科学と宗教 創造論と進化論と宇宙開発 | パパンズdeアトリエ

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芸術、宗教、思想、科学、宇宙、夢のことなどを筆が勝手に紡ぎ出すがごとく綴ります。

AIに訊いてみた。

質問 世には創造論と進化論が対立していますが、これについてどう考えますか?

回答 この問題については、科学的な観点と宗教的・哲学的な観点の両方から考察することが重要です。以下に、この複雑な問題についての balanced な見解を示します。

科学的観点

進化論

チャールズ・ダーウィンによって提唱された自然選択による進化の理論は、現代生物学の基礎となっています。
化石記録、比較解剖学、遺伝学、分子生物学など、多くの科学的証拠が進化論を支持しています。
進化論は、生物の多様性や複雑性を説明する上で非常に強力な枠組みを提供しています。

創造説の科学的課題

若い地球創造説など、一部の創造説は地質学的証拠や放射性年代測定法と矛盾します。
創造説は一般的に、科学的方法論の基準(検証可能性、反証可能性)を満たしていないと考えられています。

宗教的・哲学的観点

創造説

多くの宗教的伝統において、宇宙と生命の起源を神による創造に帰する考え方は重要な位置を占めています。
創造説は、人生の意味や目的、道徳的価値観の基礎として多くの人々に支持されています。

進化論と信仰の調和

多くの宗教者や神学者は、進化論と信仰は必ずしも矛盾しないと考えています。
例えば、「有神論的進化論」は、神が進化のプロセスを通じて創造を行ったという考え方です。

結論

この問題に対する一つの見方として、以下のように考えることができます。
科学と宗教は、異なる領域の質問に答えようとしているのかもしれません。科学は「どのように」という問いに、宗教は「なぜ」という問いに焦点を当てています。
個人の信仰や世界観は、科学的証拠と個人的な信念や価値観の両方を考慮して形成されるべきです。
対話と相互理解を促進することが重要です。異なる見解を持つ人々の間で、respectful(丁寧で丁重)な議論を行うことが社会の発展につながります。

最終的には、この問題に対する立場は個人の判断に委ねられますが、科学的証拠を尊重しつつ、個人の信仰や哲学的考察も大切にするバランスの取れたアプローチが望ましいでしょう。


AIから逆に訊ねられてしまった。

質問 どちらが科学的に正しいと考えられますか

応答 進化論も現時点で、科学的に正しいと実証されてはいません。創造論は科学ではなく、宗教的な観点、立場からの意見だと思います。

質問 どちらがより広く支持されていますか:
応答 多分、二律背反のような、議論にはならないだろうと思います。どちらもその意味で正しいからです。

質問 どちらが教育現場で重要視されていますか:
応答 ある熱心なキリスト団体は、教科書から進化論を外せと訴えています。日本では、進化論は教科書にも載っていて常識となっています。

質問 どちらが宗教的な観点から支持されていますか:
応答 宗教と言っても宗派により、あるいは個人により見解が異なると思います。

質問 どちらが長期的に影響力を持っていますか:
応答 どちらも支持されず、「有神論的進化論」を自分は支持しています。
人間が創造する機械、電子機器など、始めから完成し完璧な最終形として出来ることなどあり得ません。
実験と検証を繰り返し、改善、改良を積み重ねて完成形に近づけていきます。

「有神論的進化論」

物理学者が疑問なのは、なぜ、こんなにも物理定数が、うまく出来ているのだろうかということです。
例えば、ほんの少し重力定数が大きければ、宇宙は潰れてしまいます。
逆に、ほんの少し重力定数が小さいと、宇宙には星が形成されないでしょう。
偶然では、決して物質は産まれません。まして、生物のような高度なものは、決して偶然では産まれません。
更に高度な人間などは、とても偶然では産まれません。
ここにサイコロが百個あるとして、それを目隠しをして、無鉄砲に乱雑に投げて、全部を塔のように積み上げることなど不可能です。
たまたま積みあがる事はあっても、その次には、その乱雑さの為、土台ごと崩れるからです。
だが、何らかの意識があれば可能かも知れません。目標があり、それを狙って投げ続けるなら、いつかは可能かも知れません。
目には見えないが、この宇宙には、その隠れた意識が、混沌とした宇宙を秩序あるものにする叡智のような意識があるのだと思います。

