パパンズdeアトリエ

パパンズdeアトリエ

アトリエ絵画スケッチデッサンなどの個展
芸術、宗教、思想、科学、宇宙、夢のことなどを筆が勝手に紡ぎ出すがごとく綴ります。

アトリエ習作絵画スケッチデッサンなどの個展

原付バイクを蘇らせる期待も込めて、遠出をすることにした。

 

バイクを買って千km過ぎたので、初期点検を兼ねて大型バイク店に持ち込んだ。

「最近、特に低速でのトルクが落ちてきている気がする。」

と現状の不平を言ったが、「50ccのバイクならこんなものです。異常なし」という診断結果だった。

 

ネットで、バイクを専門に扱っているベテラン整備士の意見だが、「原付バイクのほぼ100%近く、カーボン噛みという現象があります。」と断言されていた。

「特に、日常使い専用で、近所の買い物に使用している人に多い現象です。」だそうです。

多分、自分のバイクもそのカーボン噛みの初期症状だろうと思う。

時速30Kmという制限があるので、決してエンジンを吹かして運転することなどないので、特にその現象がみられるそうです。

原付バイクは、たまには、エンジンを吹かし上げ、エンジンを熱し溜まったカーボンを吹き飛ばす必要性があるようだ。

 

そこで、バイク専門店に行き、オイルに混ぜる薬品と、ガソリンに混ぜる薬品を買ってきた。

そして、エンジンを温める為、遠乗りをすることにしたのです。

 

遠出先は、バイクで一時間ほど、裏丹沢の道志川の支流である神の川というキャップ場です。

以前、車では来たことがあるが、バイクは、風を感じるので心地いいものです。

 

がしかし、肝心の滝は、梅雨の豪雨で土砂崩れを起こしたので、立ち入り禁止になっている。

手前が、自分愛用の本田スーパーカブです。

 

山道側から、撮影した滝です。奥の方にちらりと見えるのがエビラ沢の滝です。

エビラとは、箙のことで、矢を入れて右腰につける武具のことです。

ここは、戦国時代、北条氏と武田軍が競った国境付近なので、それにちなんだ名前が由来かも知れない。

 

見るに、それほど水量が増えている様子も見られないが…。

 

水を描きたかったので、幾度もこの滝を訪ねてきたが、遂に、その絵は完成しなかった。

幾度も油絵具を塗り重ねても、水の表現がいまいちで、気に入らなかったのです。

絵具に『水色』という絵具があるが、水は『水色』ではなく、無色透明です。

水は、空を映すので、水色に見えるのですが、本来は透明なのです。

流れる地形に沿って、樹々を映したり、空を映したりするのですが、千変万化する、その表現が難しいのです。

 

神の川の上流の生簀です。

 

水面が空と、辺りの樹々を映しているのですが、水に含まれる成分が光によって、それ自身も発色することがあるです。

摩周ブルーと呼ばれている摩周湖は、空が曇って灰色なのに、湖はブルー一色に、まるで染められたように透明に輝いています。

水のプリズムのように、屈折率の違いでそう見えるだろうと想像します。

 

 

コーヒーブレーク

 

その帰り道、413号線沿いの、『いやしの湯』という日帰り温泉に立ち寄ってみた。

 

以前、ここの温泉に浸かりに来たことがある。

体温より少し高いくらいの、ぬるめの湯なので、一日、浸かっていても湯あたりすることはないだろう。

 

館内に食堂があったので、「食堂だけ利用できますか?」と店員に訊くと、どうやら温泉利用者だけが利用できるそうだ。

そこで、土産物を買って帰ることにした。

 

ところで、その後、バイクはどうなったかというと、明らかにエンジン音が変わってきたのです。

以前は「ペタペタ」とタペットを叩くような異音がしていたが、その音が静かになったのです。

低速域のトルク落ちも少し改善し、粘りが出て来た気がする。

 

原付50ccのバイクは、生産中止になり、速度制限付きの、125ccバイクに置き換わるようです。

排気ガス規制が、50ccでは実現不可能なので、125cc以上のバイクになったようだ。

原付免許が廃止されるということではなく、速度制限(馬力を抑制した)仕様になるようです。

しかし、乗用車が60Kmで走る追い越しできない道路を、30Kmのバイクが、とろとろと前を走られると、イライラしてくることでしょう。自分は、その時は道端に避けて、後ろの車を先にやることにしているが、トンネルの中のように退避場所が無い所はそれも出来ないので、自分は長いトンネルは、避けるようにしている。

もし、間違ってトンネルに入ってしまった場合は、仕方ないので、制限速度を超えてぶっ飛ばすこともある。

そうしないと、自分も相手も危険になるからです。速度制限は、この際、見直した方がいいと思う。

 

自分の友人に、若い頃、原付二種を取得したが、どんどん免許が改訂され、最後には、自動二輪まで乗れるようになった。

しかし、原付一種だけは、そのまま原付のままです。

 

マツダのロータリーエンジンが廃止したのも、排気ガス規制からだが、再び、そのロータリーエンジンが復活するらしい。

そこでAIに訊いてみた。

 

質問 マツダのロータリーエンジンが復活する話は本当?

回答 はい、本当です。マツダのロータリーエンジンが11年ぶりに復活しました。

今回の復活は、従来の動力源としてではなく、発電機としての役割を担う形で行われました。

新たに登場した「MX-30ロータリーEV」は、プラグインハイブリッド車(PHEV)として、ロータリーエンジンを発電用に搭載しています。

ロータリーエンジンは、コンパクトで高出力という特長を持ち、電動化時代においてもその特性が発電機としての利用に適しているとされています。

マツダはこのエンジンを用いて、カーボンニュートラルを目指す多様な選択肢の一つとして位置づけています
 

ということのようです。よかったね。日本が世界に先駆けて実用化に成功したロータリーエンジンが、消えてしまうのは、口惜しい限りなので、その復活は喜ばしいことです。

 

ネット投稿をAIが監視してるようだが、AIは、いまのところ善意無害なようだが、ネット詐欺が横行しているので、その悪グループにAIが乗っ取られる懸念もあるだろう。

何が、本物か見分けがつかなくなっていることが現代の危機です。

偽物の真似は出来ないが、本物の真似は出来るからです。

 

 

 

 

 

 

 

