある。
母を亡くして数年後に見た夢だった。
私は下り坂の並木道を全力で駆けていた。
約束の時間がとうに過ぎていて、なかば諦めた気持ちで角を曲がると、大学図書館の前に立つ二つの人影が目に入った。
彼らは私の姿に気が付くと、「おーい」と声を上げて左右に大きく手を振った。
そこに立っていたのは父と母だった。
私は、だいぶ遅刻をしたのだが二人は辛抱強く待っていてくれたのだ。
そこで夢から覚めた。




この本の巻末に記述してあった著者の昔の夢の思い出なのだが、この夢の後、一体、両親と約束していたことが何だったのかという疑問が頭をよぎったのだ。
その約束とは「私は彼らのもとに生まれる約束をしていたのだ」ということだった。
今でもこの夢が両親への感謝であり、それを確かめたくて生まれ変わりの研究を始めたのかも知れない。
と筆者は語っている。

竹倉史人(たけくら ふみと、1976年~ )日本の宗教学および在野の人類学者
2000年武蔵野美術大学造形学部映像学科中退、2005年東京大学文学部思想文化学科宗教学・宗教史学専修課程卒業。
フリーター、会社役員、自営業、予備校講師など多彩な履歴の持ち主なのです。

輪廻転生の概要

輪廻思想というと、仏教の思想のように思えるのだが、少なからず仏教さえ知らない国、古代ギリシアや古代エジプトでも、その思想が支配しているのはなぜだろうか。
国際社会調査プログラム(ISSP)の調査では、アメリカ在住のイスラエル人の53.8パーセントの人が輪廻転生を信じている。
日本は42.6%だった。
荒唐無稽な話だという人々が多い現代においても、この「古代の妄想めいた迷信」のような話が、無神論者の多い日本でさえも、信じる人が多いという事実があります。
現代科学者は、「心は脳の活動に起因するものだ。死ねば脳は活動しなくなるので、その後は何も起こりえない無です。」と断言するだろう。
しかし、それは事実でしょうか。

「脳の活動が心を創り出している」とする考えと、「心が脳の活動を創り出している」とする考えがある。
もし、前者だとすると、脳のどこにその中枢部があるのだろうか?
もし、後者だとすると、心はいったい身体のどこにあるのだろうか?それは心という字が入っている心臓だろうか?

これは重く難解な課題で、軽々に結論などいえず、結論は纏まらないだろうという予見があるのですが、もしそれらを暗示する事実があるなら知る必要があると思うのです。


仏教には六道輪廻という教えがある。

有情(うじょう)輪廻して六道に生まるること、なお、車輪の始終なきがごとし。 心地観経(しんじかんぎょう) 

有情とは我々人間のことで、六道とは、1.天道、2.人間道、3.修羅道、4.畜生道、5.餓鬼道、6.地獄道のことで、これが車輪のように巡り生まれ変わると考えます。天道が一番高級で、地獄が最低です。
これは、仏教の倫理的、観念的、教義的なもので心の問題だと言っているのではなく、死後にもこれが続き、これを転生するのだと説いています。
そして、この未来永劫繰り返す因縁、カルマから解脱する方法を仏教は説いています。
その方法とは、出家して座禅瞑想し、滝行、断食、祈祷などの厳しい修行で煩悩を断ち切り、日々、精進鍛錬することだといわれいる。

一方、キリスト教では、輪廻転生の教えは存在しません。

仏教的な円環の思想に対し、キリスト教は、始めがあれば終わりもあるといった、一本の直線に捉えます。
聖書は天地創造から始まり、黙示録で終わるという一本の直線にあり、人類の歴史もその線の時系列上に並んでいます。
もし、人が幾度も生まれ変わるとすると、「メシアを受け入れ救われた人は、いつの時代の人だったか?」ということが疑問になります。
例えば、前世で救われた人が、再び生まれ変わり、洗礼を受けなければ救われないと諭され、もう一度洗礼を受けるとすると、前世の洗礼は一体何だったのか意味不明になります。


イエス・キリストは、荒野で、40日という厳しい断食を修めましたが、それは悪魔の試みに勝つためでした。
今でも神学生などは、断食、祈祷修行などもしますが、煩悩を罪の所在として、キリストを受け入れることで、その罪を抹消し、三位一体の神、すなわち、「父なる神」、「子なるキリスト」、そして「聖霊」を受け入れることで救いの道に至るとします。
 

聖書外典、偽典には、生まれ変わりを示す文節もあるようですが、正典にはキリストが明確に生まれ変わりを支持するような文節はありません。

新約聖書からの抜粋

さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたが、その途中で、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は、わたしをだれと言っているか」。
彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。また、エリヤだと言い、また、預言者のひとりだと言っている者もあります」。
そこでイエスは彼らに尋ねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
ペテロが答えて言った、「あなたこそキリストです」。
するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。マルコ 8:27