それを、神の摂理と呼ぼうが、自然の摂理と呼ぼうが、どちらでも良いのですが、その見えざる叡智の意志に従って、環境適応しながら進化していくのだと信じています。

 

それは仏教の説話にも、言葉こそ違うが同じことが、説かれていると信じています。

 


宇宙飛行士らが見る夢

人類が、宇宙に乗り出した1960年台、宇宙飛行士の中には、この宇宙に青色に輝く小さな惑星、地球を眺めながら、神秘的な体験、それは多分、その場に立ち会わなければ知り得ない感覚なのだと思うが、宇宙の広大さと人間の小ささ、ほんの少しでも弄れば壊れてしまいそうな人間という生物が、漆黒の闇に青く浮かぶ小さな地球に頼らざるを得ず、何かが愛おしくなるような感覚だろうか。

当時、ベトナム戦争があり、地球周回軌道に入ると夜の暗闇に、まるで花火でも打ち上げているかのように、あちこちに火薬が炸裂している光景が眺められたという。

それは、戦闘の火花であり、その火薬が炸裂する光を眺めながら、戦争以外の解決策を持たない、虚しい人類、自己抹消運動以外に、解決策を見出せない愚かで哀れな人間の姿を、宇宙船の操縦パネルを操作しながら、苦悩と瞑想をするのです。

そこに、あるべきではないはずの、あの月面のモノリスを発見したように、敬虔なクリスチャンだったが、信仰の根本を問われるような出来事に目覚め、荒ぶる修験者の境地になる者あり、気が狂ったかのように己を見失う者、あるいは、その貴重な経験から、科学者としての知識を深める者もあり、一方、決められたマニュアルに従い、無心に操縦パネルを操作するだけの者もあった。

アインシュタインが語ったことがある。
「宗教的で精神的な、人知を超えた次元の知能が創造した全宇宙のなかで、人類はわずかな一部にすぎない。宇宙の創造全体は、わたしたちのもつ神性の概念とは全く違うものだろう」という言葉を深く噛み締めた。

アポロ13号の奇跡 緊迫の87時間(2016)

 

 

ケネディ大統領の遺言


「我々は、1960年台にアメリカ人を月に送ることを選んだ。」ヒューストンのライス大学で名演説をする、ケネディ大統領の遺言のように、1969年7月、月着陸船は人類で初めて月の土地に降り立った。
そのTV中継を、自分は会社の食堂のガラスケースに納められたTV画面を見ながら、感動した記憶がある。
かつては、「月はウサギが餅つきをしているか、かぐや姫の実家があるところだ。」程度の認識しかなかった無関係な世界が、いざ現実に見せつけられると、感動を通り越し、何か得体の知れない神秘的なドラマを観ているようで震えるほどだった。

人類が月に行けることは、アポロ11号で成し遂げたので、世界の誰もが、それに続く12号は視界の端に追いやられるように関心が薄れて行った。
「前回できたのだから、今回も成功するだろう」くらいの気軽な気持ちで、安心して傍観していたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。
「アポロ13号で、なんらかの爆発事故が発生した。」という速報が飛び込んで来た。
世界中が、そのニュースに釘付けになり、教会では、全世界のクリスチャンに向けて、無事に三人の宇宙飛行士が帰還することを祈るよう訴えかけがあった。

直ちに地球へ引き返すか、いや、既に月の重力圏内なので、時間と距離はかかるが月を周回した方がいいだろうという判断で、機械船は爆発して使えないので、月着陸船のエンジンを使って軌道修正しようというのである。
どんどん電力と酸素が失われていく中、地上無線以外の電源はすべて遮断し、飛行士らは月着陸船に乗り移り、軌道修正の作業に入った。
月着陸船は、月に着陸する為に設計されたものであり、決して機械船のような役割は無いので、直ちに専門家らが、軌道計算の見直しとマニュアル作成を始めた。
NASAの専門分野の人たちが、総力を結集して問題解決に取り掛かったのだ。
「何としても彼らを地球に帰還してみせる。」という強い信念と、世界中の人々が願う祈りに応えるように、次々と難問を解決していく姿は、アメリカという国がもつ底力を思い知らされる光景だった。