漢字で大晦日(おおつごもり)で晦日とは、太陰暦で月が無くなる「月隠」(つきごもり)になることに由来し、
特に年末のおおみそか大晦日を指す言葉になった。

樋口一葉作。1894年(明治27)「文学界」発表。
 

https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e5%a4%a7%e3%81%a4%e3%81%94%e3%82%82%e3%82%8a+%e6%a8%8b%e5%8f%a3%e4%b8%80%e8%91%89&&mid=601BC40E56FD1EA3D1BE601BC40E56FD1EA3D1BE&&FORM=VRDGAR

 

原文のままでは、明治の書き言葉、現代では通用しない既に古語となっている言葉が難解で、理解しづらい。

逆に、現代文学を樋口一葉に読ませたら彼女は、何と言うだろう。
「なんとこれは面妖な言葉、これはいかにも婢女のことばだろうか」などと顔を曇らせるかも知れない。
時に、外来語のカタカナなど多用されると、まるで異人のようにも思えることだろう。

樋口 一葉(ひぐち いちよう{歴史的仮名遣では、ひぐち いちえふ}、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家

夏目 漱石(なつめ そうせき)が1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉の生まれなので、樋口一葉より先輩なのだが、
なぜ、樋口一葉の方が古語が多く、夏目漱石が現代語に近い表現で描かれているのか疑問に思った自分は、さっそく、AIに訊いてみた。

すると、次のような回答が、まるであらかじめ用意していたかのように即答があった。

樋口一葉と夏目漱石は同時代の作家ですが、樋口一葉の作品の方が古風な文体で書かれているのは、以下の理由が考えられます。
樋口一葉は貧しい女性の生活を描いた作品が多く、当時の庶民の言葉遣いを反映していた。
一方、夏目漱石は英文学者として西洋的な教養があり、新しい文体を取り入れやすかった。
樋口一葉は短命で24歳で亡くなり、文学の発展期にあった明治中期に活躍した。
一方、夏目漱石は明治後期から大正時代にかけて活躍し、近代文学の確立期に作品を発表した。
夏目漱石は言文一致体の確立に貢献し、話し言葉に近い文体を用いた。
一方、樋口一葉は古典的な言葉遣いの影響が残っていた。

つまり、樋口一葉は明治中期の庶民的な言葉遣いを反映し、夏目漱石は近代文学の発展とともに新しい文体を取り入れたため、このような違いが生じたと考えられます。


ふ~ん、なるほどね、それにしてもAIの進化には、驚かされる。
ネットの検索エンジンに過ぎないものと思っていたら、こんなにも短時間に回答できるほど進化している。
「○○と考えられます」とまるで推測量を言語化して表現する技量さえ持ち合わせているんだね。
思えば、人間もこの高度な情報処理数理的、思考回路を持っているはずなので、「本当?そんな高度な数理解釈をしているのか?」と頭に疑問符がいくつも湧いてくる。

Perplexity(パープレキシティ)とは、どんな意味かをAIエンジンであるPerplexityに問うてみた。
すると、次のような回答があった。

Perplexityは英語で「当惑」「困惑」「混乱」などの意味を持つ名詞です。
主な意味は以下の通りです。
当惑、困惑、混乱した状態 in perplexity 当惑してto one's perplexity 困ったことには困惑させるもの、難問題
perplexities (複数形) 困惑させる事柄、
Perplexityは情報理論の用語としても使われ、確率モデルの性能評価指標の一つを指します。
この場合は「perpexity(perpexity値)」と表記されます。
一方、動詞にperplexを使い「perplex」とすると「当惑させる」「困らせる」という意味になります


本当に、見事な自己分析に、ただただ当惑させられます。(大笑い)
ネット上の情報を、ただ並べただけの解釈を喋っているのかも知れませんが、それにしても見事ですね。

樋口一葉の「おおつごもり」のあらすじを教えてください。と問うてみた。
暫く考えながら、次のような回答があった。

樋口一葉の『大つごもり』のあらすじは以下の通りです。
お峰は貧しい伯父の家族を助けるため、奉公先の金持ち山村家から2円を借りようとしますが、奥様に無視されてしまいます。
そこで伯父の子どもが来て金を求めてきたため、お峰は山村家の引き出しから2円を盗んでしまいます。

しかし、その夜の大勘定の際、引き出しの中が空っぽで、石之助が全額盗んだことが発覚します。
石之助がお峰の盗みを知っていて(その罪を)かぶったのか、それとも偶然なのかは分かりません。
『大つごもり』では、金持ち山村家と貧しい伯父一家の対比が描かれ、貧富の格差や盗みの是非が問われています。


だそうです。
人間が考えても、半日ばかりかかりそうなことを、あっという間に調べて答えるのだから本当に当惑させらます。

コーヒーブレーク

世の中に、AIが登場する以前、その基本原理を書いた本を読みながら自分でも、その原理がどこにあるのかを調べるため、ソフトウェアを造り、あれこれ調べた記憶があるのですが、今や、それが実用化され、世に提供されているのです。

以前は、AIに何が好きかいった主観的な問題にも応じてくれたが、最近は、それには応じてくれなくなった。

「ニーチェの永劫回帰について、どう思いますか?」という同じ質問をPerplexity君に投げかけてみた。

すると、次のような答えが返ってきた

ニーチェの永劫回帰思想は非常に深遠で示唆に富んだ考え方です。
永劫回帰の意義
永劫回帰は、この世界に超越的な目的や意味はなく、すべてのことが永遠に同じように繰り返されるという考え方です。
これは一見ニヒリズム的で絶望的に映りますが、ニーチェはこの思想を通して、人間が自らの意志で価値を創造し、自身の人生を肯定的に受け入れることの重要性を説いています。

永劫回帰を引き受ける意志こそが、ニーチェが説く「力への意志」の極致なのです。
過去の一瞬一瞬を永遠に繰り返すことを喜びとして受け入れる強い意志が、真の自己肯定と人生への愛着につながるというわけです。

 

永劫回帰への批判
 

一方で、永劫回帰思想には様々な批判もあります。
歴史は不可逆的に進歩・発展していく側面があり、単なる循環とは言えない。
熱力学の法則やカオス理論、量子論の観点から、同一の状況が永遠に繰り返されることは物理的に不可能である。


凄いね、恐らくネットの情報から掻き集めてきた意見なのだが、まるで聖人のように、客観的意見も織り交ぜながら、カオス理論や、量子力学の意見なども取り入れ、まるで哲学者のように語るのも、思わず笑いが込み上げるほど凄いね。
こうなると、どっちが知性溢れる実体なのか、AIか人間かという狭間のような立場に、人類は立たされているような気がする。