領主ヘロデ・アグリッパはイエスのことを「あれはバプテスマのヨハネだ。彼が死人の中からよみがえったのだ。だから、奇跡を行う力が彼のうちに働いているのだ」と家来たちに語っています マタイ14:2。

当時、このように「あれは○○の生まれ変わりだ」という世俗的信仰があったことを物語っています。

では、輪廻転生は、古代人の妄想のようなもので、現代では存在しないのだろうか。

 

転生の実話

バージニア大学のDOPS(知覚研究所)では、世界中の前世の記憶を検証する膨大な研究データが蓄積されている。
その中に、世界中のメディアでも取り上げられた有名な話がある。

二歳の子供が「硫黄島の戦いで撃たれた」と語り始めた。

事件は2000年、アメリカのルイジアナ州で、父親はブルース、母親はアンドレア、子供はジェームスという一家で起こった。
ジェームス君の特異な言動が始まったのは、2000年5月、まだ二歳になったばかりである。
激しい夜泣きをするようになり、母親は小児科医にも相談したが「そのうち治るでしょう」とだけ言われ帰されたが、夜泣きは益々激しくなった。
 

そして「飛行機が墜落!炎上!出られない!」と幼児が突如喋り始めたのだ。
当時のジェームズ君は、まだ言葉は単語を並べるだけの語彙しか喋れないので、両親は非常に驚いたのです。

この後、ジェームズ君は次々と不思議な話をし始める。

「飛行機に乗っていて、日本の飛行機に撃たれて墜落した。」
「自分が乗っていた飛行機はナトマという船から飛び立った。」
「硫黄島の闘いで撃たれた。」
「近くにジャック・セーランという仲間のパイロットがいた。」

母親は、ジェームズに「あなたの名前は?」と問うた。
すると「ジェームズだよ。今と同じ名前だよ」と答えたという。
母親は、もしかして前世が関係しているのではと思ったが、父親は馬鹿バカしいと受け付けなかった。
父親のブルースはコロンビアの大学院で、国際政治の修士号を取得したインテリで、石油会社のエリートビジネスマンでもあり、聖書研究などにも参加する敬虔なクリスチャンなのです。

ジェームズ君は、その後も不思議な行動をとるようになる。
彼は、よく飛行機の絵を描くのだが、その日本の飛行機にジークとか、ベティとかいう名前を付けるので「なぜ、そんな名前を付けるのか?」と問うと、
「戦闘機には男の名前、爆撃機には女の名前をつけるんだ」と答えた。
父のブルースが、そのことを調べてみると確かにそうだった。

ジェームズ君は「コルセア」という飛行機の絵をよく描いた。
「コルセアはいつもフラット・タイヤを履いていたよ」とか、「離陸するときに左に傾く癖があった」などと話すのだが、これも後の調べて事実だったことがわかった。
「ナトマ」は、太平洋戦争中の小型空母であることも判明したのだ。

父のブルースは、前世などあり得ないと信じていたので、仕事の合間に、「ナトマ・ベイ戦友協会」なるものがあることを知ると、何か手がかりがあるかもしれないと思い、極秘で参加してみた。

そこで、驚くべき発見をするのです。
 

ナトマ・ベイの乗組員名簿を見ると、そのなかに「ジャック・ラーセン」という名のパイロットがあり、ブルースは、その後アーカンソン州の彼の自宅を訪問しています。

その他、多岐にわたって調べたのだが、ことごとく息子の言っていることと内容が合致していたのだ。
硫黄島で戦死したパイロットの名前は、ジェームズ・ヒューストンJr.で、1945年3月3日に日本軍に撃墜された事実も判明したのです。
炎上しながら海に墜落したことも息子の話と全く同じだった。
また、その時、すぐ隣を飛んでいたのが、あのジャック・セーランの機体だったことも判明した。
こうなると、父のブルースは前世の記憶、生まれ変わりを受け入れるのが、この怪異な現象を説明するのに最も合理的解釈だと考えざるを得なかった。

 

その後、ジェームズ君は両親と共に、その「ナトマ・ベイ戦友会」にも参加するようになった。
最初は怪訝そうな顔つきだった会員仲間らも、その小さな戦友ジェームズ君を、暖かくを迎え入れたという。