ジーン・クランツ( Eugene Francis "Gene" Kranz, 1933年~)は、アメリカの航空宇宙エンジニア、元戦闘機パイロット
氏は、チーフフライトディレクターを務め、後日、当時を回想するシーンがあった。
「とにかく、なんとしてでも彼らを家族が待つ地球に帰還させることが私の使命の総てだった。」と涙目になりながら語った。
飛行士も、地上スタッフも、三日も不眠不休で取り掛かることなど出来ない。

交代してやるしかないが、地上スタッフはあらかじめ交代要員を準備しているだろうが、宇宙船にはその余剰要員はいないのだ。
しかも、その上、二酸化炭素が溢れ脳活動が低下してくるのに、地上スタッフの指示に従い、面倒な操作を正確にやらねばならない。

「いいか!そのスイッチには決して触るな。切り離すのは、機械船の方だ、そこにテープでも貼っておけ!」ラベル船長は、疲労困憊した船員たちに対し叱咤激励した。

次々に発生するアクシデントに、適格な判断で乗り越え、無事、パラシュートが開き地球に無事生還したことを同時中継する光景に、世界中が感動の涙と拍手で喜んだ。


おそらく、当時の技術だから不可能が可能になったのだと思う。
二酸化炭素を除去するフィルタが、着陸船と、司令船では違うメーカーが製作し、設計が異なり互換性が無かったからです。
司令船は、ノース・アメリカン・ロックウェル社、月着陸船はグラマン社が製造したのです。
そこで、地上スタッフは、身近にある材料でそのアタッチメントを自作するよう、彼らに命じたのです。
現代の高度な技術で出来たものは、電気製品もそうですが、もし壊れたら、専門の技術者でも買い替えを勧めるでしょう。

それは当時の原始的な技術だからこそ可能だったのです。


原付バイクも、今はキャブレターではなく、ECU制御によるマイクロ秒単位の制御を搭載したインジェクション方式です。
それが壊れた場合、昔のキャブレター方式なら、分解清掃すれば直るかも知れませんが、電子制御方式はプロでもお手上げになります。高度になればなるほど、修理は困難になるのです。
昔は、エンジニアと呼ばれていたが、今では、修理とはユニットごと交換することなので、チェンジニア(交換者)と現場では皮肉られています。

コーヒーブレーク

「アポロ11号は月には行ってない。あれはスタジオのセットで収録したものだ。」と語る懐疑論があるが、アポロ計画にかかった費用は250億ドル、当時は固定相場で、300円/米ドルとして、1970年度の日本の国家予算が8兆円なので、それに匹敵するような金額です。
そして、延べ40万人もの人員が投入されたのです。
そんな大金と人を掛けてまで、世界に向けて嘘をつかねばならない理由など、どこにあるのでしょう。

当時、ソ連と、米国は競って宇宙開発に乗り出したのです。
世界初の人工衛星スプートニクもソ連、世界初の有人飛行を成し遂げたガガーリンもソ連人、当時、アメリカは一歩も二歩も遅れていたのです。
それどころか、ランチャーから、まともに飛び出すことも困難な具合で、ロケットは、急に向きを変えて落下し始める始末なのです。
しかし、見事にそれらを克服し、「真っ先に月に人類を送るのはアメリカ人だ」をスローガンに、国家を挙げて取り組んだのです。

ソ連も、絶対不可能ではなかったが、二番煎じでは意味がないのです。
「アメリカ大陸を発見したのは、コロンブスに次いで二番手だった。」では意味が無いのです。
諜報活動が盛んなソ連は、アメリカが月に着陸したことを察知し、それが事実であることを認めたので、月に行くのを諦めたのです。
だから、アポロが月面に本当に降り立ったかどうかが疑問なら、ソ連に訊ねてみるのがいいだろう。