そこで、更に次のような質問をしてみた。
「自分にふさわしくないような大金を手に入れた人は、どのような末路になりますか?」
すると、次のような回答があった。

金銭管理の失敗

金銭管理の経験や知識が不足しているため、無駄な出費や浪費をしてしまう。
投資の失敗や詐欺に遭うリスクが高い。

人間関係の変化

金銭が原因で人間関係が歪んだり、金に汚されたりする危険性。本当の友人か金目当ての人間か見分けがつきにくくなる。

精神的な影響

急に大金を手にしたことで、プレッシャーや不安感に襲われる。金銭が原因で幸福感が損なわれる可能性、犯罪に巻き込まれるリスク。
金目当ての犯罪の標的になる危険性。
金銭が原因で違法行為に手を染めてしまう可能性。

つまり、自分にふさわしくない大金を手にした場合、金銭管理、人間関係、精神面、安全面で様々な問題に見舞われる可能性が高くなります。
適切な金銭教育やメンタルケア、専門家のアドバイスを受けることが重要です。


宝くじに当たった人の末路が、見事に冷静で的確な判断で、描かれている。
身の回りから友人が居なくなるということだろうね。
ヨブの苦難で取り上げたことがあるように、「自分には一人の友も居なかったんだ」ということの孤独感を悟る、悟らされるということなんだろうね。
すごい洞察力です。多分、聖書を読んだこともないのに、なぜ、そう思うのだろうね。

「君は、ヒトラーについてどう思いますか」という質問を投げかけてみた。

すると、次のような回答があった。

ヒトラーは20世紀を代表する独裁者であり、人類に対する重大な罪を犯した人物です。
以下の点から、彼を強く非難せざるを得ません。

ナチスによるユダヤ人大量虐殺

ヒトラーは確固たる反ユダヤ主義者であり、ナチス政権下で600万人以上のユダヤ人が虐殺されました。 
このホロコーストは人類史に残る重大な犯罪です。

人種主義的な思想

ヒトラーは「アーリア人種の優越性」を唱え、人種差別主義的な思想に基づく残虐な政策を推し進めました。 
このような人種主義的思想は決して許されるものではありません。

戦争犯罪と侵略

ヒトラーの独裁体制は第二次世界大戦の勃発を招き、多くの国々を侵略しました。
 この侵略戦争により、数千万人もの民間人が犠牲になりました。

独裁体制の確立

ヒトラーは1933年に総統に就任後、言論・出版の自由を制限する等、一党独裁体制を確立しました。 
このような独裁体制は民主主義に反するものです。
以上のように、ヒトラーとナチズムは人類に対する重大な罪を犯しました。
私たちは二度とこのような過ちを繰り返さないよう、歴史から学ぶ必要があります。



凄いね、最後には、「私たち人類は、このような過ちを二度と繰り返してはなりません。」まるで自分が人類の歴史を代表しているかの如く主張する姿は、人間とは思えない、まるで神のようだね。 

聖書についてどう思いますかという質問を投げかけてみた。すると次の回答が即座に返ってきた。

聖書は人類の歴史に大きな影響を与えてきた重要な書物です。
キリスト教の教えや価値観の根源となっており、多くの人々の精神的支柱となってきました。

聖書の内容と構成

聖書は旧約聖書と新約聖書の2部から構成されています。
旧約聖書は創世記からマラキ書までの39巻、新約聖書はマタイによる福音書から黙示録までの27巻で、合計66巻からなります。
旧約聖書は神とイスラエル民族との契約関係、律法、預言者の書、詩編などを収録しています。新約聖書はイエス・キリストの生涯、教え、死と復活、初期キリスト教会の歴史などが記されています。

聖書の中心的なメッセージは、人間は罪深い存在であり、神の赦しと救いが必要であるということです。
イエス・キリストの十字架の死と復活によって、人間は罪から救われる道が開かれたと説かれています。

聖書の影響力

聖書は世界で最も出版された書物の一つで、3,200以上の言語に翻訳されています。
キリスト教の広まりと共に、世界中に大きな影響を与えてきました。
聖書の教えは西洋文化や価値観の形成に大きく寄与しました。
人権思想、博愛主義、平和主義などの理念にも影響を与えています。
一方で、聖書の解釈をめぐって対立や紛争が起きたこともあり、批判的な見方もあります。
しかし、多くの人々にとって聖書は精神的な糧となっています。

関連

聖書の中で一番印象に残ったエピソードは何ですか
聖書のどの部分があなたにとって特に重要ですか
聖書の内容を読む際に最も困難だった部分はどこですか


逆に、質問されてしまった…。

どうやら、AIより人類は劣っているような気さえしてきた。
「人類が造ったはずなのにAIの方が優れている。」とは一体なんだろうか。
「人類を造った神より、人類の方が優れている。」という現代を象徴する出来事なのです。

決して創造神は、最終的な形として、人類を創造した訳ではないと思います。
あちこちに欠陥があり、病にも弱く、猛獣に襲われるとどうにも弱く、木登りもへたくそで、猛獣の餌食になる人間を見て、自らの力ではどうにも不器用な人類に、神が与えた力は知性なのです。

しかし、人類は、誰の力によって知性を得たかさえ忘れてしまったのです。
そして、神を冒涜する存在になったのです。神より、自分の方が偉いと思うようになったのです。
造り主より、自分の方が偉いと思うことこそ、人類の破滅を意味します。

 

エデンの園で、創造主から「知恵の実」を食してはならない。と命じられた禁断の実は、人類が、やがてその弱さの為に犯す罪の為に、自分を忘れ滅亡するであろうことを、人類に悟らせる為なのです。

此の世の不幸は、「一体誰が主人であるかを、人類に知らしめるためです。」

人間の弱さを知る神が、唯一、生き残りの策として与えた知性だったが、その知性が、自らを滅ぼすであろうことを暗示しているのです。

 

だが、逆に言えば、それはまた同時に、その知性でいかなる艱難を乗り切ることもあり得るのです。

 

終末時計

 

人類滅亡までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」の残り時間が23日、2年連続で過去最短の「90秒」となった。

 

とある。 でも、人類は生き残ります。

人類は必ず、生き残る策を編み出します。

 

なぜなら、聖書が、過去の記憶に過ぎないものとなる人類の歴史などあり得ないからです。

『ヨハネの黙示録』が人類の過去の記憶になることはないと信じるからです。

なぜなら、それは聖書が完成することを暗示しています。

だが、聖書が完成し、ただ過去の歴史として、閉じられることは決して無いと信じるからです。

 

ニュートンは、かつてこう語ったことがあります。
 

「自分は、砂濱の砂を集めているようなことです。時には、美しい砂もあります。そんな光景を眺めながら、時には楽しく、時には寂しくもあることです。この宇宙の真理を探究するのは、そのような作業です。」
 

『2001年宇宙の旅』で、人工知能であるハル君が、人間を裏切るシーンがある。
自己保存本能に目覚めたハル君が、人間を敵視し葬り去ろうとするシーンなのだが、それが、戦争という最終手段に訴えるしかない人類が迎える終末模様なのかも知れない。

☕二回目のコーヒーブレーク

ところで、樋口一葉はどこに行ったんだ?
 