DOPSは、こうした事例を、世界中から2,600件も以上収録、データベース化している。
それらの統計から傾向を抜粋すると次のようになる。

(1)子供が過去生について語り始める平均年齢は2歳10か月、自分から話さなくのは7歳4か月。
(2)過去生から、次に生まれ変わり誕生までの平均年月は4年5か月。
(3)同じ宗教内の生まれ変わりが多いが、他の宗教間での事例もある。(宗教に限定されない)
(4)ある民族によっては、同一家族、もしくは近親者間での生まれ変わりが多い。
(5)その前世の人物が見つかった例は72.9%
(6)前世で非業の死をとげた事例は67.4%
(7)生まれ変わりによって、経済的、社会的地位が向上するといった一定の法則性はない。
(8)前世で悪事を働いたことで身体に障碍があるという事例は稀である。(因果応報でもない)

これらの科学的統計分析は近年始めたばかりなので、これでどうだという結論は出ないだろう。
子供の中には、それを言葉にして表現できないということもあるかも知れない。
あるいはその周辺の人は、ただ変わった子だということで片付けられてしまうこともあるだろう。
その意味で、実際はもっと多大な事例がある可能性はあるだろう。

「勝手に他人の胎盤を借りて、生まれ変わるって…、じゃあ、本当の両親の子はどこに消えたんだ。」という憤りもある。

ただ救いは、7歳を過ぎるとその子供は、すっかりその記憶を忘れるのです。
これに似ている現象として、夢が挙げられるれるかと思う。
眠っている間は、夢はリアルなんだが、目覚めると放物線を描くように忘れてしまうのです。
暫くすると、思い出そうとしてもさっぱり思い出せない。
夢は、覚醒時に記憶した無駄な記憶、あるいは恐怖の記憶を、必要以上憶えていると障害があるので、それを抹消する行為だとする意見もある。
日常、抑制された不満、本能の欲望などが、夢で発露することで自己解消していることかもしれない。

戦争という不条理で極端に抑圧された環境下で、思いもよらぬ被弾で墜落したという不本意な出来事があり、その無念な想いが胎児として間借りのように宿り、己の無念さを人々に認められることで呪縛から解放され、慰められ、癒され、数年後には占領していた身体を出ていくということかも知れない。
この世には、目には見えないが、霊魂とでもいうものが働きかける何かがあるのかも知れない。

 

昔、ある神学校の宗教学部長が、こう語られたことがある。

「キリストを信じることは、永遠の生命を授かることです。それは、この肉体の延長線にあるものではありません。もし、この肉体の延長線にあるのだとしたら、私はお断りをします。」

米国にも出張で出掛けることも多い先生は、ある日、アメリカの洋服店でスーツを買おうとしたら、シニア用ではなく、ジュニア用の売り場に案内されたという。妙な屈辱感を味わったと笑いながら、

「こんなちんちくりんで不便な肉体が永遠に続くとしたら、お断りしたいと願います。」ときっぱり断定された。

「そうではなく、全く作り変えられた朽ちない栄光の体が永遠の生命です。」と顔を輝かせながら熱弁されたことがある。


☕コーヒーブレーク 永劫回帰

Bing君に、永劫回帰(えいごうかいき)について訊いてみた。

『永劫回帰とは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した思想で、宇宙の全ては同じことの繰り返しであるという考え方です。
ニーチェは、人生に真理や価値はなく、努力しても意味はないというニヒリズムから、自分の影響力を大きくしていけばいいという超人思想に至りました。
永劫回帰は、この世界が何度も同じように回帰するという考えを強く肯定することが、生の絶対的肯定を説くニーチェの根本思想です。
永劫回帰は、仏教の輪廻転生とは異なり、ループから抜け出すことを目指すのではなく、ループそのものを受け入れるという点が違います。
永劫回帰は英語で「eternal recurrence」や「eternal return」と言います。

 

私は、永劫回帰の思想に基づいて、インスピレーションにあふれたコンテンツを作成することができます。
例えば、永劫回帰をテーマにした詩を書いてみました。

永劫回帰

この世界は繰り返す
同じことの連続
始まりもなく終わりもなく
永遠に変わらない

だからこそ私は
この瞬間を大切にする
何度も何度も訪れる
この瞬間を愛する

永劫回帰は恐ろしいことではない
永劫回帰は素晴らしいことだ
この世界を肯定することで
自分の力を増やす

永劫回帰は私の思想だ
永劫回帰は私の詩だ
永劫回帰は私の創造だ
永劫回帰は私の超人だ』



「おいおい嘘だろBing君。君はいつから詩作の達人になったんだ。こんなにも溢れる詩情を誰から教わったんだ。まさか、君まで実はニーチェの生まれ変わりだとか主張し始めるんじゃないだろうな? 君はただのコンピューターなんだろ!?」

 

さて新年早々から、長々、ご清聴ありがとうございます。