何の根拠も無いのに、「あれは作り物のでっちあげだ。」などと誹謗中傷するのは、それ以前に、己の人間性に懐疑的になるべきだろう。


月までの距離


アポロ計画で月面に設置された再帰反射器(コーナーキューブ)を狙い、反射した光が戻ってくるまでの時間を測定する。
天文台で、定期的に月をめがけてレーザー光線を発射し、その往復にかかる時間で、月までの正確な距離を測定しています。
この観測で、月は毎年、3.8cmほど地球から遠ざかっていることが判明したのです。

ということは、月は太古の昔、地球にもっと近い軌道上にあったことになります。

本当かどうかAIに聞いてみた。

質問 月は年間3.8cm遠ざかっているそうですが、太古の昔、もっと地球に近かった証拠はありますか?

回答 はい、月が太古の昔に地球にもっと近かったことを示す証拠がいくつか存在します。

シミュレーション結果:

月が形成された約45億年前、月は現在よりも約22,500km地球に近い位置にあり、夜空で現在の17倍も大きく見えていたとシミュレーションが示しています。

地球の自転速度の変化:

地質学的証拠によると、約4億年前の1年は400日程度で、1日は22時間だったと推定されています。
これは、月が地球に近かった頃、地球の自転速度がより速かったことを示唆しています。

サンゴの化石:

サンゴの化石に見られる成長縞を調べることで、過去の地球の自転速度を推定できます。
これらの証拠は、地球の自転速度が過去により速かったことを示しており、間接的に月が地球に近かったことを裏付けています。

潮汐力の影響:

月が地球に近かった過去には、潮汐力の影響がより大きかったと考えられています。
これにより、地球の自転速度の減少や月の公転半径の増大の割合は現在よりも大きかったと推測されます。

角運動量保存の法則:

物理学の原理である角運動量保存の法則に基づくと、地球の自転速度が遅くなるにつれて、月の角運動量が大きくなり、その結果として月が地球から遠ざかっていくことが説明できます。
これらの証拠や理論的根拠から、月が太古の昔により地球に近い位置にあったことが強く示唆されています。
現在観測されている年間3.8cmの遠ざかりは、この長期的なプロセスの一部であると言えます



実に見事な解析結果です。これらを瞬時のうちに整理し回答出来るのだから、感心を通り越し畏敬の念さえ湧いてくるのです。

最後になぜ、月が地球から遠ざかるのか、その理由を聞いてみた。

質問 月は毎年3.8cm遠ざかっているようですが、なぜ月が遠ざかるのかその理由は分かりますか?

回答 月が地球から毎年約3.8cm遠ざかっている現象には、主に潮汐力が関係しています。この現象の理由は以下の通りです。
 

 潮汐力の影響
月の引力によって地球の海水に潮の満ち引きが起こります。この潮汐力は、地球の自転速度を遅くする効果があります。

 

 角運動量保存の法則
地球と月のシステムでは、角運動量の合計が保存されます。地球の自転が遅くなると、その分を補うために月の公転軌道が大きくなります。

 

 潮汐の膨らみのずれ
地球の自転は月の公転よりも速いため、潮汐による海面の膨らみは月の位置よりも少し前に現れます。この膨らみが月を引っ張る力となり、月の軌道を押し広げる効果があります。

 

 エネルギーの移動
地球の自転エネルギーの一部が月の軌道エネルギーに変換されることで、月が遠ざかっていきます。
この現象は非常にゆっくりとしたものであり、人間の寿命スケールでは大きな影響はありません。しかし、長期的には地球の自転速度が遅くなり、1日の長さが少しずつ長くなっていくことにつながります。
なお、この遠ざかる速度は一定ではなく、地球と月の形成初期にはより速く、現在は比較的ゆっくりとしたペースになっています

 

おそれいりました。 こんなAIが昔からいたら、どんなにか学習の速度が速まったことだろうね。いい友達になれただろうに…。

そうかあ…。そういうことだったかあ…。