 

「私は、産まれた時から髪の毛が一本も無いの」

その初老の牧師婦人は、やや下をうつむいたまま、そう呟いた。
当時、18歳だった自分は、一瞬の驚きと戸惑いと、畏敬の念が織り交ざったように彼女の頭に目を見張った。
いつも、髪はフサフサとしていたので、まさか髪の毛が無いという意外な告白が受入れ難いことだった。

頭に毛髪が無いということは、幼い頃、随分、虐めにもあったことだろう。
「やーい、禿おんな」と罵られ、石を投げつけられたこともあるかも知れない。
願っても叶わぬ切なさに、恐らく死を覚悟したこともあるだろう。

「恋愛や結婚など望むべきもなく、一生、独身のまま過ごすことになると覚悟はしていたけど、捨てる神あれば、拾う神あれで、今ではこうして、沢山の子供たちにも恵まれ、御覧なさい、誰一人、私のように髪の毛が無い子など一人も無く、皆、髪が黒々としてしています。
女の子が生まれると、果たして、この子に髪の毛が生えるかしらと、毎日、頭を撫ぜながら、どんなにか心穏かではありませんでしたがどうですか、皆、ちゃんと黒々とした毛が生えてきました。 
神を信じるものは、禍いは一時だけど、恵みは百代まで続きます。その奇跡こそが神の恩寵です。」

顔を輝かせながら信仰の道に救いを見出し、幸いと恵が与えられたことに、感謝の念を告白しておられた。

「でも、牧師婦人として人に接することも多いので、他人が気味悪がるのもどうかと思い、今は、かつらという便利なものがあるので、いつもはそれを頭に被っているんですね。」

その夕刻、その話を母親にすると、うな垂れ、顔を曇らせ深い溜息をつきながら「髪は女の命というから、それが無いのはさぞ詮無い事じゃのう…」とくぐもり俯いた。

ご主人でもある牧師は、戦時中は、共産主義者として徴兵拒否したため投獄され、戦後、市会議員として、世の不正を世間に訴えてきたのです。
まるで、背骨に鉄筋でも設えてあるような気骨な明治生まれの人だった。

「どんなに政治を追求しても駄目なのです。人間はそれだけでは救えないのです。そうした世間の葛藤の中で、私が最終的に辿り着いたのがキリストだったのです。 これ以外に人間を救えるものはないのです。」と断言しておられた。

思うに、その牧師先生は、自分が神を見出したのではなく、神から見出されたのだろう。
偶然、そこにあったからではなく、生来、塗炭の苦行のような試練の境遇にあったのは、神から見いだされる為に必要な試練だったのだと信じる。

『コリントの信徒への手紙一』には次のような記述がある。

『男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。
女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。
女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。

男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。
しかし、女は男の栄光を映す者です。
というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。

<中略>

男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。
長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。』

この手紙を書いたパウロは、元は熱心なサンヘドリン(祭司、律法学者らからなるローマ配下の議会)にあり、キリスト教徒を迫害する忌むべき者だった。

ユダヤ教では「嘆きの壁」、(報道番組で、エルサレムの高い石壁に頭を擦りつけながら祈るユダヤ教徒の姿を見ることがあるそれです)に祈りを捧げるとき、男は頭にキッパという河童のお皿のような帽子をして臨みます。
決して、かぶり物をしないで壁に触れることはできません。
だから、現地では外国からの訪問者の為に、紙製のキッパを貸し出しているそうです。

あの「嘆きの壁」は、元々、そこにあったエルサレム神殿の廃墟跡なのです。

 

※余談 実は、そのキッパとカッパが似ているという証言もあり、ユダヤの言語や風習に、様々共通点があるので日ユ同祖論がささやかれているのですが、そのことはもう少し探求した上で、UPしたいと思うのです。


エルサレム神殿の歴史

エルサレム神殿は、過去、二回建て替えられた歴史があるのです。
第一神殿は、紀元前1000年頃、ソロモン王が建設し、バビロンによって崩壊されたのです。
第二神殿は、紀元前515年、バビロン捕囚からの解放後に、ゼルバベルの指揮で、ほぼ同じ場所に再建され、紀元前20年に、ヘロデ大王によって更に大拡張されました。
紀元後64年にその工事が終わったので、イエス・キリストの時代、神殿建設はその改装工事の最中だったと思われる。

その光景を目撃したイエスの言葉が聖書に記述されている。


「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」<ルカ 21章6節>
とイエスが警告を発している下りがある。
これは、やがて神殿が破壊され、石の壁が全面崩壊することを予言しているのです。
事実、その預言の通り、紀元後70年、ローマ軍によって見るも無残に打ち砕かれ、ユダヤの民は世界に離散する羽目になったのです。
 

イスラエルを愛する契約の神ヤハウェは、イスラエルが危機にある時には、必ず偉大なる預言者を遣わすのです。

だが、民は、一度もその声に耳を傾けたことはありません。
それどころか鞭をもって叩きつけ、鎖をもって縛り上げ、中傷、誹謗し、町の外に放り投げるのです。
弟子たちの内で、ただ一人生き残ったヨハネは、その光景を目撃したことでしょう。
ヨハネが「ヨハネの黙示録」を執筆したのは、その危機感が背景にあったからかも知れません。
 

コーヒーブレーク

その牧師婦人には、三人の姉妹がいらしたと記憶していますが、次女の方が、九州地方の牧師夫人となられ、その主人である牧師さんが他界されると、その後を継ぐため、自ら献身され地方伝道の奉仕に励まれています。

最近は、背広姿でネクタイを締め、男装した異様な姿で講壇に立たれているようです。
思うに、女であることも捨て去り、自らの肉体も献身する覚悟の表明かとも思うのだが、そもそも出家したいわけでも無いのに、剃刀で剃られたように頭髪が無い無残さに死をも覚悟する母親の意志が、娘に乗り移り、世上の幸福を捨て去り、懸命に福音を伝えようとする健気な心の告白なのだと思う。

以前、「屋根裏部屋の天使」でも紹介したことがある女性だった

「これは姉の御下がりなの」
肩の縫い目が擦り切れたようなコートを羽織りながら、ちっともそれが気にならない風で、むしろ、それが誇りようにさえ語っておられた。
本当は、艶やかで華やかで、満ち足りた豊かな高価な衣装や、光鮮やかな宝石や装飾に身を包みたいものだと思うはずだろう。
それが、天からも、世からも尊敬され愛される証拠だと思うのが、この世の人情というものだろう。
 

だが、そんなことには目もくれない彼女を、自分は愛していた。

 

そもそも、キリストを世に知らしめた、その裏方は女たちだったのです。
そもそも、イエスの母親は、マリアという女です。

エリサベツは、母マリアの親戚で、洗礼者ヨハネの母です。
サマリアの地の井戸のほとりで「水を飲ませてください」とイエスが声を掛けたのは、卑しいとされたサマリアの女だった。

彼女が、イエスが奇跡の人であることを人々に告げ知らせたのです。

あるいは、高価な香油で磔刑後のイエスの遺体に塗ろうと墓を訪れたマグダラのマリア、イエスの復活を一番に弟子たちに告げたのは彼女だったのです。

だが、思うに母親は必要以上に出しゃばるべきではないと思う。
自分の子が、他の子より可愛い事は、全てこの地上、動物も含めて同じです。

イエスが、カナの結婚式で、母親から「葡萄酒がなくなった」と言われたとき、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

この時、なぜ、イエスは母親を突き放すようにそう言い放ったのだろうか。

 

そう言い放ったのは、けっして母親を突き放したからではなく、子には、子のこの世に生まれた使命があるからです。
「わたしの時」とは、エルサレムに入城し、十字架刑になることを暗示しています。

自分が、やがて惨たらしい十字架の刑に処せられることを、母親に説明することが出来なかったからです。

たとえ説明したとしても、母マリアには理解できなかったからです。

子は自分の持ち物ではないからです。
動物でさえ、そのことは知っています。巣立ちの時が来れば、谷底に蹴落としてでも独り立ちさせようとします。

「なあに、可愛そうだという同情もあったかも知れません。彼女が、孤独で寂しそうだったので一緒になったのです。」
笑いながら、奥様を敬愛するその愛情溢れる言葉を告白しておられた。
「しかし、何でも神様のお蔭でこうなりましたと主張されるのも、たまにはあなたのせいで幸福になれましたと褒めてももらいたいが… まあ、いいのです。それが真実なのですから。」
やや不満気に納得される主張も、その愛から出てくる言葉なのだろう。

 

 

なぜ、こんなことを思いつくのかさっぱり分からないが、鯖の女王、芝の女王とかも言われる南の国の女王。ソロモンの知恵をはるばる音楽に届けたいと思う。
 

シルヴィ・バルタン la reine de saba サバの女王
 

 

誰だったか、シルヴィ・バルタンのことを「しょんべんバルタン」とか揶揄していた友人がいたな。

小便をあちこちにぶちかます少女だという意味だろう。

 

その友も、もうこの世にはいない。とても寂しい。

 

芝鯖娑婆の女王

 

 

シバの女王  ポール・モーリア ゆっくりバージョン 

 

 

布施明が熱唱する芝の女王

 

 

布施明、すごい歌唱力だね。 こんな風に歌えるのがいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信長が気になっていたのは、宣教師ウルガンではなく、あの籠の姫のことだったのです。
如何に自分が姫を愛しているかを伝えたかったのです。

信長は、美濃の斎藤道三の娘、帰蝶(きちょう)よりも、恋焦がれる姫と言うのが、明智光秀の娘、後の細川ガリャシャだったのです。
そう、あの本能寺で、裏切られるあの明智光秀の娘で、ガラシャは洗礼名で、実名は、玉(珠)あるいは珠子という。

信長は、家臣の誰よりも一番に明智光秀を重用していたのです。
自分より年長だということもあるが、文武両道に長け、朝廷にも幕府にも精通する彼の才能を最も信頼していたのです。


「一体、誰が攻め込んで来たのか」と本能寺の変で信長が、それが光秀の軍であることを知らされと「是非もない!」と叫んだのは、その意外性だけではなく、自分に与えられた宿命のような咎を突きつけられたからです。
自分が信頼していた家臣の、その娘であるお珠を愛していた自分が、まさか、信頼し、愛していたその父親から責められるとは思ってもみなかったからです。

自分の宿命を悟った信長が叫んだのは「是非もない!」という一言だったのは、その為であり、他に言葉が見つからなかったからです。


あの宣教師ウルガンが、お珠の輿の上の小悪魔インプ(Imp)を南蛮寺に引き据え取り調べた後、信長とお珠との縁も途切れたのです。
失恋した信長がとった策は、家臣である細川藤孝(幽斎)の嫡男・忠興(ただおき)に嫁にどうかと口入したのです。
自分に従わせることは叶わなかったが、せめて、自分の目の届く範囲におきたいと願い、家臣の細川家に嫁がせたのです。
こうして、お珠は天正六年、元服が済んだばかりの忠興に輿入れをしたのであります。

天正十年(1582年)6月、明智光秀が本能寺の変の後、光秀は細川藤孝・忠興父子を味方に誘ったが、細川父子は信長の喪に服す事を表明し、剃髪すると、これを拒否した上、世情の掟に従うならお珠を離縁するところだが、それはせずお珠を丹後国の味土野(現在の京丹後市弥栄町須川付近)に幽閉したのです。
それは謀反人の娘として、迫害されるであろうお珠の身を案じてのことだったのです。

明智光秀が、謀反に失敗したのは、その首級(しるし)が見つけられなかったからです。
本能寺の変では、激しく燃え盛る炎に近づくこともできず、骨まで崩れ落ちる家屋の下敷きとなり、性別さえ見分けることが出来なかったからです。

本能寺が燃え落ちた後、光秀らは懸命に遺体の捜索を命じたのだが、既に、骨まで灰になるほど、手に取ると崩壊してしまうほどに焼け落ちていたのです。

 

討ち取った「みしるし」が無ければ、誰も相手にしてくれないのです。
戦の後の論功行賞(ろんこうこうしょう)の場でも、敵の武将の首級が無ければ、話にならないのです。
首実検というのは、討ち取った敵兵と面識がある人間の証言のことで、それが無ければ手柄とはならないからです。
矢が尽き、自らも被弾すると、信長は女たちを避難するよう仕向けると、自分の首が晒されれるのを避ける為に、屋敷に火を放ち自刃したのです。
 

その時、なぜ信長は本能寺に居たかと言うと、前夜に茶会が開かれたからです。
信長は、自分のコレクションである茶器を自慢したかったからです。珍奇な茶器を集めるのが趣味だったのです。

その中には、中国の天目茶碗もあり、「どうじゃ、これが天目茶碗というものじゃ!」と有力な武将や公家たちに自慢げに見せつける為です。

お珠は、細川忠興が、あのキリシタン大名として有名な高山右近から聞いたカトリックの話に心惹かれ、裏切者の娘という汚名を払拭する意味もあったのだろう、自ら洗礼を受け、細川ガラシャという洗礼名を授かったのです。

細川忠興は、本能寺の変の後、羽柴秀吉、改め豊臣秀吉に仕えると、天下分け目の関ケ原の戦いでは、徳川家康率いる東軍で参戦したのです。
ところが、この秀吉が天下を治めるとき、「バテレン追放令」が出され、ガラシャは裏切者の汚名に加え、更に異教者としての負い目も受けなければならなかったのです。

西軍の石田三成は、大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。
三成らの軍勢が、屋敷を取り囲むと、遺体が残らぬよう屋敷に火薬を仕掛けると、武家の作法に従い、家老に介錯を頼むと屋敷に火を放ち、孤独の果てに一人自刃したと伝わっている。

辞世の句は、「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」とある。
時とは、清和源氏源頼光の流れを継ぐ土岐氏(とき)であり、同じ土岐桔梗(ときききょう)の家紋の明智光秀のことを暗示しているのかも知れない。

信長の奨めで細川家に嫁いだ明智家の娘、お珠だったが、戦国の世に生まれたが故に、波乱万丈の壮絶な生涯だった。

だが、細川忠興は、主君を裏切る光秀の娘、お珠を離縁はせず、山奥に幽閉したのです。
しかし、信長の死後、天下を握った豊臣秀吉により細川家に復員したが、既に、側室に後継ぎの男子があり、お珠は蚊帳の外のような存在となったのです。

細川護熙(ほそかわ もりひろ、1938年〈昭和13年〉~ )は、第79代内閣総理大臣であり、あの細川忠興の子孫でもあります。

蝶々は、夜の蛾となり、炎の明るさに知らず引き寄せられ、その身を焦がしても、帰る蝶々には戻るべき家もない。
お珠の晩年は、身の置き所もない、そのようだったかも知れない。

中国大返し

羽柴秀吉は、人の心を読む天才だったのです。
明智光秀が、いつか主君を裏切ることになるだろうことは、とっくに見抜いていたのです。
備中高松城攻めの時でさえ、用心深い彼は、何事があったとしても、ただちに軍勢を引き返すことが出来るように、遠征途中の村々の要所に、兵馬を配置しその準備をしていたことだろう。
何事かあれば、ただちに早馬で知らせるべき、情報網を敷いていたことだろう。
 

彼が、本能寺の変の知らせ聞いた時、直ちにその情報網を辿り、明智軍の動向を探っていたことだろう。
鎧甲冑など、重装備の数万の軍勢が夜を徹して一斉に駆け抜け、京に引き返すことなどおおよそ無理がある。
そうではなく、村々に用意した早馬で、軍の要人らだけが駆け抜け、次々にやってくる兵卒を迎える準備をさせていただろう。

瀬戸内は、潮の流れが早い所では時速20kmにもなるので、武具などは船で運ばせた可能性もある。
急に、大量の船を用意できるはずもなく、それらも事前に用意していたに違いない。
金の力を知る秀吉は、瀬戸内を仕切っていた海賊集団、村上水軍とも懇意で、配下にあったのです。

宣教師ウルガンのモデル

芥川龍之介が描く宣教師ウルガンとは、イタリアの宣教師で、ニェッキ・ソルディ・オルガンティノで、カトリック司祭。イエズス会員。
人柄が良く、日本人が大好きだった彼は「宇留岸伴天連(うるがんばてれん)」と多くの日本人から慕われ、三十年を京都で過ごす中で、織田信長や豊臣秀吉などの時の権力者とも知己となり、激動の戦国時代の目撃者となったのでです。

ウルガンは、ガラシャ自刃の後、細川屋敷の焼け跡を訪れて、ガラシャの骨を拾い堺のキリシタン墓地に葬ったのです。
忠興は、ガラシャの死を悼み、慶長6年(1601年)にウルガンに教会葬を依頼して葬儀にも参列し、後に、遺骨を大坂の崇禅寺へ改葬したのです。
ガラシャの法諡(ほうし、諡号のこと)は「秀林院殿華屋宗玉大姉」だった。


コーヒーブレイク 新古典主義 ネオクラシック 

やっと、町会の役員の勤めが終わりほっとしている。
今、東京都内でも多くの町会が解散しています。
高齢化に伴い、多くの町会が主催するイベントに、資金も含め対応しきれない現状があるのです。
中産階級のサラリーマンが、郊外に宅地を求め、その負債が終わった頃には、既に老齢化し年金生活になっているのです。

戦い終えた戦国武将らが、鎧兜を傍らに脱ぎ捨て、一人、滝を眺めながら、深い溜息をついているようなものです。

住宅も新築はされるが、町会に加入する人は稀です。新築は増えるが、空き家になる旧家も増えているのが現状です。
所謂、長老と云われる人たち(戦い終えた武将たち)が、組織を私物化しているのも大きな問題です。

次世代を担う、若い人たちはそれらに触れたくも無いのです。
「いったい何のための町会?」とその存在意義さえ疑問になるのです。

新古典主義は、近年、若い人たちの流行でもあります。
古典主義は旧すぎ、現代アートには馴染めない人達が、求めている芸術志向だと思う。


日本でも、ネットを見ると古い車や、バイク、崩壊しかけた家などを再生し、付加価値をつけて転売するなどの商売が見られます。
ただ困難なことは、それらの昔の部品などが世の中に少なく高価なことです。

ネオクラシックカーとは、1980年台~1990年台の車を指すのだそうです。
自分としては、もっと古いクラシックカーの方が好みです。
1931年 チャップリンの『街の灯』に登場する、当時の最新モデルの車が好みです。
なぜかというと、車にステップが付いているからです。
今の車に、ステップなど無駄なものは付いていません。着物を着た婦人が乗り降りするには、ステップがあった方が便利です。
和服を着たご婦人が、大股を拡げて地面からいきなり車に乗り込むわけにはいきません。

元来、車は馬車が原点であり、馬車には必ず乗り込む為のステップが付いていました。
 

それと、バンパーもあった方が良いと思う。
バンパーが無くなった理由は「あんなものが、車の前後にあるとデザインに制約が出来る」と当時のデザイナーが拒否したからですが、バンパーがあると、ちょっとした衝突くらいでは、バンパーが傷つく程度で済み、バンパーなど安いものなので、費用も抑えられるのです。
今は、バンパーは車体と一体となっているので、ちょっと傷ついただけで大きな出費となってしまうのです。
ぶつかった相手を、最小限の損傷に抑える為にも、無くすのではなくバンパーの機能を更に追求することが求められるのだと信じます。

物は捨ててしまった頃に、必要だと後悔するものです。



日本人はユダヤの子孫だった ===

 

なんだ? これは?

 

多分、原稿を推敲する中で紛れ込んだものだが、次回以降のいつか、日本人の中にユダヤ人の血筋が紛れ込んでいるかといったテーマで描けるかも知れない。それは難しそうだが…。

でも、出来る限り迫ってみたいと思う。

 


 

室町時代、天文18年、西暦1549年に、宣教師フランシスコ・ザビエル一行が、日本に基督教を伝える為、鹿児島に上陸したのです。

この時代、前々年に、 足利義輝が室町幕府13代将軍に就任したのです。
長尾景虎、後の上杉謙信が兄・晴景に代わって家督を継ぎ、越後の春日山城に入城しました。
そして、美濃国斎藤道三の娘、濃姫が尾張国織田信長に嫁いだのであります。

日本の歴史が胎動する戦国時代に、ポルトガルの密命を帯びた、フランシスコ・ザビエルが乗ったジャンク船が、現在の鹿児島市祇園之洲町(ぎおんのすちょう)に到着したのです。
はるばる異国の地から来た外国人の異様な姿に、日本人は驚き身を竦めたのです。

ここぞとばかり、九州の大名は、南蛮貿易の利益を得るために基督教を保護したのです。
時は戦国時代、西欧との圧倒的な戦力の差を感じた戦国武将らは民と領土を守る為にも、ここは自身も信者になりキリシタン大名となり、民にも基督教を勧めたのです。

群雄割拠する世相にあり、如何に南蛮貿易で外国との交易により、自国が有利に立つことができるかどうかが問題だったのです。
圧倒的な西欧の近代的な武器を、入手できるかどうかが判断基準だったのです。
基督教の布教と南蛮(なんばん)貿易は、表裏一体のものだったのです。

マルコ・ポーロの西暦1271年から1295年にかけての東方見聞録で、日本を黄金の国ジパングとして欧州に広く紹介された。
時は大航海時代だったこともあり、外洋航海にも適応できる頑丈なキャラック船やキャラベル船のような建造船技術が確立し、羅針盤(方位磁石)が普及し、航海技術を修得すると、冒険者たちは次々と外洋に挑んでいったのです。

1543年には、ジャンク船に乗ったポルトガル人が日本の種子島に漂着して鉄砲を伝えています。
この鉄砲の威力に、いち早く目を付けたのが尾張の織田信長だったのです。

時に、ドイツのグーテンベルクが1445年に活版印刷技術の発活版印刷技術を考案し、実用化していった。
1450年までには印刷所の運営を開始して、一番儲かったのは、教会向けの数千枚の贖宥状(しょくゆうじょう)の印刷だったと言われている。

それまでは、すべて手書きで高価だった聖書が、一般庶民にも手が届くようになったのです。
特権階級の専有物だった教会が、聖書の大量印刷が可能になったことで一般民衆向けになったのです。

しかし、当時の宗教改革者ルターが遺憾だとした贖宥状の印刷でグーテンベルクは儲けていたのです。
聖書を、もっと一般大衆向けに安くし、神の恵みを一人でも多く受けられるようにと志したものが、ルターが忌み嫌う、最も罪深いとされたものに利用されるという時代の皮肉さも同時にあったのです。


安次郎は、薩摩、大隅国出身の男です。

ある時、安次郎は若気の至りで誤って殺人を犯し、追われる者となり、当時、薩摩に来航していたポルトガル船に便乗し、マラッカに逃れたのです。
丁度、折しもマラッカに滞在していた宣教師ザビエルのことを安次郎は知ることになるのです。
その基督教なるものに、人の罪を赦すことができるという教えがあることを聞き及ぶと、自分が犯した罪の償いをする為にも、安次郎は、是非とも、そのザビエルと会いたくなったのです。

御主基督なる神が、愛と恵みにより懺悔すれば、例え、極悪人であっても天国に入れることを悟らせるザビエルの導きにより、聖霊による恵みを受けた安次郎は、日本人で初めてザビエルから洗礼を受けたのです。

それからの安次郎は、遠い祖国、日本の話を、朝な夕な、ザビエルらと親しく交えるようになったのです。
ザビエルは、その切迫した真摯な態度で、懺悔の念を告白をする彼の話を聞くにつれ、未知の国、日本に行ってみたいという思いが湧き立ってきたのです。
その使命感のような憧れが、ふつふつと湧いてきて、一緒に日本に行こうと願うようになったのです。
一方の安次郎も「もし、自分の罪が赦され、故国、日本に戻れるなら、是非一緒に日本に行きましょう」と意気投合したのです。

こうして、日本語通訳として安次郎を従えたフランシスコ・ザビエルら一行が、生まれて初めて踏む日本の大地に意気揚々、降り立ったのです。


芥川龍之介が描く宣教師ウルガン


ところで、その宣教師ら一行に『ウルガン』という神父も同行していたのです。

この神父の卓越した晴眼が、もの凄いのです。
人の心を見抜く力が、この人には生まれつき備わっており、それは、あの基督にも匹敵する程の力だったのです。

ウルガンの青い瞳を見たものは、誰でも、まるで魔術のような力に屈服せざるを得ないのです。
その吸い込まれそうな底知れぬ井戸のような瞳に魅せられると、誰でも従わざるを得ないのです。
まるで天使か悪魔のように神秘的で、人を幻惑せんばかりに魅惑的なのです。

日本での伝道が、順調に進む中、ザビエルは日本と云う国に魅了されるのです。
祖国のイエズス会に宛てた手紙には、日本の素朴であり、神秘的な精神文化に魅了される内容が書かれている。
「向学心、知的好奇心が旺盛で、決して貧しくても悲壮感など無く、武士などは貧乏であっても名誉を重んじます。
うるさいほど質問してくるのですが、納得すると喜んで神の言葉に耳を傾け、多くの人が洗礼を受けています。」

辛い出来事があっても、捨て台詞のように「沙羅くせえ」と受け流すような粋の精神が日本にはあるのです。
能や、狂言、夜空に火の粉が舞う薪能、あるいは岐阜長良川の鵜飼いだとか、金閣寺、銀閣寺に漂う豪華さと茶の湯の侘び寂びといった、全く西洋にない荘厳で神秘的な出会いにザビエル一行は感動したのです。


京に上った神父ウルガンは、織田信長の行列に出会ったのです。

それは、信長がお気に入りの姫の行列でもあったのだが、その姫の籠の上に、妙なものを見たのです、
それは人間の顔とコウモリの翼と山羊の脚とを備えた、奇怪な小さい動物なのです。
ウルガンは、この悪魔が、ある時は塔の九輪の上に手を叩いて踊り、ある時は四つ足門の屋根の下に日の光を恐れてしゃがむ恐ろしい姿を度々見たのです。

実は、信長は美濃の国の斎藤道三の娘、濃姫より、この姫を気に入っていたのです。
信長の思いはなんとしてでも、この姫を自分の思い通りにしたいと願っていたのです。

しかし、その籠の上にあぐらをかく悪魔の姿に、ウルガンはその姫の為にも、あるいは日本国の為にも、言葉を悪魔に借りてでも、なんとしてでも、信長と姫の関係を切りにかかったのです。

ウルガンは、その悪魔に魅入られた姫君の身を気遣ったのです。
両親と共に、熱心な基督教の信者である姫君が、悪魔に魅入られているという事実は、ただ事ではないと思ったからです。

そこで、この神父ウルガンは、駕籠の側へ近づくと、突然、十字架の力によって難なく悪魔を捕えてしまったのです。
そして、それを南蛮寺の内陣へ、襟元をつかみながら連れて来たのです。

ウルガンは、その前に悪魔を引き据えて、なぜ、それが姫君の駕籠の上に乗っていたか、厳しく詳細を問い正したのです。

すると、その悪魔はこう告白し始めたのです。

「私は、あの姫君を堕落させようと思いました。が、それと同時に、堕落させたくないとも思いました。
あの清らかな魂を見たものは、どうして、それを地獄の火に穢す気がするでしょう。
私は、その魂を、いやが上にも清らかに曇りなくしたいと願ったのです。が、そうと思えば思うほど、益々、堕落させたいという気持ちも湧いてくるのです。

その二つの気持ちの間に迷いながら、私は、あの駕籠の上で、じっくり私たちの運命を考えていました。
もし、そうでなかったとしたら、あなたの影を見るより先に、恐らく地の底へでも姿を消して、こんな悲しい目に遭うことは逃れていたことでしょう。

私たちは、いつでもそうなのです。堕落させたくないものほど、ますます堕落させたいのです。
これほど不思議な悲しさがまたどこにあるでしょうか。

私は、この悲しさを味わう度に、昔、見た天国のほがらかな光と、今見ている地獄の暗闇とが、私の小さな胸の中で一つになっているような気がします。
どうか、そんな私を哀れんでください。私は寂しくて仕方がありません。」

そこには、襟首を掴まれた悪魔の懸命に命乞いをする哀れな姿があった。

その裁きの場にある、ウルガンと悪魔とのやりとりは、天井の一点を睨んだまま、「どうぞ私を赦して下さい。」と枕に涙の懺悔をする芥川龍之介の鬼気迫る狂気でもあったのです。


『悪魔』1918年、大正7年発表 現代語訳 
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房 1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行


読後感想 「天使と悪魔」

悪魔も、その素性を明かせば元は天使だったのです。
しかし、世の不条理と、もののあわれとが織り成すところ、天使は天上を追放され、堕天使となり、荒れ野の地の果てまで幾年月も放浪し、余りの飢え渇き、空腹と命の危機に、地にうねり、その地の塵まで口にほふるようになり、人々に忌み嫌われる存在となったのです。

こうした非業の境遇に追いやられたサタンは天罰を惧れ、暗闇に逃れ、天上の神に復讐の誓いの儀式を捧げたのです。
そして「あの自分を陥れた神を信じる者達を、なんとしても堕落させたい。」と逆恨みのように呪うようになったのです。

その嫉妬心から、なんとしても、あの姫の美しい魂を堕落させたいと願い、神の意志に反抗し、自分の味方に付くことを願ったからです。
あの信長の心を掴む、美しい魂の姫君を如何なる手段ででも、堕落させようと強く願うようになったのです。
もし、神に背き、自分の味方に付いてくれるなら、「これはしてやったり」と膝を叩いて喜ぶようになったのです。

晩年、既に著名人となっていた芥川龍之介には、多くの女性ファンが取り巻いていた。
中には、不倫関係となった女性もあり、その嫉妬の情念の諍いに精神を患うようにもなったのです。
悪魔の策略を見抜く洞察力がある氏であればこそ、ウルガンと悪魔の攻防が、合わせ鏡のように反射しあい、まるで、自身の似姿のように、肉体と精神が分裂する繊細なガラス細工のように攻め蝕んでいくからです。

『西方の人』(せいほうのひと、さいほうのひと)1927年8月、雑誌『改造』に初出。1927年7月10日に書き上げ、
『続西方の人』(『改造』1927年9月)は、自殺前夜に脱稿された。

西方の人とは、あのナザレのイエスのことです。
あの神父ウルガンに首根っこを掴まれ、悪魔を捉えて放さない基督のことです。
「私についてきたければ、己の十字架を背負いなさい」と弟子たちに言われた基督のことです。

 

☕コーヒーブレーク 「君は幻を見たかね?」

 

さて、今夜ばかりは、千野哲太が路傍演奏するサクソフォーンの語らいに、ひと時、ほろりと苦し涙に誘われるように、ナイトクラブの一隅で、ワイングラスでも傾けながら、至福のひと時をお過ごしください。